悠久の歴史のなかで・・・

gooブログを書きはじめて1か月になりました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。

メソアメリカ文明

2025-01-31 12:45:07 | 日記
 トランプ大統領は、「メキシコ湾」の名称を「アメリカ湾」に変更する大統領令に署名しました。しかし、メキシコの大統領は「我々にとっても、そして世界にとっても、それは依然としてメキシコ湾だ」と発言しています。ただ地図を書き換えるような単純なことではないようです。

 メキシコ中央部から中央アメリカにかけて栄えた古代文明は「メソアメリカ文明」と呼ばれています。オルメカ、マヤ、アステカなどの多様な文化が存在し、独自の社会構造、宗教、芸術、建築、科学などで知られています。
 オルメカ文明は、紀元前1500年頃から紀元前900年頃までメキシコ湾岸で栄えたメソアメリカ最古の文明です。「母なる文明」とも呼ばれ、後の文明に大きな影響を与えました。オルメカの人々は巨大な石の頭像を作り、ジャガー信仰を持っていました。絵文字やゼロの概念を持つ高度な数学も発展させました。
 マヤ文明は、現在のメキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどで栄え、紀元後250年から900年頃に全盛期を迎えました。高度な天文学、数学、そして象形文字を持ち、ピラミッド型の神殿や都市計画が特徴です。天体観測を基にした独自の正確な暦を作成したようです。
 アステカ文明は、14世紀から16世紀にかけてメキシコ中央部で栄えた文明です。アステカの人々は自らを「メシカ」と呼び、首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を中心に強力な帝国を築きました。高度な農業技術を持ち、特にチナンパと呼ばれる浮島農法が有名です。しかし、アステカ帝国は1521年にスペイン人によって征服され、多くの文化遺産が失われました。
 この「メソアメリカ文明」や南米の「アンデス文明」は、他の大陸の文明と交流することなく独自に発展した文明です。古代のアメリカには、他の大陸とは違う時間が流れていたようです。



アレクサンドリア図書館

2025-01-30 12:36:25 | 日記
 たまには図書館に行ってみるのもお勧めです。整然とした空間のなかで、ゆったりとした時間を過ごすこともいいですね。

 世界で最初の公共図書館は紀元前7世紀の古代メソポタミアにあったとされていますが、現存する最古の公共図書館は、紀元前3世紀にエジプトのアレクサンドリアに建てられた「アレクサンドリア図書館」です。
 この時代は、古代マケドニアの王アレクサンドロス3世の東方遠征によって広がった、ギリシャ文化とオリエント文化が融合して「ヘレニズム文化」が開花していました。
 そのなかで、エジプトのアレクサンドリアが文化と学問の中心地となり、アレクサンドリア図書館や学術機関であるムセイオンが設立されました。ムセイオンは英語のミュージアム Museum の語源となった言葉です。世界中から集められた書物や文書が収蔵されたそうです。そしてこの地にギリシャの哲学者や科学者が集まり、天文学、数学、医学、文学など多岐にわたる分野の研究が行われました。「幾何学の父」として知られるエウクレイデス(ユークリッド)やアルキメデスなどの偉大な学者が活躍しました
 しかし、アレキサンドリアは度重なる戦争や災害に見舞われ、紀元前48年の火災や4世紀の破壊などで図書館は消失したといわれています。
 「アレクサンドリア図書館」は、消失してから1500年以上経った2001年にユネスコとエジプト政府の共同プロジェクトとして復元されました。古代の学問と博識の中心地としての輝きを取り戻した図書館で読書してみたいですね。




最古の法律「ウル・ナンム法典」

2025-01-29 12:32:08 | 日記
 第217通常国会が24日召集され、会期6月22日まで150日間の国会が開会されています。国会は「国の唯一の立法機関」です。

 知られている最古の法律といえば、紀元前1754年頃にバビロニアの王ハンムラビによって制定された、有名な「目には目を、歯には歯を」という報復法の「ハンムラビ法典」だと思っていたら・・・違っていました。
 現存する世界最古の法典とされるのは、「ウル・ナンム法典」だそうです。これは、紀元前2100年頃にメソポタミア文明のウル第三王朝の初代王ウル・ナンムによって制定されました。ハンムラビ法典よりおよそ350年程度古く、影響を与えたと考えられています。この法典は、粘土板に楔形文字で記されており、殺人、窃盗、傷害などの犯罪に対する刑罰が規定されていました。特に、損害賠償に重点が置かれていて、銀の秤量貨幣によって賠償が行われていたということです。
 ちなみに、日本の最古の体系的な法律は、701年に制定された「大宝律令」です。中国の隋・唐の律令を模範としており、刑法(律)と行政法(令)を含む包括的な法典です。これにより、日本の中央集権的な国家体制が整備され、律令国家としての基盤が築かれました。

