アイデアリズム idealism daydream

インターネットやTwitter上の「自分自身の実在」は他の人が必要なのです(素朴実在論) その1

 Twitterのフォローさせてもらっている方の素朴な疑問があったので私なりの回答です(長いのでTwitterの返信ではなく、ここで)。回答が間違っていたらゴメンねー


<引用>

ようつべのあるコメで「俺は打ち続ける。そして、生き続ける。打たないヤツはみんな死ぬんだよ。」
ーとか、信じきっているさんのコメ。
俺は大丈夫とか思って、今も生きているのであろうか。

ようつべ=YouTube コメ=コメント


 一見すると「なんだかヘンテコな人だなぁ…」って思われるかもしれませんが、哲学ではわりと一般的な考え方で、こういうのを、

素朴実在論とか独我論(唯我論)

 と言います。


 素朴実在論とは平たく言うと、

観察者(自分自身)が「見たり」「聞いたり」「さわったり」etc…と観察や確認、知覚できるモノは実在する("ある"という事)
観察者が観察や確認、知覚できないモノは実在しない

 例えば「机の上にキーボードがある」という事について、


 この写真は机の上にキーボードがあって私(観察者)は「目で見て確認できる」ので「確かにここにキーボードが"ある"よね」「キーボードは実在する」


 一方で、この写真は机の上にプレースマット(ランチョンマット)があるけどキーボードが見当たらないので、私(観察者)は「目で見て確認できない」ため「確か、ここにはキーボードを置いていたはずだが、見当たらないから(観察や確認、知覚ができないから)、キーボードが"ある"とは言えない」「キーボードは実在しない」

当たり前じゃないか!!

 そう、「素朴実在論は当たり前にミンナが考えるモノ」なのです…。


 さてさて、少し敷居をあげて、

自分自身が実在するって事を素朴実在論で上手く説明できるのか?

 これは少し難しく言い換えると、

・自分自身(観察者)が自分自身をかぎりなく客観できて観察や確認、知覚ができるのか?

 上記のキーボードの例だと、

・自分自身(観察者)とキーボードは全く別のモノだから客観的に「実在する」と言えた

 けれど、

・自分自身を自身で観察や確認、知覚する場合は「どうしても主観が入ってしまうのでエビデンス(証拠や根拠)が弱くなる」、または「確実に実在するとまでは言えなくなる」

 ここで言う主観とは「バイアス(思い込み)」の意味で、

思い込み(バイアス)が含まれていると客観的とは言えないので哲学でも科学でもなんでも無い

 「確実に実在するとまでは言えなくなる」場合の例としては、

・「グーグー寝ている時の自分自身の実在」は寝ていて意識が無いから観察や確認、知覚自体できない

 とか。


 哲学に興味がある人は、

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を使えばいい

 って思うかもしれませんが、「我思う、ゆえに我あり」という命題は、

精神の実在だけを証明するものであって「精神や肉体の集合体である"まるまる全部含めての私"の実在を証明するものではない」

 ため、少し足りないと思います。


 じゃ、どうすれば腑に落ちるのかと問われると、

他の人に観察者になってもらい自分自身の実在の観察や確認、知覚をしてもらう

 この方法であれば「他の人と自分自身は全く違う別モノなので客観的な実在の観察や確認、知覚ができる(素朴実在論が使える)」というワケです。
 もちろん、自分自身が起きていようが、寝ていようが関係なくできます。


その2へ続く

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