ポンコツ野郎の独り言

職業は後々公開します。それまでは、現職までの自己紹介として文句たれが独り言をタレときます。

魔の2月

2024-09-09 06:02:00 | 日記
妻と結婚した2020年1月。

私と妻、私の母親とリンの4人での生活がスタート。

認知症に罹患してしまった母親。

介護福祉士の妻が、専業主婦として一緒に過ごしてくれた。

新型コロナウイルスが蔓延し始めたので、暫くは失業手当を貰い続ける事にしていた。

ところが・・・。

2月に入ってから、母親に異変が。

トイレを自分一人で出来なくなってしまった(涙)。

何度も失敗を繰り返した。

しかも当時、悪いことが連続した。

義父も急に認知症を患って入院。

義母は、雪が積もる中に買い物へ行き、滑って転んで膝を骨折して入院。

一気に、妻の負担が爆増してしまった。

妻には、義父・義母の方を優先させた。

妻の実家、2歳上の姉が一人居てる。

でも、この姉って口だけ番長。

文句は1人前にタレるけど、何もしない。

なので、妻には実家の対応を優先して貰った。

そう言っても、往復6時間も要する妻の実家。

負担が増えた結果、ダウンしてしまった。

なので、新婚早々に別居。

私一人で、母親の面倒を見ることに。

トイレの失敗を繰り返す母親。

「スマンなあ」

謝罪なんてしたこと無い母親が、何度も謝った。

「気にせんでエエよ。誰にでも失敗って、あるんやからな。」

そう言って、何回もお尻を拭いてキレイにしてあげた。

夜、トイレに起き上がれない時は電話して貰った。

その都度起きて、一緒にトイレへ行った。

でも・・・。

実家から戻って来た妻。

母親の世話ばかりで、疲れに限界が

疲れだけや無かった。

「私が来たから、お義母さんの症状が悪化した」

そう思い込み始めた。

妻が一気に病み始めた兆し。

限界を感じてしまった。

当時の勤務先の会長に相談。

出入りしていた市会議員が手配した病院へ入院することに。

妻が母親と一緒に行った先は、精神病院だった。

「なんで母親がキチガイと一緒の病院に入らなアカンねん!」

内心思ったけど、認知症患者の入院って精神病院が普通らしい。

妻が撮影した1枚の写真。

「もうこれで、アンタら二人でラクに暮らしや」

そう言ってるかのような顔をしてた(涙)。

2020年2月26日。

結婚して、ちょうど1ヶ月。

夢が満ち溢れ、楽しみにしていた家族4人での生活が終わってしまった。





ようやく結婚

2024-09-08 09:31:00 | 日記
2020年1月26日。

1年3ヶ月の交際を経て、妻と結婚した。

お互いが惹かれ合った末の結果。

と妻に言うと・・・。

「人生最大の汚点やわ」

なんとでも言え(笑)。

お互い1976年生まれの、当時43歳。

俗に言う晩婚。

仕方がない、こっちは借金の返済に追われてたんやから。

総額で1500万円以上は返済した。

人生って、色々あるから。

市役所へ婚姻届を提出してから、その足で1回目の新婚旅行。

我が家って、新婚旅行は2回行った。

1回目の新婚旅行、行き先は靖國神社

お祖母ちゃんのお兄様、つまり大伯父が居られる。

「飛行機に乗ってみたい」

そう言って、神風特別攻撃隊に志願された。

時期や場所は聞いてないので不明だが、英霊になられた。

お祖母ちゃん、靖國神社への参拝を望んでた。

でも、酷い乗り物酔いを持ってた。

大阪府から靖國神社までは、いくらなんでも過酷。

だから、私が23歳の時から代理で靖國神社へ参拝してた。

1月1日って、国立競技場でサッカーの天皇杯決勝が開催されていたから。

毎年、天皇杯決勝を観戦することもルーティンにした。

