
マダム路子44歳#両親を老人ホームに
入所させる決意と葛藤!
私の兄弟の長男は50代で亡くなり、
次男と私は8歳違い。父の会社を継承していましたが、
両親を引き取る余裕はありません。
弟夫婦は仙台市で暮らしていました
私にとり両親あっての子供たちとの生活が可能でした。
私の手にあまるようになったからと兄夫婦に託すなどできません。
私は兄や弟にも老人ホーム入所も相談しました。
兄弟は何とか私たち家族と生活できないかと言う意見でした。
私もそれが望みでしたから、介護や家事手伝いの方を増やしたりと
努力はしました。しかし、日々衰えて行く両親を自分だけで支える
ことは心身共に限界でした。
ほぼ、寝たり起きたりの2人を見た兄弟も理解してくれました。
兄と両親を伴い、申し込みをしていた老人ホームへ見学に行きました。

両親と長女と。自宅で撮影。

講談社から発刊「婦人倶楽部」誌。昭和60年2月号。
30年前に近い頃から「老人介護」は、社会問題視
されつつありました。
それでも親を老人ホームに入所させるのは、昔の「姥捨て山」
(老いた母を山に捨てる。映画にもなりました)かと、
薄情な娘、嫁と受け取られる度合いも非常に高い時代。
しかし、母は70歳・父77歳。二人共大病を患い交互に入院。
退院しても衰えは加速。省みれば4人の子どもたちは「青春期」。
目がはなせない。
そして、家族を支えて行くに経済活動も手が抜けない!
私は袋小路に追い込まれて眠れず、つい酒を煽る!
このままでは、自分が倒れる。私が倒れたらと、仲の良い
編集者につい胸中を語ったら、読者も悩まれている方が多いと
企画されたのです。
5ページの記事のトップページです。
本当に疲れた顔をしていますわ!
いま、両親の年齢を超えた私84歳!夫片岡五郎81歳。
自分たちの課題になりました。

入所させる決意と葛藤!
私の兄弟の長男は50代で亡くなり、
次男と私は8歳違い。父の会社を継承していましたが、
両親を引き取る余裕はありません。
弟夫婦は仙台市で暮らしていました
私にとり両親あっての子供たちとの生活が可能でした。
私の手にあまるようになったからと兄夫婦に託すなどできません。
私は兄や弟にも老人ホーム入所も相談しました。
兄弟は何とか私たち家族と生活できないかと言う意見でした。
私もそれが望みでしたから、介護や家事手伝いの方を増やしたりと
努力はしました。しかし、日々衰えて行く両親を自分だけで支える
ことは心身共に限界でした。
ほぼ、寝たり起きたりの2人を見た兄弟も理解してくれました。
兄と両親を伴い、申し込みをしていた老人ホームへ見学に行きました。

両親と長女と。自宅で撮影。

講談社から発刊「婦人倶楽部」誌。昭和60年2月号。
30年前に近い頃から「老人介護」は、社会問題視
されつつありました。
それでも親を老人ホームに入所させるのは、昔の「姥捨て山」
(老いた母を山に捨てる。映画にもなりました)かと、
薄情な娘、嫁と受け取られる度合いも非常に高い時代。
しかし、母は70歳・父77歳。二人共大病を患い交互に入院。
退院しても衰えは加速。省みれば4人の子どもたちは「青春期」。
目がはなせない。
そして、家族を支えて行くに経済活動も手が抜けない!
私は袋小路に追い込まれて眠れず、つい酒を煽る!
このままでは、自分が倒れる。私が倒れたらと、仲の良い
編集者につい胸中を語ったら、読者も悩まれている方が多いと
企画されたのです。
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本当に疲れた顔をしていますわ!
いま、両親の年齢を超えた私84歳!夫片岡五郎81歳。
自分たちの課題になりました。

