楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

老子の言葉№44

2012-08-11 | 先人の知恵に学ぶ

老子:徳経:三寳第六十七

三寳第六十七
天下皆謂我大似不肖。
夫唯大、故似不肖。若肖、久矣、其細夫。
我有三寳、持而之。
一曰慈、二曰儉、三曰不敢爲天下先。
慈、故能勇。儉、故能廣。
不敢爲天下先、故能成器長。
慈且勇、舍儉且廣、舍後且先、死矣。
夫慈以戰則勝、以守則固。
天將救之、以慈衛之。

天下みな「わが道大なるも不肖(ふしょう)に似る」と謂う。
それただ大なり、故に不肖(ふしょう)に似る。もし肖なれば、久しいかな、その細なることや。
われに三宝(さんぼう)あり、持してこれを保つ。
一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰くあえて天下の先(せん)たらず。
慈なり、故によく勇なり。倹なり、故によく広し。
あえて天下の先たらず、故によく器長(きちょう)と成る。
今慈を舎(す)ててまさに勇ならんとし、倹を舎てて、まさに広からんとし、後を舎(す)ててまさに先んぜんとすれば、死なり。
それ慈(じ)はもって戦えばすなわち勝ち、もって守ればすなわち固(かた)し。
天まさにこれを救わんとすれば、慈をもってこれを衛(まも)ればなり。

自分の欲望は控え目がいい
わたしには、三つの宝がある。わたしは、それを大切な宝として、いつも
しっかり持っている。
その三つとは:一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰くあえて天下の先(せん)たらず。
最初に「慈」とは、人をあわれむ優しい心である。
2番目の「倹(けん)」とは、自分の欲望を少し控え目に抑える。
3番目は、世の中の流行の先に立とうとしない、または、人々を抜いて、
      自分がトップに立とうとしない。という事である。
特に、3番めの「敢(あ)えて天下の先と為らず」について、なぜ、
天下の人々の先に立とうとしてはいけないのか?
(えー、みんなの先に立とうとするからこそ、生きがいがあるのではないか?)って
疑問が湧いてきませんか? イガ爺も若い頃はそんな意見を持っていたように思う
福沢諭吉の言う「30代は野獣のごとく」かな
しかし、老子は、「先頭に立ったり、トップに立つことがいけない」とは言っていない
のである。人々と競争してではなく、自分の才知や体力を充実させ、自分の
成長のために努力した結果、自然とトップに立つのはいい。

イガ爺の持論ではありますが、自己成長は自己反省から来る自己改革である
自然の一部である人間は、自分の思いで生きていけるものではない、すべて
自然の、為すがまま、すなわち、懐に抱かれてと言う事かな。
耶馬の里は朝から大降りの雨、先程から雨も上がり、いつも見ています、耶馬の峰
に掛かっていました雲も晴れ、新緑の峰が鮮やかに姿を見せてきましたよ。
熱波の夏8月も 前半が過ぎ、終戦記念日を4日後に迎えます。
お盆が過ぎれは、例年であれば少しずつ、涼しくなる?
自然の運行は、人が願うと願わないにかかわらず、生み出し続け、消し続けているのである。
雨の中、書き始めたブログも、終盤に差し掛かる頃には、前出のおり、あがっています。
 今日一日が、より善い一日であります様に!!
                         9:27分投稿
 

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