1957年(昭和32年)に起きた諫早大水害では、死者・行方不明者580人
以上の犠牲者が出た。眼鏡橋は欄干の一部が損傷しただけだったが、
眼鏡橋がせき止めた流木やがれきが、水の流れを変え、被害を拡大した
との指摘がなされた。水害後の復興策では川幅拡張工事に
合わせ爆破解体する案も浮上したが、当時の野村儀平市長らが街の
シンボルかつ文化財として保存することを強調、さまざまな働きかけで
1958年(昭和33年)、日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定された。
このため、1959年(昭和34年)から1960年にかけて諫早公園への移設工事が
行われ、今日も美しい姿を水面に写している。移設工事時に石工たちが
参考資料として作った1/5モデルが埼玉県所沢市のユネスコ村に移された。
この「ミニ眼鏡橋」は目の前の高城公園に移設された。(ネットより引用)
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御書院は、諫早家初代・龍造寺家晴公がかつてこの地に構えた、
壮大な屋敷にあった建物の一つ。建物はもう残っていないが、
約6700㎡もの広大な庭園が現代まで受け継がれてきた。
江戸末期のものと
想定される、池を中心とした回遊庭園には、太鼓橋や月見灯籠、
大きなクスノキなどがあり、趣ある往時の姿をしのばせる。
そんな御書院を含む約1.3kmの緑の散策路・高城回廊もまた、
木製のチップが敷かれた道はふかふかと心地よく、
小川のせせらぎや鳥のさえずり、緑のさざめきに包まれながら、
のんびり散歩をする人々の姿がほほえましい。(市の広報より)
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山には大きなグミの木があるが、それを挿し木から育てた鉢植にグミが生りました。
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