いろはのお酒は少なめB級飲食日記

2024年1月(新年)からブログ活動を一旦休止します!

妻さんの余命宣告を受けました

2024-07-29 04:04:00 | 日記

 

日本全国十数名のブログファンの皆さま。おはようございます・・・いろはでございます!!
(※今回は内容が少々がショッキングでありまして、ブロ友の皆さま・・コメントしづらかろうと思いますので、コメント欄は閉じさせていただきます。)

 

そして今回も記事がウザ長いです(笑)。約1万字書きましたので、通勤中のブロ友さまにおかれましてはご帰宅時にお読みください・・。

 

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さて、先日、かねてから妻さんが入院しておりました横浜市大市民医療センターの主治医さまより呼び出しを受けました。

 

 

お医者さま :『奥様の容態ですが・・あまり良くない状況でして・・この先のことをご相談したく、お会いすることはできませんか?ご本人に直接お話するのに少々判断に迷いまして、ご主人だけとさせていただきたく・・・。』

 

まぁ・・コレ・・ただごとではないよね・・・。

 

ベッドに余裕がない大学病院で入院期間が既に1か月に及んでいるのも異例ですし、それだけ妻さんの病状がどーしようもなく、そして重症ということでしょう。

 

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えーーっと・・ブログ記事で妻さんの状況ってどこまで書いたんだっけ・・・・??

 

X(旧Twitter)でもつぶやいていたんですが状況の推移をお話すると、5月中旬に食道全摘出の手術を受けまして、手術は難手術だったものの主治医さん医療チームのご尽力に無事成功いたしました。

 

手術後2週間で退院しまして、新しい生活が始まるのか!??と思っていたのですが、残念ではありますが新しい生活は僅か1月ほどで終わりとなったのでした。

 

手術後の通院で右胸に水(胸水)が溜っていることが判ってはおりましたが、コレは術後にも表れることなので経過観察していたのです。

 

しかしながら腫瘍マーカーの数値が異様に高いこと、あとは6月中旬には彼女は「大丈夫・・」しか言いませんが、あきらかにぐったりしている時間が多くなってきたので、6月末の定期通院日に妻さんに・・

 

『こりゃ・・入院の準備していってから行った方が良いね・・・!』

 

妻さんもそれ覚悟で通院したところ、右胸のレントゲン写真はほぼ真っ白でコリャヤバイ・・とうことで、その場で車いすを準備され、いつもの病棟にそのまま連行され(笑)緊急入院となりました。

これが6月末のことです。

 

いや・・けして笑ってはいけないんですが、その通院日は私も同行したんですが、主治医さんに開口一番

 

『この状態で歩いてここまで来たんですか!!??』って驚かれました。

 

どうやら、胸水で右胸がやられて酸素が取り入れられなかった状態らしい。

 

『午後から、同じマンションの✖✖さんから、偶には気分転換でクルマで横浜港シンボルタワーに行こうって誘われていたのに・・・。』

 

と悔しそうな妻さん(笑)・・苦痛感覚、苦痛耐性がが他の方より相当強い・・のですが、お医者さん&看護士さんとのご認識の差があるようです・・。

 

一刻も早く処置したい看護士さんと交渉し、『スミマセン、入院の準備を何も持ってきてないんで一旦自宅に帰らせてくだせぇ~~』と夫婦で土下座な勢いでお願いし、渋る看護士さんから1時間~2時間で戻って来ることを条件に外出を許されタクシー往復でそのまま入院となりました。

 

なんだかんだで、2024年1月から入院も5回目・・準備もあっという間で、いや・・こんなん慣れたくないんですが手慣れたもんです。

 

まずは胸水を抜かないと呼吸ができなくなって死んじゃいますから、即時手術同意書にサインして胸腔ドレナージを実施し対処処置に入りました。

 

7月25日現在、胸腔ドレナージは計4か所4回やっており、これは手術扱いになりますので妻さんとってもツラそうでしたね。

 

