■「(大規模)神殿建築」化する 「競技場」
古代ギリシアの スタディオンは
「神殿建築」外苑(外庭)の「野外競技場」(約4万人収容)でした
8万人を収容するために 2階建て/3階建てにし、
客席に屋根をかけたものさえある 近年のスタジアムの中には
「野外競技場」というよりは、「(大規模)神殿建築」内部の
「屋内競技場」と言えるものも 現われてきています...
■東京2020スタジアム : 木造の大規模建築
審査項目に「木材利用」が盛り込まれた
東京オリンピック2020スタジアムの再審査への応募は
木の多用が目を惹く
共に「杜(もり)のスタジアム」と名付けられた 二つの案
隈研吾氏の 「スタジアムの 構造を 木で 覆う」 a案は
「法隆寺」(技術提案書 20頁目)と重ね合わされ
伊東豊雄氏の 「スタジアムの 木の 構造を 見せる」 b案は
「縄文遺跡や神社」(技術提案書 2頁目)と重ね合わされています
「野外競技場」から「(大規模)神殿建築」になろうとする「競技場」
「屋内」における火の取り扱いとの兼ね合いで
「大規模木造建築」である 東京2020スタジアムの
「聖火台の設置場所」が 問題となっています(2016年3月3日)...
さて ここで問題です。
a案 b案で 共通して採用されている木は 何という 木でしょう(種名と 特徴)...
ヒント : 紀元前一世紀の建築家
ウィトルーウィウス(vitruvius)さんによると 火に強い 木
解答例 : 落葉松(カラマツ Larix)
// a案 「21頁」右上画像「屋根の(鉄骨造梁を覆う)木材」, b案「36頁」左「木造列柱」
// 解説例「新国立競技場における木造と木材」日本建築学会 建築討論 201801
松としては珍しい 落葉する松
日当たりの良い空地で 素早く成長する 先駆植物
特徴1.豊富な松脂 → 水に強い / 寸法が変わりやすい
→ 集成接着で 寸法精度と強度を高めて
特徴2.火に強い
→ 大規模木造建築の 構造材としても利用されるようになりました
紀元前一世紀の建築家 ウィトルーウィウス(vitruvius)さんは
『建築について(de architectura) 2.9.14』の中で
北イタリアの落葉松(カラマツ)について 次の様に述べています
「この木は 樹液の苦味が激しいので
腐敗や 虫に犯されることが ないだけでなく、
火から出る焔も受入れず、
炉の中で石灰に焼成される石のように、
他の木で焼かれるのでなければ自分で燃え出すことはできない。
しかし、その場合でも焔を受入れず炭をつくらず、長い間かかって徐々に焼ける。
(以下 カエサル軍が火をつけたのに 自然鎮火した「落葉松(カラマツ)城」の話)」
(larix) non solum ab suci vehementi amaritate ab carie aut tinea non nocetur,
sed etiam flammam ex igni non recipit, nec ipse per se potest ardere,
nisi uti saxum in fornace ad calcem coquendam aliis lignis uratur;
nec tamen tunc flammam recipit nec carbonem remittit, sed longo spatio tarde comburitur.
---
(以下附録)
1.神殿建築と 木材の 記憶
古代ギリシアの神殿の競技祭は
それぞれ地域ゆかりの植物 (オリーブ、月桂樹、芹、松...)で ブランド化されています・
例えば デルポイの神殿は
初めは月桂樹で建てられた と伝えられています。
建築物はその素材が変わっても
(1)木造建築の記憶を刻み続けることがあります
(2)あるいは 植物との一体化の夢を 刻み始めることがあります...
(1)軸組木造建築の記憶の例
石造 ギリシア アテネ アクロポリスの パルテノン神殿
(ドーリス式。木造要素を取り入れた 柱 屋根の下の垂木の突出部)
鉄筋コンクリート造 日本橋室町 三井本館
(コリントス(κορινθοσ)式 。
木造要素を取り入れた 柱 柱の上のアカントス(ακανθοσ)の葉っぱ 屋根の下の垂木の突出部 屋上の植物)
a案の 隈研吾氏 M2(1991) 建物を支えるのでなく、それ自体が自立する 中空の柱...
