☆『愛「欲」から愛「情」を経て、愛に昇る「生の土台の思いを否定せず光に変える』愛の錬金術とは!
ある若いスピリチュアル探求者が、
「どうしても恋人への欲望と執着が
消えない」と悩んでいた。
「欲」は、人間が肉体を持って生
きるための「大いなる存在からのギフト」。
だから
男女の『愛「欲」や愛「情」は、
「意識進化の流れの中で、自然」
(爬虫類脳と哺乳類脳)に組み込ま
れている』もの。
スピリチュアル指導者たちが、
いくらアセンションや目覚めという
天の話をしても、
『地に足のついた、日常生活を行
っている在家者にとって、
「絵に書いた餅」の感覚から抜け出
すことは至難の業』。
人間は皆☆☆☆『生存を維持しなが
ら、人間関係の中で「認められたい」
という『願望が湧くように☆創られて
いる』のだから。
乙女たちが男女の恋愛を夢想するよ
うな「甘い欲求」が、激しい痛みにな
るのは当然。
地球の引力を離れ大気圏外に出ると
きの☆『「意識」圧力』のように。
※「体感しないと」『それ』はリアル
に感じられないもの。
マスターたちが語る多くの言葉は
『机上の空論に聞こえるから、在家
生活をおくる人達の「路上の現実に
対応できない」』。
特にコロナ禍で、世界大恐慌が迫る
激変の時期には。
マスター親鸞の非僧非俗の道は、
まさに『そこを出発点としている』。
『外側からの刺激、世間から隔絶
された』出家生活は★『「浮き世離
れした箱入り僧侶」だから集中修行
できる』に過ぎない。
「世間知らずのお嬢さん」のように。
☆☆☆『現象世界の「人間関係」の
煩悩波動に触れない』から、
美しく汚れのない「ように」幻想的
に見えるだけ。
それは『「定められた環境・ルール」
の中の道理』だ。
「非僧非俗」とは、
(宗教を)スポーツに例えるなら、足を
使う競技のルール(欲望否定、女人禁制など)
が苦手な人々が、
『手でボールを掴んでも(欲望を否定
せず「意識的に」受け入れながら)
☆☆☆「ゴール(目覚め)」すれば
いいという、
★「人間のルール・環境設定に縛ら
れない」他力(大いなる存在)に委ね
る道』だ。
「人々の間」で、日常を生きて目覚
めることは、
『「欲望と情が渦巻く」泥の中で蓮
の花を咲かせるため「道なき道を切
り開く」こと』。
『それ』にマインドの綺麗事は、
通用しない。
生きる土台(生存欲求・脳幹)と
愛の土台(情・大脳辺縁系)を否定せず、
天に繋げる(人間脳・大脳新皮質)のが、
『A M S 全脳統合ワーク(livedoorブログ・参照)』。
生きるための基盤になる思い
『欲から始めて光に変える』愛の錬金術で。
合掌
『「宗教なき科学」と「科学なき宗教」はどちらも不具』を
コンセプトに創始した
アインシュタインモデル心理学(A M S ・宗教理学)については、
『「無努力変容法則」を検索してlivedoorブログ(理論・ワーク)とgooブログ「愛の錬金術」(質疑応答)、「愛の錬金術2」(最新ワーク)をGoogle検索』して御覧下さい。
LFN事務局 伊藤