彼女曰く、兎に角痛いとのこと・・。後半は左胸もやりはじめたんでチューブが常時2本刺さっており、そこから吸水するのですが寝返りなんか絶対にできないですし、ちょっと動くと相当痛いみたい・・。

 

実はワタクシはもうこの頃から、まぁ・・正直・・こうなっちゃうとちょっと厳しいな・・とある程度の覚悟はしていたのですが、抜いた胸水を生検に掛けて貰ったら胸水から癌細胞が検出され、『がん性胸膜炎』と診断がつきました。

 

コレも超ヤバイ・・ということで、主治医さんに緊急で呼び出されたのが7月の初旬です。

 

当初は食道がん罹患だったのですが、この時点で肺がんのステージⅣとなります。

 

『がん性胸膜炎』も予後が非常に悪い癌で、胸水は対処しなければならないんですが、その原因となる癌にも並行して対処したいとのことで、現状取りうる最後の切り札の「免疫療法」・を即日実施することになりました。

 

ヤーボイとニボルマブ(オプジーボ)です・・。

 

その時の面談において私は抗がん剤の再使用も提案したんですが、

手術前に3クール投与したDCF(ドキセタル、シスプラチン、フルオロウラシル)が妻さんに効いてないという事実から免疫療法が支持されました。

 

ちょっと驚いたのは、お医者さんにとってはあの奏効で結果的に抗がん剤が効いていない・・って判断されるんだ・・・ということです。

 

昨年12月末からお正月には、水はおろか自分のつばさえ飲み込めなかった妻さんですが、抗がん剤を3クール投与して勿論頭の毛が抜けるとかの副作用はありましたが、手術前はフツーに食事が取れるまで回復したのと、食道上部に薄い膜のように広がった癌が消え去ったので、私は抗がん剤がとっても効いていると判断していたのです。プロのお医者さんと素人とは目線の違いがあるんですよね・・。彼らは「治癒」を常に意識していますし・・・。

 

さて、免疫療法についてです。

 

これ保険診療で一時期話題になったヤツで、当初は1年間投与すると3,500万円掛かるということで、保険適用負担でかなり議論になった薬です。(※2024年現在薬価は大幅に下がったようですが、その高額さから再発がんにしか保険適用にならないそうです。)

 

主治医さん曰く 、

 

『私はこの仕事20年以上やってきてますが、昔はこうなると(妻さんのような癌性胸膜炎になってしまうと)もう、そのままなすすべがなくできることがなかったんです。それがこの薬・・奏効率は僅か5人に1人の20%ですが、その20%に入ると1年・・5年と癌が治る訳ではないのですが、がんの進行がピタリと止まり、生存を続けることができるという昔では考えられない薬なのです!』

 

そして即日ヤーボイとニボルマブを投与して、並行して胸水をコントロールすることで退院を目指す・・という治療方針となりました。

 

だが、しかし・・更なる異変が起こったのが7月中旬のことです・・。

 

平日は毎日、私が面会に行っておりますので顔色の変化・・逆にとてもこの日は妻さんの顔色が良いな・・と思っていたのですが、どーもこれは発熱で顔が赤み掛かっただけで、ちょっと咳が多いな・・とは思っていたのですが、

 

レントゲン写真から「肺炎」になった・・とのことでした。

 

まぁ、胸に管が刺さっているし、炎症になりやすいし肺炎にもなりやすいよね・・と当初私は考えておりました。

 

食欲もなく、病院食をあまり食べなくなり、私がセブンイレブンのスムージーやらを差入れていて、彼女は割とフツーにしていたのですが、

 

おかしい・・どーも肺炎が良くならない・・。

 

フツーの肺炎なら抗生物質の点滴で熱も下がり快方に向かう筈なのですが、日に日に悪化している・・・そして熱も全く下がらない・・・。

 

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以上が、手術後から数日前までの経過です。

 

そして・・主治医さんからTELがあり、またまた呼び出されて

 