(イオーニア式。木造要素を取り入れた 柱)
隈研吾氏は 建物を支えない 棒の組み合わせで
構造を覆って アレッと思わせる 手法を得意とします
(2)煉瓦積の建築は、タイルの普及とともに
植物の蔓(つる)に覆われていきます...
サファヴィー朝ペルシア
蔓(つる)文様に覆われる エスファハーンの マスジェデ・シャー(王の 礼拝堂)
立体化した 蔓(つる)が絡まり合って 建物を支える 中空の柱に...
b案の 伊東豊雄氏 せんだいメディアテーク(2000)
2.「(大規模)神殿建築」化する 「競技場」
古代ギリシアのスタディオンは
神殿の外苑(外庭)に位置する 神殿付属の 野外競技場
屋内練習場等での 練習の成果は、
山や川や海や空と密着した野外の競技場で披露されました
近代オリンピックのスタジアムの歴史は
例えばこちらで辿ることができます
8万人を収容するために 2階建て/3階建てにし、
客席に屋根をかけたものさえある 近年のスタジアムの中には
「野外競技場」というよりは、「(大規模)神殿建築」内部の
「屋内競技場」と言えるものも 現われてきています...
cf.ベルリン1936の 二階建て(掘込んで高さを抑制)の スタジアム(8万人収容)
廃墟化しても美しい というコンセプトの元、あえて 石で作られた 列柱のある スタジアム
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(木造軸組建築の記憶についての 参考資料)
紀元前一世紀の建築家 ウィトルーウィウス(vitruvius) 『建築について(de architectura)』より
■ドーリス式の柱と イオーニア式の柱
ordō dōricus ドーリス人の配列
1.tympanum 鼓 / aetōma 鷲(cf.翼を広げた鷲)
2.acrōtērium 先端
3.sīma 反り
4.corōna 冠
cf.街で共有される 例えば 日本橋の建物の corōnaの高さ
5.mutulus (← 垂木の木口)
7.zophorus 生の持ち運び(生き物のコマ送り漫画)
8.triglyphus 三刻 (← 梁の木口)
9.metope (梁の木口の間の)隙間覆い
10.rēgula 定規
11.gutta 滴り
12.taeniā 紐 帯
13.epistȳlium 柱上
14.capitellum 頭
15.abacus 板
16.echīnus 雲丹
17.columna 柱
18.stria 溝
19.stȳlobata 柱台
ドーリス式の柱の例 : ギリシア アテネ アクロポリスの パルテノン神殿
ウィトルーウィウス 第四書 第一章 5-8
(5)これらの都市は、カーリア人とレレゲース族を追い払った時、
この土地の辺りを彼らの首長イーオーから(名を)採ってイオーニアと呼び、
そこに不死の神々の聖域を定めて神殿を立て始めた。
まず最初にアポッロー = パニオーニウスに アカーイアに見るような殿堂を建て、それをドーリス式と呼んだ。
なぜなら、彼らは初めてこの様式で作られた堂をドーリス人の都市で見たから。
hae civitates, cum Caras et Lelegas eiecissent, eam terrae regionem a duce suo Ione appellaverunt Ioniam ibique deorum inmortalium templa constituentes coeperunt fana aedificare. et primum Apollini Panionio aedem, uti viderant in Achaia, constituerunt et eam Doricam appellaverunt, quod in Dorieon civitatibus primum factam eo genere viderunt.
(6)彼らがこの神殿に柱を据えようと思った時、そのシュムメトリアを持たなかったので、
荷を負うに適しかつ見たところも是認される美しさを持つためには
どんな割付でそれを造り上げることができるかを探求して、
男子の足跡を測ってそれを身長に当てはめた。
男子では足は身長の1/6で有ることを見出したから、かれらは同じことを柱に移し、
そして柱身の下部をどんな太さにしようとも、その6倍だけを柱頭も含めた高さにもっていった。
こうして、ドーリス式の柱が男子の身体の比例と強さと美しさを建物にもたらしはじめた。
In ea aede cum voluissent columnas conlocare, non habentes symmetrias earum et quaerentes, quibus rationibus efficere possent, uti et ad onus ferendum essent idoneae et in aspectu probatam haberent venustatem, dimensi sunt virilis pedis vestigium et id retulerunt in altitudinem. cum invenissent pedem sextam partem esse altitudinis in homine, item in columnam transtulerunt et, qua crassitudine fecerunt basim scapi, tantas sex cum capitulo in altitudinem extulerunt. ita dorica columna virilis corporis proportionem et firmitatem et venustatem in aedificiis praestare coepit.
