悠久の歴史のなかで・・・

今年の元旦から毎日gooブログを書きはじめて2か月が過ぎました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。

世界最古のワイン醸造施設

2025-02-23 16:35:00 | 日記
 連休の間のゆったりとした日。何の記念日でもありませんが、夕食にはワインで乾杯しましょうか。お疲れ様です。

 ワインの起源は、紀元前6000年頃のコーカサス地方(現在のジョージア周辺)といわれています。ジョージアでは、使用されていたと考えられる壺型の土器とブドウの痕跡が発見されています。ブドウは採集後、時が経つと自然に発酵して、これがワインの原型となりました。
 世界最古のワイン醸造施設は、アルメニアの「アレニ1複合洞窟」で発見されました。この洞窟は、紀元前4000年頃に遡る重要な考古学的遺跡で、人類がワインを造り始めた初期の証拠である発酵用の壺、ブドウプレス機、保存用の瓶などの、当時のワイン醸造に使用されていた器具が数多く見つかりました。これらの発見は、ワイン醸造の歴史を大きく塗り替えるものでした。
 紀元前3000年頃には、ワインは古代メソポタミアや古代エジプトへと広がりました。メソポタミア文明を築いたシュメール人は、ワインを造船に携わった労働者に振舞ったと記録しています。また、古代エジプトの壁画には、ワイン造りに必要な圧搾機やつぼが描かれており、エジプトの第一王朝の頃からワイン造りが行われていたことがわかります。
 その後、ワインはフェニキア人の地中海交易で地中海沿岸や古代ギリシャにも広がりました。ワインは宗教儀式や祝祭に使用されていたようで、ワインの飲みすぎによる酩酊状態も宗教的な効能としていたようです。いつの時代でも飲みすぎ注意です。


古代キプロスの飼い猫「リビアヤマネコ」

2025-02-22 15:03:09 | 日記
 キプロスは1年のうち300日以上が晴天に恵まれるという太陽の島です。2004年、キプロス島のシロウロカンボス遺跡で、人間と一緒に埋葬された猫「リビアヤマネコ」の遺骨が発見されました。約9500年前の遺跡であることから人間と猫の共生が既に始まっていたと考えられています。このリビアヤマネコが家畜化され、現在の家庭猫の祖先であるといわれています。
 紀元前4000年頃の古代エジプトでは、猫はネズミ駆除のために飼われるだけでなく、神聖な動物としても崇められました。エジプトの神々の中には、猫の頭を持つ女神「バステト」がいて、病気や悪霊から人々を守る存在とされていました。
 その後、猫は交易によって世界中に広まりました。ローマ帝国の拡大に伴い、猫はヨーロッパ全土に広がり、中世ヨーロッパでは猫が魔女の使いとされることもありましたが、その一方で、農家や船乗りたちにとっては重要なネズミ駆除の手段として重宝されました。
 日本においては、猫は奈良時代に中国から渡来したと考えられています。仏教の経典をネズミから守るために連れてこられたという説や、珍しい贈り物として渡来したという説があります。

 今日2月22日は「猫の日」ですね。猫は古代より人間の良きパートナーとして共に生活してきました。ストレスを軽減する効果もあるとされ、多くの人々にとって癒しの存在となっています。



世界最古の織物ドレス「タルカン・ドレス」

2025-02-21 18:07:35 | 日記
 洋服を選ぶ時は、素材を確かめてから選びますか?繊維の特徴をよく知ることで快適な着心地を実感できるものです。「麻、絹、綿、羊毛」は4大天然繊維と呼ばれています。