 通常国会の様子はテレビ生中継されていますね。「国の唯一の立法機関」として、駆け引きやすれ違いの議論ではなく本質的な論戦をお願いしたいものです。


古代ギリシアの選挙と陶片追放

2025-01-28 12:45:07 | 日記
 今年2025年は夏の参院選や都議選を始め、全国で851件の選挙が予定されているようです。選挙権を持つ者として一票の重みを感じながら投票に行きたいものです。

 古代ギリシアの選挙制度といえば、特にアテナイにおいて発展した直接民主制が代表的です。アテナイでは紀元前5世紀頃に、市民が直接参加して公職者を選出する仕組みが整えられました。
 選挙は、投票と抽選の二つの方法が用いられたようです。重要な職位、例えば将軍職などは、投票によって選ばれました。市民集会(エクレシア)において、市民が手を挙げて投票する形態が一般的でした。一方、日常的な行政や司法の運営に関わる多くの公職者は抽選によって選ばれました。抽選には、「クレーロテリア」と呼ばれる特別な装置を使っていたとのことです。この装置は、各市民の名前が書かれた小さな札を入れるためのもので、ランダムに札を引くことで公正な選出が行われました。特定のエリート層に権力が集中しないようにするための方法でした。これにより、すべての市民が平等に公職に就く機会を持つことができましたが、経験や能力に関係なく選ばれるため、必ずしも最適な人材が選出されるとは限らないという課題もありました。
 投票といえば、アテナイには、オストラキスモス(陶片追放)という独特な制度もありました。これは、独裁者の出現を防ぐため、政治的に有害と見なされた人物を追放する制度です。市民は陶片に追放したい人物の名前を刻んで投票し、一定数以上の票を得た者はアテナイから10年間追放されました。なぜ陶器の破片なのか不思議に思いますが、当時日常的に使われていたもので用意に手に入れることができ、名前を刻むことが簡単だったからのようです。投票用紙としては面白いですね。
 このように古代ギリシアの選挙制度は、市民が政治に参加する機会を提供し、民主主義の基盤を築きました。しかし、選挙の過程では腐敗や派閥争いが生じることもあり、選挙の公正さを確保するために、賄賂の禁止や選挙暴力の禁止、投票の秘密保持などの法律が制定されたとのことです。古代も現代も同じようなものです。




モンゴル帝国とシルクロード

2025-01-27 12:36:26 | 日記
 大相撲初場所でモンゴル出身の大関の豊昇龍が優勝決定戦で2度目の優勝を遂げ、横綱に昇進へ。モンゴルといえば広大な草原をイメージします。また、「世界一人口密度の低い国」といわれています。

 モンゴル帝国は、1206年にチンギス・ハンがモンゴル高原の遊牧民を統合して創設した国家です。その後フビライなどの後継者たちは、ユーラシア大陸全域にわたり領土を拡大しました。その領域は3,300万km2に至り、地球上の陸地の約25%を占める程であったということです。その主な構成国は、元朝、イルハン朝、チャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国です。それぞれが独自の文化や政治体制を持ちながらも、緩やかな連邦体制で結びついていました。
 モンゴル帝国は、交易路を整備し、商業を活性化させました。また、宗教的寛容政策をとり、イスラム教、仏教、キリスト教など多様な宗教を保護しました。シルクロードを通じた交易が活発化し、製紙技術や火薬、羅針盤などの技術や知識の伝播が進み、異なる宗教や文化が共存し相互理解が深まっていく時代であったようです。
 この帝国の広大な領土を繋いでいたシルクロード。東の起点は、中国の長安、西の終点は地中海沿岸のアンティオキアやローマといわれています。全長6,400km以上あり、「草原の道」や「オアシスの道」といった複数のルートがあります。砂漠や山脈を越える過酷な道のりを乗り越えるため、キャラバンと呼ばれる大規模な商隊が組織され、互いに助け合いながら交易を行っていました。当時の旅人たちの苦労が思い浮かびますね。
 シルクロードをたどったマルコ・ポーロは、日本を「黄金の国ジパング」と紹介しました。そのジパングの国技である大相撲でモンゴル出身の力士が活躍していることも、異文化交流の一つですね。