1日、1日と肺炎が拡がっていく・・抗生剤も全然効かない・・ということはこの肺炎にも癌が関わっているという状況しか考えられないとのこと。

 

妻さんは入院中は週に2~3回レントゲンを撮っており、その画像推移をモニターで見たんですが、本当に日に日に肺炎が拡がっているのです。

 

主治医さん曰く、状況的に判断して『癌性リンパ管症』でしょう・・とのこと。

そしてこの確定診断にはさほど意味はなく、日に日に悪くなる肺炎がとっても問題で、

 

 

『この状態になると、ほとんどの方が2週間から3週間でお亡くなりになります・・。』

 

とのことでした。

 

私の衝撃とか、感情は置いておいて、そんでどーするか・・??というのが今日の主治医さんと私のミーティングの主題です・・。

 

振り返ってみると、とにかくすべてにおいて我々の対処を上回るスピードで癌が進行しており、それに対応・対処が精一杯で癌が拡がるのを、また癌の悪性度の高い攻撃性に常に守勢となってしまったのが敗因です。

 

この辺りは進行がんに対する現代医療の限界でしょうね・・。

 

この日のミーティングは、最後に一時的にでも自宅に帰りたいか?帰るためにはどーするか?というのが主題となりました。

後は緩和ケアとしてのモルヒネの使用、心停止時の延命措置の可否です。

 

この日は7月26日金曜日だったんですが、今の状態で妻さんを退院させるには、介護ベット、酸素ボンベ、胸水管理、在宅医療体制の整備が必要とのことでした。

いま決断すると週明けの7/29(月)から病院側は動くことになるのですが、期間が課題になってしまうことです。特に器具類は整っても在宅医療の申請をしているうちに2週間は経過してしまうのでは?というのが主治医と私の共通意見となりました。

 

肺炎発症後、妻さんは既に酸素吸入を24時間実施しており、指先にセンサーを常時装着してナースステーションで酸素吸入状況を24時間モニタリングしてくれてます。

 

大学病院にいれば、あたりまえですがスタッフも24時間完備、辛い時の緩和ケア(モルヒネ使用)もナースコールで可能・・
メシが不味いという欠点(※これは妻さんの状況による主観だと思っとります。実際に私食べたんですがとっても美味しかった!)はありますが、『妻さんの辛さの緩和』、『我々の自宅での負担』を考慮すると、このまま市大センター病院にお世話になるのが良いと感じます。

 

胸腔ドレナージは例えば数日外したからといってどうこうなるものではないのですが、酸素が取れなくなるとスグにアウトなので、自宅に帰るのはちょっと厳しそうです。

 

主治医さん曰く、それを含めご希望があれば我々医療スタッフや出入りの器具メーカーも体制がありますし、全力でやります・・とのことですが、例えば妻さんだと久々の自宅でお風呂とかシャワーに真っ先に入ると思うのですが、そこで酸素不足で倒れたら、我々素人は何もできずに救急車呼んでアウトとなってしまいます。

 

いや・・それでも特に女性の場合は、最後に自宅でやり残したこととか片づけとかしたい・・等で帰宅を望まれる場合も多い・・とは主治医さんのお話・・。

 

5分程お話したのですが、私から『妻さんは絶対に大丈夫ですから、本人呼んで一緒に話して決めましょう!』としました。

 

数分で妻さんが車いすに乗って看護士さんに連れられてやってきましたが、表情には出していなかったのですが、居る筈のない私が朝からカンファレンスルームに居たので、まぁ驚いたでしょうね。

 

妻さんにもう一度状況と余命を説明する主治医さん・・。

 

自身の体調から、ある程度察していたのか妻さんは特に取り乱したり、感情的になることは全くありませんでした。

普段から自分の意見をあまり言わない妻さんですし、ワタシから妻さんと主治医さんに対して、

 

『基本ラインは、妻さんの苦しさ緩和のためにもこのまま入院でお世話になるとして、その判断を変えるのであれば月曜日以降こちらから病院側にお願いします。』ということを宣言しました。

