ばりふりっと鳥羽 ~ぬくとまるバリアフリー観光地~

伊勢志摩バリアフリーツアーセンターより、鳥羽市及び伊勢志摩のバリアフリー観光情報を発信しています。

鳥羽市バリアフリータウンウォッチング~市民の森公園編

2018-07-19 09:05:43 | バリアフリー情報
こんにちは
伊勢志摩バリアフリーツアーセンターです。

7月18日(火)は、鳥羽市バリアフリータウンウォッチングを開催し、
当センターのスタッフが講師を務めました。

鳥羽市地域自立支援協議会、鳥羽市民生委員児童委員協議会障がい者部会の合同研修会です。


バリアフリータウンウォッチングはことしで3年連続3回目で、
1回目は鳥羽市駅前周辺
2回目は鳥羽市役所や議会場、文化会館
で開催。

3回目の今年は、市民の森公園周辺にある体育館や図書館、多目的トイレなどをウォッチング

参加者は障害者事業所、民生委員、市民代表で障害当事者など全部で約20名。
暑い中おたくさんの方がお集りいただきまして、ありがとうございました!


このバリアフリーウォッチングの目的は、
市内を歩いて、障がい者の方にとって段差や、障壁などにより、社会参加を妨げるものについて学び、
障壁をなくして行くための研修会。

特に鳥羽市体育館は、平成33年に三重県で開催される「第76回国民体育大会(三重とこわか国体)」の
フェンシング会場になっている鳥羽市体育館を全面改修するにあたり、
大会のためだけでなく、その後も市民に使いやすいものを目指そうと、広く意見を募集していることから、
この研修会で得られた皆さんの意見を届けたい!という想いもあります。

研修時間は13:30~15:30
集合場所は鳥羽市体育館。

連日の猛暑の中、安全を期すために、
冷房の効いた会議室でのレクチャーの後、
予定コースを1/4に短縮して実施。

冒頭には、鳥羽市中村市長も駆けつけてくださり、挨拶をいただきました!


ところで、市民の森公園の歴史を、皆さんご存知ですか?
このレクチャーの講師を受けるにあたり、ちょっと調べてみました。

まず、市民の森公園一体は干拓された土地を活用して昭和40年後半~50年代に整備されたもの。

干拓当時はこの一帯を「加茂干拓地」と呼んだそうですが、明治時代、「おあきさん」が元武士らと干拓を始めたそうで、
このおあきさんは、神鋼電気の家系で、
明治から昭和にかけては、資本・業務提携のあった神戸製鋼所がドック拡大のために干拓を始めるも、
技術不足と太平洋戦争で頓挫。

そして戦後。農水省が食料増産の農地干拓として埋め立てを再開したそうですが、
その後、昭和40年代に完成するも、食糧事情の回復で、農地が不要に。

そこで鳥羽市が譲り受け、当時の谷本市長の主導の元、
1969年(昭和44年)に鳥羽市初の都市公園として計画決定

現在この周辺を「大明西町(おあきにしまち)」、「大明東町(おあきひがしまち)」と呼びますが、
その名前の由来は、干拓者からだったんですねぇ。

その後
1973年(昭和48年)3月 鳥羽市民体育館と鳥羽中央公園相撲場が完成。
         同8月1日 高校総体の際、体育館で相撲協議が行われ、当時の皇太子ご夫婦がご来席
1974年(昭和49年)11月 鳥羽中央公園野球場落成
1977年(昭和52年)9月 鳥羽中央公園テニスコート完成
1979年(昭和54年)9月 鳥羽市武道館落成
1983年(昭和58年)11月 鳥羽中央公園陸上競技場落成
1987年(昭和62年)6月 鳥羽中央公園水泳プール完成
1989年(平成元年) 鳥羽市立図書館

(一部Wikipediaより引用)

だそうです。

私、常々思っているのですが、
鳥羽市の人口が一番多かった昭和50年代ですら、3万人弱のこの小さな市に、
これだけ設備が整ったスポーツ複合施設が整備されたことは、近隣市町村にも類がないのではと思っていました。

なんせ、市民の森公園周辺には、
・鳥羽中央公園
・鳥羽市民体育館
・鳥羽中央公園野球場
・武道館
・テニスコート
・相撲場
・プール
・多目的グラウンド
・図書館
・社会福祉法人 ひだまり
と、これだけの施設が整っているのですもの。
鳥羽市民は恵まれていますよね~。
...古いけど(笑)

タウンウォッチングのコースは予定では、
①体育館⇒②相撲場前トイレ⇒③野球場⇒④図書館⇒⑤市民の森公園前多目的トイレ⇒⑥市民の森公園
の予定でしたが、
猛暑の屋外での環境を考慮して、①⇒②⇒④のみを実施。



残りはその朝に撮影した写真をパワポにまとめて紹介しました。

この日は車いす使用者がいなかったため、
市民の方に車いす&JINRIKI体験をして、車いすの目線でのチェックも行いました。

体育館では、古いながらもバリアフリー改修がされて、車いすの方でも利用できるようになっている入口やトイレをチェック。

しかし、2階の観覧席へ行くには階段しかなく、
手すりも片方しか付いていないという不備も確認。

その他ピクトグラムのことや、入口ドアの形状の提案などがありました。


次の多目的トイレは、最近建てられたこともあり、設備が整ったバリアフリー仕様に、
みなさん高評価!

しかし、男女共、共用トイレの中にも車いすで入れる手すりが付いた広いトイレがあるが、
そこに表示されていないことへの指摘がありました。

図書館では、係の方からバリアフリー対応についての説明を受けた後、
各自で見学。

点字図書や拡大鏡など、視覚障害者に配慮されていることや、
車いすトイレの中は、オストメイトもあり、使いやすく改修されていることなどを確認。

しかし平成元年に完成された建物は、当時、まだまだバリアフリーへの認識の甘さもあり、
2階には階段しかなく、車いすでは行けないことや、
2階のトイレが男女が同じスペースの中にあったり、
建物前のスロープが急なこと、1階の談話室前に15センチほどの段差があることなど、
やはり障害のある方にとって使いやすい施設ではなことなどへの指摘がたくさん出ました。

特に図書館は、点字の蔵書や寄贈された本がたくさんあるにもかかわらず、
他の本のようにデータベース化がされていないとのことなので、
まずは、それから取り掛かっていただくようにアドバイスをさせていただきました。

タウンウォッチング後は、もう一度体育館の会議室に戻り、
班に分かれて意見をまとめてもらい発表。

これらの意見は、研修担当者を通して、鳥羽市に提言していただけるそうです!

今回も、なかなか有意義なタウンウォッチングになりましたのも、
参加者のみなさんの積極的な姿勢によるものであり、
深く感謝申し上げます!!

そして、準備をしていただいた鳥羽社協のみなさん、鳥羽市健康福祉課のみなさん、
ありがとうございました。


最後に、鳥羽市体育館トリヴィアを1つ。
ここに1979年3月20日。なんと、あのビックアーティスト 日本を代表するロックンローラー 矢沢永吉さんが
コンサートツアーの初日を、この鳥羽市体育館で飾ったそうです!

すごいよねぇ。
何の音響設備もない中。
ステージも狭いよ~。

当時の永ちゃんのおっかけには、いわゆる「つっぱり系」の方々も多く、
「ぶるん、ぶるん」とマシンをうならせながら駆けつけたファンも多かったことでしょーねー。
嗚呼、昭和だ~。 




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