★【指導者重要・理学講義】
真理の想い』
仏教ではよく「刺さった毒矢をすぐ
抜かない」例えと
「川の水がある場所を教えても水を
飲まない」例えが説法される。
多くの人達は
この例えに✦✦✦『疑問を感じる眼を持って
いない』。
これは
「コップの中の水を一度空にしないと
新しい水は入ってこない」という
✦✦✦過去の時代のマスター洗脳
前時代の存在の無智なるサレンダーの「教え」。
AMS(アインシュタインモデル心理学)は
違う道(TAO)。
例えば、川の水がある場所に行っても
「飲める水か確かめなかったら腹を壊す」
かもしれない。
毒矢はすぐに抜いて毒を出すことは必要だろう。
しかし
「矢が刺さったからとすぐに抜いたら
出血が止まらなくなる」可能性がある。
それと同じで
コップの水を全て「空にしなくても
☆☆☆真水をコップに注ぎ続ければ」
『コップの水は✧✧✧「自然に」
全て入れ変わっている』はず。
ただ
『真水が注がれる勢い✡(本気)で
水が入れ変わる(目覚め)スピードに
違いが出てくる』が。
あなた達は指導者、マスターと言われる
人達の言葉を鵜呑みにし過ぎている。
『それ』は
バクテティ、マスターへの全託、サレンダーと
言われる『風の時代以前のカビの生えた教え』だ。
確かに
マスターに身を委ねることは
✦✦✦✦『脳波同調が生じやすくなるから、
自己変容しやすい』安易な方法。
しかし
他者を目覚めに導くことができる
☆☆☆☆☆『マスター、指導者としての
智慧が生じることが困難になる』。
『それ』は
大いなる存在・自然、宇宙が
あなたに付与した☆☆☆☆☆『神の力、創造力と
✧✧✧✧✧問いかける力
✡「人間脳」(大脳新皮質)を眠らせた
まま目覚めさせることがなくなる』からだ。
禅マスター臨済の『「仏に遭ったら仏を殺し」、
「マスター(祖)に逢ったらマスターを殺し」という
例えは、
☆☆☆☆☆『人間脳を覚醒させる✡「左脳限界を
超えるための問いかけ力」を
最大限界まで引き出す✡「公案の秘伝」』。
『それ』は
『あらゆる善・悪、良・否、いい・悪い
という☆☆☆☆☆「価値観を超えている」』。
『「どちらでもあり、どちらでもない」
✧✧✧✧✧非二元・愛そのもの』。
無努力変容の愛の錬金法であるTAOだから。
合掌
叡空拝