 

おい・・もうちょっと喋れよ・・妻さん・・(笑)

 

そして、看護士さんにブザーを渡され、

 

『お二人でこのカンファレンスルームこのままお使いください。話し合いが終わられましたらブザーを押してください』とのことで、二人で事後のミーティングです。

 

主治医さんと担当看護士さんが出て行くと、

 

『とにかく、息がツラいから酸素吸入を考えると自宅には帰らなくて良い。やり残したことは特にありません。男ども(私、長男、次男)は全く心配していないし自力で十分生きていけるでしょ・・。だけど長女(中3)についてはとっても心配』とのことでした。

 

まぁ、↑↑で淡々と描いていますが、お互いに目から涙はでていましたね・・。妻さんは車いすに乗ってますし夫婦で抱き合うというのも変ですし・・(笑)

 

『銀行口座は何個かあって、どれも微妙に残高があるんで・・キャッシュカードの暗証番号はxxx・・・スマホのパスコードはxxxで事後に連絡するのはLINEのこのグループ。葬儀の希望はないんでテキトーにやって。』とのことでした。

 

この心の強さと拘りのなさ(笑)はホントこの方と結婚して良かったな・・と思います。

 

夫婦のラストミーティングは、妻さん病室に戻ってからも暫く続き、ワタシからも何を話して良いか判らないので、ここ数日の家庭内のできごと(長女が来週映画を見に行く、次男が明日横浜に来るよ!)とかを話していいたのですが、この日は平日で午前の仕事を全部キャンセルしており、午後からは都内で会合に参加しなきゃなので時間がなくなってしまいました。最後に私が妻さんの腕をさすって抱きしめようとしたんですが、

 

『なに触ってんの?まだ最後じゃないでしょ。さっき余命2週間を自宅じゃなくココ(市大病院)で過ごしながら奇跡を待つって言ってたじゃない・・。』

 

炎天下の中、私は泣きながら市大センター病院から阪東橋駅まで歩いて、地下鉄とJRで都内に移動したのでありました。

 

 

おしまい・・・。

 

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という訳で、ブロ友等の方々におかれましては、彼女のことを直接知る方もいらっしゃるので、該当ブロ友の方には事後にLINE等でご案内を差し上げる予定です。

 

予測的にはお盆時期前後になると思いますが・・こればかりは・・明確にはなりません。
恐縮ではございますすが、ご都合つけばベースで結構ですのでご参列を頂きたくお願い申し上げます。

 

そして、未だに夫婦2人上記の記事が笑い話だったという奇跡が起こり、皆さまとご一緒に呑み会ができる希望を捨てていません。

 

事前のお見舞いについては彼女の意志もあり、限られた身内のみとさせていただきたくよろしくどうぞお願い申し上げます。

 

また、8月のゴルフ・呑み会予定に複数エントリーしておりましたが、上記事情によりスケジュールを一旦すべてキャンセルさせていただきます。

この点もご関係者各位にご迷惑をお掛けし大変申し訳ございません。

 

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医療については、コロナ禍で正直医療業界には呆れておりましたが、癌への対応や・体制整備は凄く良くなっているし本当にスゴイと感じました。
時系列推移で振り返ると、的確な処置をしていただいて感謝しかありません。

ただ、妻さんの癌の展開がちょっと早すぎた。このスピードは全く想定外でした。

横浜市大市民医療センター各位には本当にイロイロとお世話になりました。ありがとうございました!!

個人的には会社の健保組合に多大な医療費を負担させてしまったことにちょっとだけ罪悪感を感じます・・。

 

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家族対応では、急遽、金沢から次男を呼び、今週は妻さんの妹さんも横浜に来ます。

とにかく子供達には妻さんに会いに市大病院に行ってあれこれ話しなさい・・と言っています。

限られた時間をどう過ごすのか・・とは思いますけど、人の死というのは廻りの人間を結びつける効果と記憶に残る効果があるんですよね。

 


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