イオーニア式の柱の例 : a案の 隈研吾氏 M2
(7)同じく、その後ディアーナの殿堂を新しい形式の外観で建てようとして、
彼らは同じく足跡を以って婦人の細さに当てはめた。
そして、もっと高く見せるために、初めて柱の太さを高さの1/8につくった。
根本には沓(くつ)の代わりに柱礎を置き、
柱頭には鬘(かつら)において左右に垂れ下がっている波打つ巻き毛のような渦巻を置き、
また毛髪の代わりにキューマティウム(cymatium 波繰形 κυμα 波)と花房を配して全面を装飾し、
柱身全体に女らしく意匠の襞のような条溝を縦につけた。
こうして、ひとつは 飾りのない赤裸な男子の姿から、
他は婦人の細やかさと飾りとシュムメトリアを持った姿から、
判然と二つにわかれた柱の発想を借用した。
Item postea Dianae cum cogitarent constituere aedem, quaerentes novi generis speciem isdem vestigiis ad muliebrem transtulerunt gracilitatem, et fecerunt primum columnae crassitudinem altitudinis octava parte, ut haberet speciem excelsiorem. basi spiram supposuerunt pro calceo, capitulo volutas uti capillamento concrispatos cincinnos praependentes dextra ac sinistra conlocaverunt et cymatiis et encarpis pro crinibus dispositis frontes ornaverunt truncoque toto strias uti stolarum rugas matronali more demiserunt. ita duobus discriminibus columnarum inventionem, unam virili sine ornatu nuda specie, alteram muliebri
(8)後世の人びとは、実に、優美繊細な判断に進み、一層細長いモドゥルスを悦び、
直径の大きさの7倍をドーリス式の柱の高さに定め、9倍をイオーニア式の柱の高さに定めた。
このイオーニア人が初めて作った形式はイオーニア式と名付けられた。
Subtilitate et ornatu symmetriaque sunt mutuati. posteri vero elegantia subtilitateque iudiciorum progressi et gracilioribus modulis delectati septem crassitudinis diametros in altitudinem columnae doricae, ionicae novem constituerunt. id autem genus, quod Iones fecerunt primo, Ionicum est nominatum.
■コリントス(κορινθοσ)式の柱 (ウィトルーウィウスさんの文中では ラテン語訛りで「コリントゥス」式)
コリントス式の柱の例 : 日本橋室町 三井本館
ウィトルーウィウス 第四書 第一章 8-10
(8)「第三のコリントゥス式と言われる様式は、実に、少女の繊細さを模している。
というのは、少女は年が若いのでもっと繊細な肢体で形作られていて、
装飾に用いて一層美しい効果を得るからである。
Tertium vero, quod Corinthium dicitur, virginalis habet gracilitatis imitationem, quod virginis propter aetatis teneritatem gracilioribus membris figuratae effectus recipiunt ornatus venustiores.
(9)この式の柱頭の最初の発明は次の様になされたと伝えられている。
コリントゥスの市民である少女が今や婚期に達しながら病にかかって死んでしまった。
彼女を葬った後、乳母は少女が生前心傾けて気に入っていたものを集めて篭に詰め、
墓に持って行ってその頂に置き、それが戸外でもなるべく長く保つように瓦で覆って置いた。
この篭は偶然アカントゥスの根の上に置かれた。
そのうちアカントゥスの根は重荷で圧せられながら春の季節の頃真ん中から葉と茎を伸ばし、
この茎は篭の脇に沿って成長し、当然瓦の角で重みの為に押上げられ、
四隅に渦巻形の曲線を作らざるを得なかった。
Eius autem capituli prima inventio sic memoratur esse facta. virgo civis Corinthia iam matura nuptiis inplicata morbo decessit. post sepulturam eius, quibus ea virgo viva pupulis delectabatur, nutrix collecta et composita in calatho pertulit ad monumentum et in summo conlocavit et, uti ea permanerent diutius subdiu, tegula texit. is calathus fortuito supra acanthi radicem fuerat conlocatus. interim pondere pressa radix acanthi media folia et cauliculos circum vernum tempus profudit, cuius cauliculi secundum calathi latera crescentes et ab angulis tegulae ponderis necessitate expressi flexuras in extremas partes volutarum facere sunt coacti.
