ニュースで知らない地名が流れると、スマホで検索します。現代の地図は手元で直ぐに見ることができます。便利な時代ですね。日本の地図のお話です。
鎌倉時代から江戸時代初期にかけて、行基図と総称される日本地図が広まりました。最古の行基図は、1305年の銘がある京都仁和寺所蔵の『日本図』です。行基(668~749年)は、灌漑事業や架橋、道路建設に尽力した奈良時代の高僧ですが、行基が地図を作ったという記録はありません。
行基図は、丸みを帯びた各地の国々が重なって日本の形を形成している簡略的な地図です。地図と言えば北を上に向けたものを見慣れていますが、行基図は北が上になっているものはほとんど見られません。むしろ、多くは南を上に向けられており、掛け軸用に縦長に描かれたものにおいては、東か西向きになっています。地図の向きは統一されておらず、地図の上が北に統一されるのは江戸時代の17世紀以降だそうです。
行基図は、都に訪れた人々の案内図として利用されていた他に、追儺の儀式や厄除けとしても使われていたと言われています。
行基図は、丸みを帯びた各地の国々が重なって日本の形を形成している簡略的な地図です。地図と言えば北を上に向けたものを見慣れていますが、行基図は北が上になっているものはほとんど見られません。むしろ、多くは南を上に向けられており、掛け軸用に縦長に描かれたものにおいては、東か西向きになっています。地図の向きは統一されておらず、地図の上が北に統一されるのは江戸時代の17世紀以降だそうです。
行基図は、都に訪れた人々の案内図として利用されていた他に、追儺の儀式や厄除けとしても使われていたと言われています。