20年近く続けた、元旦の東京日帰り旅行。

元旦も仕事をするようになった後は、年明けの公休日に参拝するようになった。

天皇杯決勝は諦めたけど、靖國神社参拝は2020年まで続けた。

途絶えた理由、やっぱり新型コロナウイルスの蔓延。

でも、靖國神社崇敬奉賛会には入ってる。

毎年、御札が送付されるので神田に祀って毎朝御参りしてる。

あっ、話を元に戻すそう(笑)。

妻は、創価学会員の娘。

でも、それは父親が一人熱心なだけで、妻自身は信者では無い。

でもでも、神社仏閣の参拝経験ゼロ。

なので、初めての参拝は靖國神社。

実に、素晴らしい(笑)。

婚姻届を提出した後、タントエグゼで東京へ。

途中の浜松サービスエリアで車中泊。

靖國神社を参拝した後は、アクアラインの海ほたるへ。

スカイツリーに行きたかったけど、コロナの震源地・中国からの観光客が多いって。

だから、諦めた。

当日は、熱海の安旅館に宿泊。

そして翌日、妻の自宅へ帰宅(笑)。

その翌日が、我が家への引っ越しだったから。

実に、慌ただしい1回目の新婚旅行(笑)。

それでも、いい思い出・・・と思うのは私だけ。

自己満足でエエねん(笑)。

そう思っとく。





行動開始

2024-09-07 15:54:00 | 日記
転職について考え始めた2019年6月。

少しずつ逸れるけど、その前の前年10月に妻と出逢ってた。

切っ掛けは2018年9月。

祖父宅の解体費用として借りた320万円の借金を4年で完済したったから。

だから、出逢いを求めて行動して妻と出逢った。

何の抵抗もなく、交際がスタート。

妻は介護福祉士として働いていた。

それに対して、私はレッカー作業員。

交際期間中、転職について考え始めたことになる。

妻・・・当時は彼女か?

相談したら、転職に賛成してくれた。

当時の会社のブラック状況は逐一言ってたから。

「なかなかのブラック企業だね。それなら、しがみつく必要なんてないよ。」

後押ししてくれたから、行動に移した。

バスの運転手って簡単に言われたけど、まずは運転免許を取りに行かなアカンかった。

当時持ってた運転免許は、限定8トンの中型免許。

このままでは、バスの運転手にはなれない。

だから、自動車学校へ通うことにした。

入学金などを含めたら、47万円。

結論・・・新たに借金した(笑)。

ホント、趣味は借金・特技は返済。

でもね、幸いにも教育訓練給付金制度っちゅうモンが受けれた。

自動車学校を卒業したら、が条件。

10万円を限度に、費用の2割が国からの補助金として支給される制度。

これに申し込みした。

何となく、追い風が吹いてるような感覚。

いやっ、単なる思い込み?

それでもエエねん。

人生は賭けてないけど、解放されるがための転職。

2019年9月、自動車学校に入学した。





改悪

2024-09-07 07:44:00 | 日記
2018年の10月。

初代社長が会長になった。

2代目に、その長男が就任。

まさに、改悪の始まり。

気に喰わないヤツが居たら、容赦なく干し始めた。

私も一時、干された。

気に入らないと思われてしまった人、相次いで退職した。

で、新しい血を入れ始めた。

大体の考えは、ミエミエ。

古いヤツを退職させたら、人件費が安くなる。

新人の初任給なんて、安いから。

無知な古株って、あっさりと退職。

私は違った。

アタマが悪いヤツだけど、調べて知識を補うのは得意中の得意。

気に入らない事があれば、容赦なく相談した。

国家権力の労働基準監督署へと(笑)。

我々が何と言おうが、労働基準法に触れる行為なら指導が入る。

堂々と、内部告発した(笑)。

そうしたら、立場が弱くなる?

