老子:道経:重徳第二十六
重徳第二十六
重爲輕根、靜爲躁君。
是以聖人、終日行不離輜重。
雖有榮觀、燕處超然。
奈何萬乘之主、而以身輕天下。
輕則失臣、躁則失君。
重は軽の根(こん)たり、静は躁(そう)の君たり。
ここをもって聖人は、終日行けども輜重(しちょう)を離れず。
栄観ありといえども、燕処(えんしょ)して超然たり。
いかんぞ万乗(ばんじょう)の主にして、身をもって天下より軽んぜん。
軽ければすなわち臣(しん)を失い、躁なればすなわち君を失(うしな)う。
男よ、弱き者を守るためにさらに精進せよ
重いものは、どっしりとした根っ子となって、軽い枝や花を支えている。
弱い者は、なぜに、さらに強くたくましくならなければならないのか。
それは弱い者を守り育てるためなのだ。
精神的にまだまだ弱い青年が、恋愛し彼女のために強くなり
そして、結婚し子供ができて、家族のために奮闘し、強くなる
自分だけが強くなって、いい気になろうとするのはエゴイストである。
人間の本当の生き方は、弱肉強食ではない。とくに男は弱い人の
人生に花を咲かせるために、大地の中の根のように、太く、広く
たくましく精進をするのである。
終日行けども輜重(しちょう)を離れず。
「輺(し)」はほろをかけた車、「重」は、重い荷物「輺重」とは、
重い荷物を載せたほろ馬車。たとえばみんなで、旅をしているときでも
食糧等をたくさん載せた重たいほろをかけた車をはなれないで、一日中
その車の後押しをするような力を、男子は、常に養っておくべきだ。
弱い者を守り育てるのは、人間の究極の課題である。
イガ爺、今日も道場から帰って即、玄関の掃除、トイレの禊、朝食
お風呂の掃除、部屋の掃除、等々、喜んで実践できました。
常在実践がなんて、深く考えなくても・・・・・・・・。
自然体がいいよね!!
究極の常人(凡人)を目指していますイガ爺であります。
連日の復旧作業で、身も心もボロボロの?イガ爺であります。
先輩に楽をしてもらいたい、その心が今のイガ爺を・・・・・・・・。
小さい、小さい、せこたれ爺さんであります。 反省!!
どうにか、18:20分投稿できますか!!
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