(10)ちょうどそのころこの墓碑の辺りを通っていたカッリマクス
(この人は優美で繊細な大理石細工を作るので アテーナエ人達に
κατατηξίτεχνος (カタ テークスィ テクノス)と渾名されていた)が
この篭とそれを包んで生い茂る葉の柔らかさに気が付き、その様子と形の新しさが気に入り、
これを手本としてコリントゥス人の間に柱を作ってそのシュムメトリアを定めた。
そしてこの時から彼は建物を造り上げるにコリントゥス様式なる手法を区別した。
Tunc Callimachus, qui propter elegantiam et subtilitatem artis marmoreae ab Atheniensibus κατατηξίτεχνος fuerat nominatus, praeteriens hoc monumentum animadvertit eum calathum et circa foliorum nascentem teneritatem, delectatusque genere et formae novitate ad id exemplar columnas apud Corinthios fecit symmetriasque constituit et ex eo in operis perfectionibus Corinthii generis distribuit rationes.
■柱上部の装飾について
ウィトルーウィウス 第四書 第二章 1-6
(1)どんな建物でも その上方には 色々な名で呼ばれる木造部が置かれる。
それは名称が異なっているように 実際にもその使い道が異なっている。
円柱や柱形や壁端柱形(anta : παραστασ)の上方には
桁が置かれ、床組には 梁と厚板が 置かれる。
屋根の下には、
もし張り間が大きければ陸梁と合掌、
(張り間が)普通であれば棟木と軒回りの端まで突出する垂木。
垂木の上には野地受け材、
次いでその上、瓦の下、には
ちょうどその出によって壁が覆われるように突出している野地板。
(注)
古代建築における木造小屋組の構法については、
考古学的にも文献からも、それを正確に知ることはできない
この節に揚げられている小屋組の部材を技術的にありうべき形において推定すれば、
そしてそれを現代の建築用語に近似的に当てはめれば、大凡次の様になるであろう
columen 棟木
cantherius 棟木を支える小合掌あるいは大垂木
templum asserを受ける横渡し材、母屋に相当するもの
asser 厚板の野地あるいは小割材の繁垂木
cantherisだけで棟木を支えることが出来ないような大張間の屋根では、
更にtranstrum(陸梁)とcapreolus(合掌)で三角架構を構成して棟木を支えたらしい
d.s.robertson, a handbook of greek & roman architecture, 附録iii, roofing の項参照
Quoniam autem de generibus columnarum origines et inventiones supra sunt scriptae, non alienum mihi videtur isdem rationibus de ornamentis eorum, quemadmodum sunt prognata et quibus principiis et originibus inventa, dicere. in aedificiis omnibus insuper conlocatur materiatio variis vocabulis nominata. ea autem uti in nominationibus, ita in re varias habet utilitates. trabes enim supra columnas et parastaticas et antas ponuntur; in contignationibus tigna et axes; sub tectis, si maiora spatia sunt, et transtra et capreoli, si commoda, columen, et cantherii prominentes ad extremam suggrundationem; supra cantherios templa; deinde insuper sub tegulas asseres ita prominentes, uti parietes proiecturis eorum tegantur.