いやっ、新しい案件を通報するのみ。

それを、堂々と言ってたら干される回数は減った。

でも、完全な0では無い。

会長から言われた。

「息子に代替りしたせいで、迷惑ばっかり掛けてスマン」

何処にでも居る、バカ息子。

年が明けた2019年。

2代目の愚行は、ますます酷くなった。

新年会費として、一人6000円も徴収。

参加拒否した人、協調性が無いって朝礼で吊し上げのように言われた。

その人、その場で荷物をまとめて退職された。

私も被害に遭った。

レッカーの作業中、会社のガラケー落として完全に壊してしもうた。

翌月の給料から、35000円も引かれた。

こういう時って、知識を持ってるモン勝ち。

労働基準法にも明記されている。

日給額に換算しての半額以上の罰金は、法律違反。

アッサリと労働基準監督署へチクッたった(笑)。

常に対立的な構造。

「しゃあないでしょ?法律に明記されてるんですから。万引き犯を見つけたら、警察に通報するっしょ?それと一緒ッスわ。」

労働者としては、真っ当なことをしただけ。

報復として、基本給を下げられた。

「最低賃金を下回る給料しか支給されていません。」

再びチクることに(笑)。

何回も指導が入ってた。

遂に、会長から言われた。

「完全に代替りは失敗やった。もう、こんな会社には未来なんか無い。」

そう言った次に・・・。

「お前、人当たりが良いからバスの運転手に転職したら、どないや?」

確かに、自他認める愛想の良さ。

こんな会社に残ってても、ホンマに未来は描けない。

そう思って、何となく転職に興味なしを持ち始めた。

2019年6月の出来事だった。





転落の兆し

2024-09-06 11:49:00 | 日記
母親が認知症に罹患した。

この時から、また徐々に転落し・・・掛けただけかな?

勝手にしてた休日出勤、ストップかけられた。

年収の上がる要素が打ち消された。

2016年が過去最高の年収。

年間の休日は10日も無かった。

カネを稼ぎたいから、勝手に休日出勤しただけだから、決して会社がひどい訳じゃない。

それでも、年収は485万円しか無かった。

2017年に、勤務体制が変更。

レッカー業もしてたから、年中無休。

でも、会社の公休日は日曜祝日のみ。

これが、各自シフト制に変更となった。

私、独身だったので平日の休みに固定された。

その方が良かったから、拒否はしなかった。

でも、休日出勤が減ったので、給料は激減。

なんとか奇跡的に450万円はキープしたけど。

毎月、手当の付く案件の数に一喜一憂してた。

件数が多ければ手当額が増える。

少なければ、その真逆。

ド素人に近いヤツに30万円出してくれるだけマシ?

いやっ、やっぱりカネに困りたく無い。

毎月、一喜一憂の繰り返し。

家のローンに加えて、祖父宅の解体ローンもある。

何かバイトでもしようか?

真剣に考えたけど、スポットバイトなんてロクでも無い業種ばっかり。

だから、節約して生活することに。

但し、母親には真逆なことを言い続けた。

夏は、エアコンを使い続けたさせた。

「クーラーの電気代、メッチャ安いから気にしたらアカンで。」

冬場は暖房ばっかりさせた。

暖房代って、メッチャ高い(涙)。

「電気代、毎月3万円で予算組んでるさかい、気にしたらアカンで。」

そう言って、安心して貰った。

もう、生活の中心は母親に合わせた。

公休日のご飯、母親優先。

昼間は、母親がお気に入りのスーパーで弁当を買った。

500円チョイする割には、かなり豪勢だから。

イオンの弁当なんて、貧相に見えたもん。

夕御飯は、そのスーパーで売ってる最高値のお寿司。

これに、季節の魚の刺身と缶ビールを味わって貰った。

過保護なマザコン息子(笑)。

でも、週に1日は節約生活からの解放日。

何でもメリハリが必要やもん。

だから、給料下がったけど幸福度は上昇(笑)。

そうやって、頑張った2017年。

兄と妹は、帰省して来ず。

認知症って伝えた瞬間、疎遠街道を爆走しやがった。

それでもね。

母親との2人暮らし、意外と楽しかった。

むしろ、愚兄と愚妹なんて帰って来なくても平気になった。

人間って、みんなで協力し合って生きていく動物。

でも、平成末期や令和の時代には合わないんだろう。

それが分かったから、帰省して来ない2人相手にイラつか無かった。

家族っつうても、そんなモン。

母親から見たら、たとえ息子が一人だけになっても寄り添うのみ。

ホント、マザコンチックな考え方(笑)。

まあ、自己満足やもんね。

人間の考え方やって。

そう思いましょう。