結論から言わせて頂くと、今回は私は麻木さんを支持する・・・かなぁと。訴訟の原告(訴えた側)にたった経験がありますので。
訴訟というのは大変な時間と労力、費用、何よりも並々ならぬ精神力がいるのです。特に原告は。
報道によると問題の書き込みがあったのは2011年01月04日で、情報開示命令が出されたのは05月26日です。
麻木さんが書き込みにすぐ気が付いたのかどうか分かりませんが、直ぐに気が付いて訴訟の準備を始めたと仮定すると、5ヶ月近く経ってようやく情報開示命令が出され、被告(訴えられた側)を特定するに至ったと思われます。
この段階では「ようやく被告を特定できた」だけで、まだ訴訟の審査にすら入っていないわけで・・・いかに時間がかかるのか察する事ができると思います。
私は麻木さんと直接会った事も見た事も無いのですが(もちろんTVで見た事はある)、多分、彼女は私よりもお金を持っていそうなので、おそらく弁護士を使うと思います。それによって多少の労力の負担は軽減されると思います。私はお金が無かったので自分一人でやりましたが。
しかし、民事訴訟は「一方的に」とか「100%勝訴する」なんてことはほとんどなくて「ある程度の妥協が求められる」ため、訴訟が全て終わったとしても原告が満足をする事はないでしょう。
それを覚悟の上で訴えるという事は、
- 非常に強い怒りがある
- (もし訴えなかった場合の)後悔をしたくない
- 正義感が強い性格
そもそもインターネット上というのはれっきとした「公共の場」であり、「自由な場」と私は考えています。
よく「インターネット」=「仮想現実」と言われますが、それはたぶん誤解を招く表現だと思います。
日本語の仮想という言葉は、どちらかというと「想像」に近い言葉ですが、英語のvirtualは「実質的な」とか「名目上は違うんだけれどほぼ同等な」という意味です。
virtualの一番分かりやすい例が「お金」だと思います。
例えば「物を運ぶ仕事をした」>「対価としてお金をもらった」。物を運んだ仕事をお金に換えたのです。もちろん仕事の対価として「仕事で払う」のもアリなのですが、お金の方がいろいろな事や物に換える事が出来て便利なので「お金=仕事量」とするのです。
それから「自由」という言葉は「身勝手」とは違います。基本的には「自由」と「責任」はセットです。
と言うのも自由の言葉はいくつかの言葉を集約した物で、大きく分けると「制限が無い、無邪気、身勝手」という意味合いと、「束縛から解放されている、独立している、特権や権利がある」という2つの意味合いになると思います。
私が言いたいのは後者で「自由という"権利"があるって事は"責任"もある」って事です。
話は戻って、麻木さんの話を分かりやすく(例で)説明すると、
どっかの回覧板やら掲示板に誰かが私の中傷(根拠の無い悪口)を「紙」で書かれていて、ミンナが読んでいるので、私は不愉快だし、止めて欲しいし、書いた人は謝って欲しい(謝罪として具体的に損害賠償をして欲しい)
ということです。
回覧板やら掲示板の紙だったものが「インターネットの掲示板(BBS)だった」だけで基本的には同じです。
だってインターネットはvirtualなのですから
「紙」で書かれた物は「実体としてそこにある」ので実感として「そういう悪口を書くのは良くないよね」と、ほとんどの人がそう思うと私は思うのですが、インターネットの書き込みとなると、とたんに、
- 自由な事が書けなくなる(言論の自由)
- ネットの書き込みくらい(大した事無いんだから)大目に見てやれ
一体全体どうすれば良いのか、と聞かれると答えは簡単で、
自分の書き込みやコメントに責任を持つ事
ただそれだけで良いのです。
逆に言うと「責任を負いたくなければ書いちゃダメ」「無責任な人は書き込む資格が無い」と思います。
責任、責任と言うと何だかとても重たい感じがしますが、要するに「犯罪を犯すな」「物事の善し悪し(道徳・倫理)や恥を知れ」という事です。
ペアレンタルコントロールやフィルタリングは子供を守る、と言う意味もありますが、「子供(未成年)には法律上責任を負わせる事ができないので予めブロックしておく」という側面もあります。
ただ、私も一人の人間でありますのでミスしてしまう事があるかもしれません。もしそうなってしまったら、それなりの対処や責任を取ります。
だって、自由なのだから
と。