(2)このように、それぞれの細部は 固有の 場所と 出所と 順序を 守る。
工匠達は、これらの細部を使ったこの木部の組立て方から、
石造 または大理石造の 聖殿堂を建立するにあたって その配置を 彫刻で模倣した。
そしてこの発明を維持すべきであると考えた。
そんな訳で、昔の工匠達は、どんな所で建てるにしろ、
このように 内部の壁から外側まで 材が突き出て置かれ
この材の間を積み填めて(はめて) その上にコローナと破風を 木造で外観美しく付け加えた時、
この材の突出部分を 出っ張っているだけ 一直線に垂直な壁に沿って 切り去ったが、
それの外観が 彼らにはあまり美しくみえなかったので、
現在トリグリュプスになっている形に作られた板片を 材の断面全面に取付け、
それを濃い青色の蝋で彩色した。
その結果 梁の断面は隠されて 眼の邪魔にならぬようになった。
このようにして隠蔽された材の間割りが ドーリス式の建物に
トリグリュプスの配置と 梁に挟まれたメトパとをもたらし始めた。
(注)
metopa メトパ μετοπη(= intersectio)
ドーリス式帯状部の中間帯を形成している板状肢体
Ita unaquaeque res et locum et genus et ordinem proprium tuetur. e quibus rebus et a materiatura fabrili in lapideis et marmoreis aedium sacrarum aedificationibus artifices dispositiones eorum scalpturis sunt imitati et eas inventiones persequendas putaverunt. ideo, quod antiqui fabri quodam in loco aedificantes, cum ita ab interioribus parietibus ad extremas partes tigna prominentia habuissent conlocata, inter tigna struxerunt supraque coronas et fastigia venustiore specie fabrilibus operibus ornaverunt, tum proiecturas tignorum, quantum eminebant, ad lineam et perpendiculum parietum praesecuerunt, quae species cum invenusta îs visa esset, tabellas ita formatas, uti nunc fiunt triglyphi, contra tignorum praecisiones in fronte fixerunt et eas cera caerulea depinxerunt, ut praecisiones tignorum tectae non offenderent visum: ita divisiones triglyphorum et metoparum tignorum dispositione et intertigniûm habere in doricis operibus coeperunt.
(3)その後、別の人が別の建物においてトリグリュプスの垂直面に垂木の端を突出させ、
その突出部を(化粧板で)平らにした。
このことから、
「トリグリュプス」が「陸梁(ろくばり りくりょう:三角形の下の辺)の配置」から発明されたように、
「垂木の突出」から「コローナの下のムトゥルス」の手法が発明された。
(注)
triglyphus τριγλυφοσとは 「三条が彫り込まれているもの」の意で、
直角三角形断面の溝が中央に二つ、両端に半分ずつ、計三条彫り込まれているからこの名がある
corona コローナ : 頂冠帯 花冠
cf.街で共有される 例えば 日本橋の建物の corōnaの高さ
mutulus ムトゥルス : コローナの下面を飾る 露玉をつけた装飾板
ドーリス式建物の軒裏に付けられる飾板
「垂木の模倣であるムトゥルス」
こうして、ほとんどの石造や大理石造にも 「垂木の模倣であるムトゥルス」が斜面に彫刻されて付けられる。
もちろん、雨垂れの為に それは当然 傾斜して置かれる。
それ故、ドーリス式の建物における トリグリュプスと ムトゥルスの手法は この模倣から案出されたのである。
Postea alii in aliis operibus ad perpendiculum triglyphorum cantherios prominentes proiecerunt eorumque proiecturas simaverunt. ex eo, uti tignorum dispositionibus triglyphi, ita e cantheriorum proiecturis mutulorum sub coronis ratio est inventa. ita fere in operibus lapideis et marmoreis mutuli inclinatis scalpturis deformantur, quod imitatio est cantheriorum; etenim necessario propter stillicidia proclinati conlocantur. ergo et triglyphorum et mutulorum in doricis operibus ratio ex ea imitatione inventa est.
(4)ある人達は誤ってトリグリュプスは窓の荷姿であると言ったが、そのようなことは有り得ないことである。
なぜなら、隅角にも円柱の象限内にもトリグリュプスは設けられ、
こんなところに窓のようなものが作られることは 全く許されないことであるから。
もしここに 窓の明きが残されていたとするならば、実に建物の隅角の結合は 毀されてしまう。
しかも、今トリグリュプスに定められているところに もし 採光間隙があったと判断されるならば、
同じ理で イオーニア式においても 歯型が窓の場を占めていたと見られるであろう。
なぜなら、歯型に挟まれた中間部分も トリグリュプスに挟まれた中間部分も
共にメトパと名付けられているから。
実に、ギリシア人は 梁の据わるところも 垂木の据わるところも これをオペーと呼ぶ。
- 我々がこの凹みを 鳩の巣穴と呼ぶように。
(注)
οπη 孔または隙間
オ(ペー)
こうして、梁と梁に挟まれた部分は、二つのオペーの中間にあるから、
ギリシア人の間でメトペーと名付けられている
Non enim, quemadmodum nonnulli errantes dixerunt fenestrarum imagines esse triglyphos, ita potest esse, quod in angulis contraque tetrantes columnarum triglyphi constituuntur, quibus in locis omnino non patitur res fenestras fieri. dissolvuntur enim angulorum in aedificiis iuncturae, si in îs fenestrarum fuerint lumina relicta. etiamque ubi nunc triglyphi constituuntur, si ibi luminum spatia fuisse iudicabuntur, isdem rationibus denticuli in ionicis fenestrarum occupavisse loca videbuntur. utraque enim, et inter denticulos et inter triglyphos quae sunt intervalla, metopae nominantur. ὀπαι enim Graeci tignorum cubicula et asserum appellant, uti nostri ea cava columbaria. ita quod inter duas opas est intertignium, id μετόπη est apud eos nominata.
