私が知る限り、那古野神社の祭は、若宮八幡社の祭と同日に行われ、祇園祭と称されていたかと思いますが、太平洋戦争の戦災に遭い、以前と同じ祭りが行えなくなり、現在は、神輿渡御をメインとして行われています。私は、那古野神社祭を見に行き、写真に収めて今も画像を保存して持っていますが、写真を題材にして、那古野神社祭の絵を描こうとしましたが、何を描いたらばという事にて困っていました。今回、以前、描こうと思っていましたが、描く事が難しく諦めていた絵を描く事に決めました。それは、『尾張名所図会』に掲載されている、「天王祭 片端試楽」と題した絵です。私は、江戸時代の女性の服装と髪型、男性の服装と髪型を多く描いてはいません。描くに苦労したのはその一点です。何とか描き上げた絵掲載します。
那古野神社は、天王社の名称にて、名古屋城の三之丸に建っていました。その後、亀尾天王社に変わり、2024年現在は、那古野神社になっています。また、三之丸は軍用地に変わり、那古野神社は、藩校明倫堂跡地に建てられています。