ポンコツ野郎の独り言

職業は後々公開します。それまでは、現職までの自己紹介として文句たれが独り言をタレときます。

母親の認知症

2024-09-06 04:39:00 | 日記
前兆、あったらしい。

ただ、当時は全然気付かなかった。

介護福祉士の妻と付き合うようになって、初めて知った。

最初の前兆、2017年10月。

母親と愛知県へ旅行に行った時だった。

二人暮らしになってから、毎年旅行に行ってた。

ご当地グルメを堪能し、温泉でのんびりと。

その温泉に入られなかった。

「ドアが開かへんから、入られへんかった」

「あのな、ドアって押すか引くか横にスライドするだけやで。もう一回行ってみいや」

結局、ドアが開かないっつう理由で入浴しなかった。

夕食を堪能して貰い、好きなアルコールも飲んで貰った。

翌朝、男女入れ替えで僕がお風呂へ。

ドアって、横開きタイプだった。

ああ、ホント後悔。

仲居さん呼んで、ドアを開けて貰ったらよかったのに、しなかった。

翌月。

仕事をしていたら、母親とから電話が入った。

「車を車庫に入れへんから、入れに来てる欲しい」

当時は、スズキ・アルトが愛車。

急いで一時帰宅したら、道路を塞ぐ形で放置。

幸いにも、奥は行き止まりの所だったので、ご近所さんには迷惑掛けてない。

「たまたま調子が悪かったんやろな」

この時、母親は71歳。

それで片付けてしまった。

翌月。

公休日に夕食を食べる時だった。

公休日って、ご飯は特別(笑)。

2階から降りてったら、母親から一言。

「◯◯(私の名前)も呼んであげ。皆で一緒に食べよや

「じゃあ、オレは一体誰がやねん?」

何も気にせず笑い飛ばした。

1週間後。

またまた同じシチュエーション。

夕食の時間に降りて行ったら・・・。

「◯◯(私の名前)の分が足りひん」

流石に2週間連続はヤバい。

無言で2階へ上がり、作業着に着替えて降りてった。

「おはよう、寝てたわ。」

「おはようさん。」

この時、初めて気付いた。

認知症になり始めたかもって。

さっきも言ったけど、まだ71歳の母親。

物凄いショックやった。

翌日、会社の親しい先輩に相談。

「ストーブとか処分しとき。火事のリスク高すぎるわ」

ファンヒーター、慌てて処分した。

125ccバイクも廃車にして、母親が運転していたアルトを私が使うようにした。

ガスレンジも、IHキッチンに変えたった。

40万円弱も要したけど、実家を失ったことのある私。

もう二度と、家は失いたくなかった。

3月。

当時住んでいた地域では、名の通ったと言われてた認知症対応の病院へ。

検査をして貰った結果は・・・。

「腰痛が痛かったから、息子さんを他の人と勘違いしたんでしょうね」

「オレも腰痛持ちやけど、人の勘違いなんかしたこと無いぞ!ええ加減なこと言うなや!このヤブ医者が!」

人生で初めて、医者相手にヤブ医師言うたった(笑)。

薬も何も出なかったから、そのまま放置。

今度は幻視が出始めた。

すでに家出していた男親なのに

「オッサン帰ってくれへんさかい、追い出してや」

なんて言って(涙)。

もうアカン思って、従姉妹叔母に相談した。

奇跡的に、その旦那さんの友人のお兄さんが、市立病院で脳神経内科してるって。

2017年6月、再度診察へ。

母親、メッチャ嫌がった。

「こないだ認知症ちゃうって言われたんや!病院なんか行かへん!」

玄関で、思いっきり尻を蹴飛ばしたった。

ホンマはアカンで、親に手えなり足なり出すのは。

でも、母親のことを思って・・・。

アカンなあ、こうやって自己肯定に走ったのは。

なんとか連れ出して、従姉妹叔母夫婦と4人で市立病院へ。

検査の結果、レビー小体型認知症と判明。

しかも、このレビー小体型認知症って進行が物凄く早いって。

皆さんも御存知でしょうが、認知症を治す薬なんて無い。

あるのは、進行を遅らせるだけの薬のみ。

母親の人生、まだまだこれからって時なのに、一気に絶望的な状況に追いやられた。






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