悠久の歴史のなかで・・・

gooブログを書きはじめて1か月になりました。いつも読んでいただき、ありがとうございます。

べハイムの地球儀「エルトアプフェル」

2025-02-08 12:41:58 | 日記
 子供のころ、地球儀を持っていましたか?現代の地球儀はデジタル化され、しゃべる国旗付き地球儀や宙に浮いているものもあるようです。

 15世紀から17世紀にかけての大航海時代、ヨーロッパ各国は遠隔地への大規模な探検と征服を行い、地理情報が飛躍的に増えました。1492年、ドイツのマルティン・べハイムは当時の知見を元に地球儀「エルトアプフェル」を作製しました。意味は「大地のりんご」だそうです。これは現存する最古の地球儀で、プトレマイオスの世界地図には描かれていなかったサハラ以南のアフリカの地形が記されています。しかし、コロンブスによるアメリカ大陸発見前のため、アメリカ大陸は描かれていません。地理的誤りも多くありました。西アフリカの海岸線の不正確さやカーボベルデ諸島の位置のずれ、大西洋の伝説の島々などがその例です。日本もマルコ・ポーロの旅行記に基づいて配置されたようで、カナリア諸島から到達出来そうな位置にあります。
 この地球儀はコロンブスの地球観とも一致して、彼が西に向かえばアジアに到達できると考えた理由がわかります。1492年当時の世界観を示す百科事典的な意義を持っており、科学史上非常に重要なものです。

 大航海時代を通じて、未知の土地の発見や測量が進み、より正確な世界地図が作成されていきました。地球の地形の全体像が次第に明らかになっていった時代でした。


ポイティンガー図

2025-02-07 14:24:47 | 日記
 旅行を計画する時は、ガイドブックを参考に行程を考えます。書店ではいろいろな旅行ガイドブックが並んでいて、どれを選べばいいのか迷います。

 ポイティンガー図は、4世紀のローマ帝国時代の地理情報を含む地図で、16世紀にポイティンガーが原図を基に複写しました。この地図には、道路、宿駅、交易所、鉱泉、巡礼地などが描かれており、実用性が高いのが特徴です。地図は一応北を上にして描かれていますが、都市間の距離を表すために方位が歪められています。距離は図の形からではなく説明文から読み取るようです。西はイベリアから東はインドまでを描いており、中央にはイタリア半島が東西方向に歪められて描かれています。
 この地図は、ローマ帝国の伝馬制度「クルスス・プブリクス」を表す実質的な道路地図で、旅行者は街道上に何がどれくらい先にあるかを知る必要があるため、目的地までの行程順を大まかな平行線のつながりで描写しています。クルスス・プブリクスは、ローマ帝国の国営伝馬制度で、皇帝アウグストゥスが、属州間の役人、メッセージ、税金などを移動させるために創設し、後に東ローマ帝国にも継承されました。
 ポイティンガー図は、ローマ帝国内を旅行する人々のために作成され、実用されていた地図なのですね。


プトレマイオス図

2025-02-06 12:33:06 | 日記
 パクス・ロマーナ「ローマによる平和」。2世紀のこの時代、ローマ帝国は最大の版図を拡大し、その人口は最大で7000万人にも達したとのことです。世界地図についてのお話の続きです。
 クラウディオス・プトレマイオス(83年頃-168年頃)は、150年頃に著した「地理学」において世界地図を掲載しました。この地図は、等間隔に引かれた経緯線が特徴で円錐図法が用いられています。アフリカは赤道付近まで、東方はインドより先のマレー半島までが描かれていて、世界観の広がりを感じます。しかし、当時は正確な時計が無かったため、東西方向の距離が実際よりも長めに描かれていたそうです。それから、インド洋が内海として描かれていて、アフリカとインドが繋がって描かれていました。これについてはアフリカとインドでワニやゾウなどの共通の動物がいたことからの誤解であるとする説があります。おもしろいですね。
 プトレマイオスの「地理学」には、世界地図1枚と地方図26枚が付けられていましたが、プトレマイオス自身が作成した地図は失われています。しかし、これらの情報を基に再構成され、現存する最古のプトレマイオス図は12-13世紀に制作されたものだそうです。描かれていたのは全世界の4分の1程度です。
 プトレマイオス図は、15〜17世紀の「大航海時代」になって注目を浴びるようになり、コロンブスやマゼランといった探検家たちが、この世界地図を頼りに、世界の海を航海するようになったといわれています。


地球の大きさ計測「エラトステネス」

2025-02-05 12:52:56 | 日記
 現在の世界地図のほとんどは、上辺を北にしているようです。でも、南半球の国では上辺を南にしているものもあります。また、仏教世界では西方浄土の考えから西が上になっているものが多いそうです。世界地図の話の続きです。

 紀元前3世紀のヘレニズム時代。ギリシャ人の学者のエラトステネスは、球形の地球を前提にした地図を作成しました。この地図は現存しませんが、ギリシア人地理学者ストラボンの『地理誌』によって復元されました。
 エラトステネス(紀元前275年-紀元前194年)は、エジプトのアレクサンドリア図書館を含む学術機関であるムセイオンの館長を務めた人物です。図書館で入手できた膨大な情報を元に、当時の世界地図の改良を試み、ロドスの街を基準に緯線と経線を引きました。この地図は長い間最高の権威を持つものとされたということです。
 地球が球体であることは、プラトンやアリストテレスが物理的・観察的な論拠をもって唱えていました。エラトステネスは、アレクサンドリアとシエネという街の距離と太陽高度の差を利用して、地球の大きさを初めて科学的に計測しました。その時の地球一周の長さを44500kmと計算していますが、実際の値である約40000kmにとても近く、古代としては驚くほど正確な結果でした。紀元前230年頃のことです。

歴史家ヘロドトスの世界像

2025-02-04 12:55:37 | 日記
 子供の頃、地図を見ながら地図記号を覚えたものです。世界の地図記号を調べてみると統一された基準はなく、各国それぞれ違っているようです。古代の世界地図について、三つ目のお話です。

 紀元前5世紀、ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前485年頃-前420年頃)は、小アジア、エジプト、フェニキア、バビロン、黒海北岸などを歴訪し、ペルシア戦争を主題にして自らの大旅行の見聞を交えた『歴史』を著しました。これは世界最古の体系的な歴史著述にあたり,「歴史記述の祖」と呼ばれています。その世界像は、カスピ海が内海であることなどが正確に書かれている一方で、ヨーロッパに関しては不正確な部分もあったようです。
 この時代になると、地図に空想を入れることは少なくなり、世界を取り囲む円海の存在はなくなっています。世界感が広がってきます。