(5)しかし、ドーリス式で
「トリグリュプス」と「ムトゥルス」の手法が案出された様に、
またイオーニア式では
歯飾りをつけることが その建築に特有な手法である。
そして「ムトゥルス」が「垂木の突出部の模像」であるのと同様、
イオーニア式では「歯飾り」が「野地棒の出の模倣」である。
(注)
歯飾りが asserの出の 模倣であるとすれば、
このasserは 野地板よりも むしろ小割材の繁垂木と見るのが至当であろう
asser 野地板 野地棒 繁垂木 野縁材のような小割材一般:辞書には単に「竿 棒」
それで ギリシアの建築では
だれも「ムトゥルス」の下に「歯飾り」を作らなかった。
それは 「野地棒」は 「垂木の下」には有り得ないからである。
それ故、
理窟では垂木や野地受けの
上に位置していなければならぬものが
模像において
下に定められているとすれば、
それは誤った建築手法である。
なおまた、昔の人は 破風に
ムトゥルスや 歯飾りが付けられることを是認せず、
またそれを配置することもなく、
まったく飾りのないコローナを正しいとして配置した。
その理由は、
垂木も野地も 破風の面には分布されず
また突出することも不可能で、雨垂れの方向に傾けて 置かれるからである。
このように、かれらは真実には有り得ないものが
模像において作られて 確かな手法となりうる とは考えなかった
Ita uti autem in doricis triglyphorum et mutulorum est inventa ratio, item in ionicis denticulorum constitutio propriam in operibus habet rationem, et quemadmodum mutuli cantheriorum proiecturae ferunt imaginem, sic in ionicis denticuli ex proiecturis asserum habent imitationem. itaque in graecis operibus nemo sub mutulo denticulos constituit; non enim possunt subtus cantherios asseres esse. quod ergo supra cantherios et templa in veritate debet esse conlocatum, id in imaginibus si infra constitutum fuerit, mendosam habebit operis rationem. etiam quod antiqui non probaverunt, neque instituerunt in fastigiis mutulos aut denticulos fieri sed puras coronas, ideo quod nec cantherii nec asseres contra fastigiorum frontes distribuuntur nec possunt prominere, sed ad stillicidia proclinati conlocantur. ita quod non potest in veritate fieri, id non putaverunt in imaginibus factum posse certam rationem habere.
(6)実に、かれらは全てのものを、
確かな固有の性質と 自然の真実から導かれた慣習とに従って、建築の制作に移した。
そしてそれの説明が 論議において心理に適い得る様なものを 是認した。
こうして彼らは その由来によって定められた
それぞれの様式の シュムメトリアと 比例を 後世に残した。
私は、彼らが開いて置いてくれた道筋を辿って、
イオーニア式とコリントゥス式の慣例について上に述べたが、
こんどはドーリス式の割付とそれの全体の姿を示そう
Omnia enim certa proprietate et a veris naturae deducta moribus transduxerunt in operum perfectiones, et ea probaverunt, quorum explicationes in disputationibus rationem possunt habere veritatis. itaque ex eis originibus symmetrias et proportiones uniuscuiusque generis constitutas reliquerunt. quorum ingressus persecutus de ionicis et corinthiis institutionibus supra dixi; nunc vero doricam rationem summamque eius speciem breviter exponam.
