☆おっさんだいあり~☆彡

一度きりの人生、思い残すことなく綴りましょうか

平成の終わりに思うこと

2018-12-10 14:26:23 | 日記
30年前に昭和の終わりを経験しました。
そして、来年は平成の終わりが待っています。
人生100歳時代を信じるならば、人生の約3分の1ずつを昭和、平成で過ごし、残り3分の1を新しい元号の時代に生きることになるわけですが・・・

昭和の時代が終わったときに感じた感覚と、平成が終わる今感じる感覚には違いがありますね。
それは、私の場合、生まれ育った(育てられた)時代と大人になって子供を育て、会社で次の世代を育てた時代の違いですかね。
物心ついてから成人するくらいまでの20年と成人してからの20年では、感性に大きな違いがあるように思うんです。こどもの頃は、目や耳に飛び込んでくるもの、音、が全て新鮮で、体全体で感じ取っているというか、自分なりに理解、解釈しようとしているんですよね。なんていうか、純粋にすべて吸収する勢いっていうものがありましたね。入ってくる情報を選別はしないんですよね。全てまず受け入れるっていうかんじでしたね。そこから、自分に必要な情報とそうでない情報がわかってくるんですよね。
現代のようにインターネットなんてない時代ですから、情報は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌が主流でした。テレビ、ラジオの影響力は大きかったですし、新聞もメディアとしては大きな影響力を持っていました。こども新聞なんてのもありましたね。

昭和はアナログの時代、平成はデジタルの時代、その次は、・・・
調べ物は、百科事典、辞書は、重たい国語、漢和、英和、和英、全て紙の本でした。スマホも電子辞書なんてのもありませんから。辞書は一度調べたところにに赤い棒を引いていきました。だんだん、赤いところが増えていって、赤いところがないページがあると悔しかったりしたもんです。それとともに辞書も手垢で汚れて、よれよれになって手になじんできたりして、そんなことが楽しみだった時代でした。昭和が終わる数年前に社会人になった私は、コンピュータソフトウェア開発の仕事に就きました。そのころ、パソコンはおろか、ワープロ専用機すらなかった頃でした。大型汎用機の端末が事務所の片隅に2,3台置かれているだけで、白黒画面でしたね。音楽はレコード、オープンリールデッキでしたが、ようやく、カセットテープが主流になりました。学生時代は、貸本屋、貸しレコード屋、にお世話になりました。今でTSU●●YAの走りですね。車はボンネットをあけるとキャブレターがあり、プラグをはずして磨いたものでした。人の手で直せるものがおおかったですね。電話はダイヤル式の栗電話がどこの家にもありました。

平成に入ると、デジタル化が進みました・・・
電子辞書(ザウルスなんて流行りましたね、今のスマホの原型にもなりそう、手書き入力までできてた)車は電子制御でキャブレターがなくなりました。カーステレオはカセットからMD、CDへ進化、大きなLPレコードがしめていたスペースはCD化で一気に省スペースが実現。パーソナルコンピュータの時代が来て、我が家にもPC98やMacintoshがやってきました。それでも当時はフロッピーで起動するアナログな時代でした。

うーーん、続きはあしたにしよう・・・

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