東京五輪を開催する 東京の市域の 展開
1.明治中期の東京の 市 町 村 (村は水色 町は緑色 東京市は桃色) (「市町村変遷パラパラ地図」より)
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市域の中心に 住む人 働く人の 集まる 「古町(麹町 神田_日本橋_京橋)」
古町と 周辺の田園は 一体となって「江戸の市域」となり、明治時代には「東京市」となりました
(*)明治/大正/昭和初期の 東京市は 代表的な駅で言うと
東西は 錦糸町駅-四ツ谷駅辺、
南北は (荏原郡品川町でなく東京市芝区に設置された)品川駅-上野駅辺の 領域
明治時代の「東京市」の外側には 「農村」が広がり、「町(宿場町)」が 五ヶ所(*)に 散在しています
(*)五ヶ所の宿場町 : 五街道の四宿「品川宿」「内藤新宿」「板橋宿」「千住宿」と 水戸街道「新宿(にいじゅく)」
古町に上水を供給する 上水取水地辺の 風景 (今日の地下鉄「早稲田駅」辺)
明治後期 上記地図「c」の「戸塚村」の 田圃に建てられた 東京専門学校(早稲田大学)
田圃を自らの領域として 江戸川が蛇行し、すぐ下流が 江戸川と 神田上水の 分流点
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明治後期 「戸塚村」の隣 「東京市 小石川区/牛込区」区境の
江戸川(飯田橋先で 日本橋川/神田川に 分流)の 花見風景 (今日の地下鉄「江戸川橋駅」辺)
水面と 岸の近さにも 要注目です (現在 水面は 岸より ずっと 下の方にあって 触れることもできません)
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2.大正時代以降の「東京市」「東京(特別区)」の 人口推移 (実績と 今後の推定(東京都2012))
東京五輪開催年が 人口の山となっています (↓グラフ赤点)
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一つ目の山は 開催されなかった東京五輪(1940)の 山
二つ目の山は 東京五輪(1964)の 山。 三つ目の山は 東京五輪(2020)の 山
1923年関東大震災直後の時期 1940年台の戦争の時期 1990年台のバブル崩壊時期が 人口の谷
このグラフには 1930年(人口200万人)と 1935年(人口600万人)の 間の線が ありません
これは 昭和初期 1932年に「東京市」の範囲に 変更があり、人口データの基盤が異なるためです
さて、ここで問題です
下に挙げたのは「元々の東京市」の地図です(桃色部分)。
「東京市」の範囲は どう変更されたでしょう...?
昭和初期 1932年の「元々の東京市(江戸時代以来の市域)」と「近隣五郡(町村部)」
(「市町村変遷パラパラ地図」より)
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解答例
昭和初期 1932年に 「近隣五郡(町村部)」が 「東京市」に 編入されました
「近隣五郡」は それぞれが元々の「東京市」と同等の広さなので、
東京市の広さは 一気に 六倍超 (具体的には 約80平方km → 約600平方kmと 七倍超) になりました...
この「超拡大版の東京市」を引き継いでいるのが 今日の「東京(特別区) = 東京二十三区」です
参考1.地名
近隣五郡の郡名は 奈良時代の律令制の 武蔵国(むさしのくに)の郡名
「豊嶋 としま」「多麻 たま」「荏原 えはら」「足立 あたち」「葛飾 かつしか (元下総国)」に拠るもの
因みに 江戸の市域の主要部分は 律令制の「武蔵国豊嶋郡 むさしのくに としまぐん」に属します
cf.江戸の市域地図「武州(=武蔵国)豊嶋郡江戸庄(=荘)図(1632頃刊行), 掛軸版と 折畳版 (題簽「寛永江戸図」)
参考2.年表
江戸 (1603-1867) 「江戸」誕生
明治 (1868-1912) 「江戸」が「東京市」に
大正 (1912-1926) 「東京市」近郊の「村」が 次第に「町」に 1923 関東大震災
昭和 (1926-1989)
1930年 内務省復興局の震災復興事業終了(東京市と近郊の「町基盤」整備 昭和/大正/明治通りの展開)
1932年 東京市 東京五輪1940(震災復興五輪)に 立候補
東京市の市域拡大 (約80平方km → 約600平方km)
1936年 東京五輪開催決定 1938年 東京五輪開催返上 最終的に1940五輪は戦争のため非開催に...
1945年 東京大空襲 終戦
1964年 東京五輪1964(戦災復興五輪)
2020年 東京五輪2020
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東京五輪1964は「人口増加 対処五輪」
市内の「職」と 郊外に拡散する「住」を 鉄道や道路で 結びました
東京五輪2020は「人口減少 対処五輪」
東京五輪2020後 2080年には 東京(特別区)の人口は
昭和初期 1935年の東京市の人口(600万人↓グラフ赤点)に 戻り
その後 明治期の人口に 近づいていくことが 予想されています (冒頭「明治中期の東京の市町村」図 参照)
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東京五輪2020は 市域の 縮小と 充実を考える 好機かもしれません
実際 既に、住む人 働く人の 集まる 市域の中に
(「人口増加への 対処」の為に 潰されてきた)
ぼんやり遊歩できる 水辺や 田園や 森を、再創造する 様々な試みが 行われています
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