☆『愛は「どちらでも在り、どちらでもない」真理の想い』★【指導者重要・理学講義】

2021-04-27 19:55:59 | 精神世界・心理学・人生相談・自己啓発ボディワーク


★【指導者重要・理学講義】

☆『愛は「どちらでも在り、どちらでもない」
 真理の想い』





 仏教ではよく「刺さった毒矢をすぐ
抜かない」例えと

「川の水がある場所を教えても水を
飲まない」例えが説法される。

       多くの人達は

 この例えに✦✦✦『疑問を感じる眼を持って
いない』。

         これは

 「コップの中の水を一度空にしないと
新しい水は入ってこない」という

      ✦✦✦過去の時代のマスター洗脳

 前時代の存在の無智なるサレンダーの「教え」。


 AMS(アインシュタインモデル心理学)は
違う道(TAO)。

 例えば、川の水がある場所に行っても
「飲める水か確かめなかったら腹を壊す」
かもしれない。

 毒矢はすぐに抜いて毒を出すことは必要だろう。

          しかし

 「矢が刺さったからとすぐに抜いたら
出血が止まらなくなる」可能性がある。

          それと同じで

 コップの水を全て「空にしなくても
☆☆☆真水をコップに注ぎ続ければ」

 『コップの水は✧✧✧「自然に」
全て入れ変わっている』はず。

          ただ

 『真水が注がれる勢い✡(本気)で
水が入れ変わる(目覚め)スピードに
違いが出てくる』が。


 あなた達は指導者、マスターと言われる
人達の言葉を鵜呑みにし過ぎている。

         『それ』は

 バクテティ、マスターへの全託、サレンダーと
言われる『風の時代以前のカビの生えた教え』だ。

          確かに

 マスターに身を委ねることは
✦✦✦✦『脳波同調が生じやすくなるから、
自己変容しやすい』安易な方法。

          しかし

 他者を目覚めに導くことができる
☆☆☆☆☆『マスター、指導者としての
智慧が生じることが困難になる』。

          『それ』は

 大いなる存在・自然、宇宙が
あなたに付与した☆☆☆☆☆『神の力、創造力と
✧✧✧✧✧問いかける

✡「人間脳」(大脳新皮質)を眠らせた
まま目覚めさせることがなくなる』からだ。

 禅マスター臨済の『「仏に遭ったら仏を殺し」、
「マスター(祖)に逢ったらマスターを殺し」という
例えは、

☆☆☆☆☆『人間脳を覚醒させる✡「左脳限界を
超えるための問いかけ力」を
最大限界まで引き出す✡「公案の秘伝」』。

         『それ』は

 『あらゆる善・悪、良・否、いい・悪い
という☆☆☆☆☆「価値観を超えている」』。

『「どちらでもあり、どちらでもない」
✧✧✧✧✧非二元・愛そのもの』。

 無努力変容の愛の錬金法であるTAOだから。
                      合掌
 叡空拝