和歌は、男女の仲の恋文であったりするのですが、中小路駿逸先生は、居所(内側)から、外部の境界を読むもので、決して宮殿のすばらしさや大仏の大きさを称える歌はないとおっしゃっております。あくまでも、「ここで大事なことは、その区域 ー あるいは区域の境界 - が、外がわからでなく、内側から確認されるものであったことである。」
内部(建物の内部)から外部を歌うという日本人には、そのような居処観があるという見解です。
一方、中国の漢詩では、日本と違って、宮殿や建物のすばらしさを読む漢詩があるそうです。今回、「令和」という元号が、万葉集の歌を基にして、決定されたとういうことで御紹介します。
なお、「令和」は、中国の『文選』にあるという見解がありますが、漢字そのものが中国から伝えれたものであり、かつ、元号制度も中国大陸が起源ですので、その見解は無視して良いと思います。あくまでも、国書からの選定に意義があるのでしょう。
「古人の心にあったもの、それは、要するに区域であった。特別な区域 ー 住民によって領され、境界によって内外に分かたれ、外からはおびやかされず、内にはやすらぎのある、結界のなかの世界 ー であった。それこそ、古人は歌っているのである。」(中小路駿逸著『日本文学の構図 - 和歌と海と宮殿 ー』31頁~32頁、昭和58年6月10日発行、桜風社発行)。
“結界”と聞けば、陰陽師ですね。