 20世紀初めにエジプトの墓地で見つかった麻のドレスが、新たな分析により約5000年前の、エジプト初期王朝時代のものだと判明したそうです。織物の衣服としては、これまで見つかった中で最古のものです。「タルカン・ドレス」と呼ばれるこの衣服が発見されたのは奇跡です。植物の繊維で作られた古代の衣料は、ほとんどが崩れて残りません。
 一方、絹織物の歴史も非常に古く、最古の絹織物は中国で発見されています。浙江省の銭山漾(せんざんよう)遺跡から出土した絹織物は約4200年前のもので、平織りの技法が用いられています。絹は蚕の繭から抽出される繊維で、その柔らかさと美しさから古代中国で高く評価されました。絹織物はシルクロードを通じて東西の交流を促進し、中国文化や経済に大きな影響を与えました。日本にも絹織物の技術が伝わり、奈良時代には経錦(たてにしき)という技法が確立されました。
 麻織物はその耐久性から日常生活や宗教儀式に広く利用され、絹織物はその美しさと高価さから貴族や王族の象徴として用いられました。古代から現代に至るまで人々の生活に深く関係し、技法や文化が今も大切に受け継がれています。


古代エジプト王の墓発見

2025-02-20 14:56:45 | 日記
 100年ぶりに古代エジプト王の墓発見というニュースが流れました。エジプト観光・考古省は、古代エジプト新王国第18王朝の王トトメス2世(紀元前1493年-1479年)の墓を発見したと発表しました。古代エジプトの王の墓の発見は、1922年に見つかったツタンカーメンの墓以来とのことです。最近の発掘調査で新たな証拠が見つかり、埋葬品の破片に、妻ハトシェプスト女王の名とともに、「亡き王」としてトトメス2世の名が刻まれていたことから判明しました。

 古代エジプトの歴史は、紀元前3100年頃に始まり、約3000年間続きました。主に古王国、中王国、新王国の三つの時代に分けられます。古王国時代(前27世紀―前22世紀)は、ピラミッド建設が盛んに行われた時代です。ギザの大ピラミッドはこの時期に建設されました。ファラオは神の化身とされ、強大な権力を持っていました。中王国時代(前21世紀-前18世紀)は、政治的安定と文化の発展が特徴です。この時期には、文学や芸術が大いに栄えました。新王国時代(前16世紀-前11世紀)は、エジプトが最も繁栄した時代で、エジプトの領土は最大に達しました。

 その新王国第18王朝の王トトメス2世は遺言で息子トトメス3世を後継者に指名しましたが、トトメス3世は幼かったため、妻ハトシェプストは、以後22年間にわたり共治王を務めました。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられています。治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によって統治したそうです。武器ではなく、話合いによる平和が一番です。

富士山の測量

2025-02-19 12:47:17 | 日記
 日本最高峰である富士山の標高を再測量したら、実は5cm高かったとのこと。国土地理院が人工衛星を活用した新しい方法で富士山の基準点を調べると、従来より5cm高い3775.56mだったことがわかりました。なお、標高としては四捨五入してメートル単位で表すため3776mのままです。国土地理院によると、山の測量には地点間の高低差を活用する水準測量が明治時代から使われていますが、時間がかかり、その間に地殻変動によるずれが生じてしまうため、最新方法での再測量を進めているとのことです。

 富士山の測量といえば、1803年、江戸後期の測量家 伊能忠敬(1745-1818)が、富士山周辺の各地から三角法により測定しています。各地の測定地点からの測定値は箱根3088m、三島3911m、沼津3919m、吉原3660mであったそうです。
 伊能忠敬についてはご承知のとおり。56歳の1800年から1816年まで、17年をかけて日本全国を測量、73歳で死去しましたが、その後弟子たちが遺志を受け継いで1821年に「大日本沿海輿地全図」を完成させました。「伊能図」とも呼ばれていますが、大図は214枚、中図は8枚、小図は3枚で測量範囲をカバーしているそうです。日本で初めての実測による日本地図です。

 富士山は「比べられない唯一無比の高峰」ということから「不二」、「不尽」や「福慈」とも呼ばれていました。その雄大で美しい姿は、過去も現在も多くの人々を魅了し続けていますね。