---
(煉瓦積建築 参考資料)
ミニミニ ペルシア建築史
1.アケメネス朝以前
チョガー・ザンビール(چغازنبیل):エラム(عیلام イーラーム)の
ジッグラト(زیگورات ズィーグーラート 山形 階層状の 建造物)
2.アケメネス朝(هخامنشیان ハハーマネシヤーン)時代 bc560-bc330
新年の為の国家祭儀場ペルセポリス(تخت جمشید タハテ ジャムシード : ジャムシードの玉座 柱と梁による広間)
3.セレウコス朝 パルティア朝 サーサーン朝時代 bc312-ad642 ギリシア風の消化
(サーサーン朝)
クテシフォンの宮殿ターゲ ケスラー(طاق کسری ホスロウ一世の 円天井) 煉瓦積の 放物線を描く開口部
サルヴェスターンのサーサーン朝の宮殿(کاخ ساسانی سروستان カーヘ サーサーニーイェ サルヴェスターン )
煉瓦積の丸天井
4.初期イスラム時代 ad650-ad1000
ゴルガーンのガーブースの丸天井の塔
ゴンバデ・カーブース(برج گنبد قابوس ボルジェ ゴンバデ ガーブース : ガーブースの丸天井の塔)
ガーブース廟。煉瓦積みの丸天井の高い塔
5.セルジューク朝時代 ad1000-1157 美としての構造体
フェルドゥスィーのペルシア語詩『シャー・ナーメ(王書)』
医学者化学者物理学者アル・ラーズィー
音楽史 アル・タバリー
医学等 イブン・スィーナ(アウィケンナ)980-1037:17世紀にもオクスフォード(英)やモンプリエ(仏)で教科書
数学者 オマル・ハイヤーム
神学者 アル・ガザーリー 1038-1111
エスファハーンの集会礼拝堂(金曜礼拝堂)の展開
مسجد جامع اصفهان マスジェデ・ジャーメエ エスファハーン : エスファハーンの集会礼拝堂
= مسجد جمعه マスジェデ ジョムエ : 金曜礼拝堂 (金曜日の集団礼拝用の大礼拝堂)
四広間(چهار إيوان チャハール・エイヴァーン 中庭に開口部を持つ 四つの 煉瓦積の広間)形式の形成
場所 配置
6.モンゴル・イル・ハーン朝時代 1218-1334
歴代君主は仏教徒であったりキリスト教徒であったりスンニ派であったりシーア派であったり
ガーザーン・ハーン1295-1304
「各都市毎に1礼拝堂と1公衆浴場を建設すべし、公衆浴場からの収益は礼拝堂の維持に充当すべし」
ソルターニーイェ(سلطانيه)のウールジャーイトゥーの墓廟 (مقبره اولجايتو マグバレエ ウールジャーイトゥー)
修復前 崩壊部分の修復
濃密な内部空間 構造と意匠の結びつき 煉瓦積 二重殻の 丸天井の 例
7.ティムール朝時代 ad1370-1502
マシュハドの ゴウハルシャードの礼拝堂(مسجد گوهرشاد マスジェデ ゴウハルシャード) 横から 内部
(*)ゴウハルシャードはティムール朝第三代君主の妻の名 文字通りには「ゴウハル(宝石)_シャード(嬉しい)」
ハルギルド(خرگرد)のマドラセ(مدرسه)
مدرسه خرگرد マドラセエ ハルギルド : ハルギルドの学校
四広間(چهار إيوان チャハール・エイヴァーン 中庭に開口部を持つ 四つの 煉瓦積の広間)形式
内部や中庭周囲の装飾
タブリーズの青い礼拝堂(مسجد کبود マスジェデ キャブード)
気候が厳しいのでペルシアでは珍しく全体を屋根で覆う 陶製の網状模様等
8.サファヴィー朝時代 ad1491-1722
エスファハーンのマスジェデ・シャー مسجد شاه 王の礼拝堂(広場の南側) 場所と配置
四広間(چهار إيوان チャハール・エイヴァーン 中庭に開口部を持つ 四つの 煉瓦積の広間)形式
(メッカに軸線(東北→西南)を取るために右上を向いている 内部のエナメル・タイル)
蔓(つる)文様に覆われる エスファハーンの マスジェデ・シャー(王の 礼拝堂)
エスファハーンのシェイク・ロトゥフ・アルラー礼拝堂
(مسجد شیخ لطفالله マスジェデ シェイク ロトゥフ アルラー)(広場の東側)
方形広間上 丸天井架構方式の 完成形
採光 無数の小面に反射する 光
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// 東京オリンピックスタジアム 2016/2020
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// 古代ギリシアの競技祭(オリュムピアー / デルポイ / ネメアー / コリントス地峡 / アテーナイ)
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