過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)

 

【プロレス事件簿】アントニオ猪木・新宿伊勢丹前襲撃事件
 2020(令和二)年12月07日(月) 12/07 07:34
‡1973(昭和48)年11月5日(月)、突然その事件は起こった。新宿伊勢丹前で猪木は当時の夫人で女優の倍賞美津子と買い物をしてる時に、タイガー・ジェット・シンと数名の外国人レスラーに襲われるという事件が起こった。不意をつかれ猪木は頭部を負傷、大流血となる。パトカーが出動する騒ぎとなる。シンは宿泊先の京王プラザホテルに逃走。そのあとを警官が追ってきてシンらは、ホテルに缶詰になった。この事件は当時、一般の新聞紙の社会面を飾った。事件後、猪木はコメントを発表、「シンは告訴しません。リングの上で制裁を加えてやる!」と発言。このあと猪木とシンは壮絶な抗争に突入する。この事件で無名のタイガー・ジェット・シンというレスラーが全国区のレスラーになる。ちなみにこの事件をきっかけに新日本プロレスの観客が増えた。当時まだ馬場全日本プロレスに遅れをとっていた新日本プロレス。この事件が起爆剤になったのは言うまでもない。今では、考えられない事件が起こっていた昭和の新日本。凄いの一言である。
 https://note.com/shin_miya/n/n43e178523a0a
 映像◆【プロレスラー列伝】タイガ・ージェット・シン・・・「新宿伊勢丹前襲撃事件」「猪木、腕折り事件」https://youtu.be/Nj-VZ6oiL5w
‡1973(昭和48)年11月5日(月) 07:14 新宿伊勢丹前襲撃事件
 1973(昭和48)年11月7日(水) 08:32『東京スポーツ』宵の新宿で猛虎シンと乱闘事件「俺は被害者」負傷Yさ猪木怒る 決着はリングで・・・
 1990(平成二)年09月30日(日) A猪木デビュー30周年興行 猪木のタッグパートナー・シン
 
「襲撃事件」と「腕折り事件」
1973年11月5日、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中にビル・ホワイトら外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で襲撃し、猪木はガードレールやタクシーのボンネットに頭からぶつけられ負傷・流血した。平日の夕刻、大勢の帰宅客で賑わっていた最中での出来事であり、一般の目撃者から警察にも通報された。
新日本プロレスに対する四谷警察署の対応は、「本当の喧嘩であれば猪木はシンを傷害罪で告発し、被害届を出せ。やらせであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で新日本プロレスを処分する」という厳しいものだった。これに対し新日本プロレスは、「やらせではない。シンは契約選手なので傷害罪で告発することは出来ないが、騒ぎを起こしたことは申し訳なく、お詫びなら幾らでもする」と始末書を提出し、事件は新日本プロレスに対する厳重注意で収まった。
この事件はプロレスファンから広く一般まで話題となり[8]、シンは本当に狂っているのではないか(後述)という印象を強く与えた。以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎討ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。
それまでの猪木のファイトは正統派スタイルを売りにしていたが、対シン戦で猪木が見せた喧嘩ファイトは猪木の新たな魅力を引き出し、ファンの増加をもたらした。またシンという絶対悪が存在する限り、日本人受けが良いとされる勧善懲悪の世界を築くことができた。これら一連のシン効果により、新日本プロレスはメジャー団体への階段を昇る。
1974年6月、NWF王者猪木(当時)とのタイトルマッチ2連戦は、両者の遺恨がピークに達した試合と後に語り継がれる。同年6月20日東京・蔵前国技館においてシンは、猪木の顔面に火炎攻撃を仕掛けサーベルで滅多打ちにした。猪木はタイトルこそ反則勝ち防衛したものの、左目と頭部を負傷した。その傷が完治しないまま6日後の6月26日大阪府立体育館での60分3本勝負は、1本目がシンの徹底した反則攻撃により猪木は大流血。2本目に猪木の怒りが頂点に達し、シンの右腕に狙いを定めると鉄柱攻撃やアームブリーカーなどで集中的に攻め続けた。最後はシンの右腕を骨折させ、ドクターストップの末猪木がタイトルを連続防衛し、ここに両者の遺恨に一旦終止符が打たれた[9]。
双方の攻防は、いずれも一歩間違えればレスラー生命に関わる激しいものであったが、両者には互いが共栄していくためには、超えてはならない一線を超えることも是とする暗黙の了解があったとされる。当時
後年新宿伊勢丹襲撃について、各関係者は以下のように証言する。
ミスター高橋-猪木夫妻が了解済みのアングル作りであった[10]。
ビル・ホワイト-「やらせと本物のケンカ、どっちも正解だ。当時の新日本プロレスに密告者がいて、プライベートの猪木を襲ってみてはとけしかけられたのは事実だ。ただし我々はある程度良識の範囲内での襲撃を想定していたのだが、途中からシンが本気になってしまった。『オレ(シン)は世界一のヒールになるんだ』とあの日のシンは間違いなく理性を失っていた。」とシンの予定外の暴挙が騒動に発展したことを明かしている。
アントニオ猪木-「会社の誰かが俺のスケジュールをシンに教えてけしかけていた可能性はあると思う。あの頃、新日本プロレスの社員はみんな必死にいろんなことを考えていたから、俺に内緒でそういうことを仕掛けるくらいのことはやりかねなかった。」[11]
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 ┃ 11B-X-1371 ┃
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 2015(平成27)年10月12日(月) 記事投稿
‡2016(平成28)年11月05日(土) 2016年アメリカ合衆国大統領選挙の3日前、ライトは自分の Facebook ページに「110A30213」と題する新作動画をアップロードした。この動画は、ライトが独裁者または将校のような衣装を身に着け、群衆に対し演説するという内容だった。クラビシュラーはこの動画から「非常に政治的」との印象を受けた上で、アメリカ大統領選に関係するメッセージである可能性があると分析した。さらにクラビシュラーは、ライトが Facebook に動画を投稿した日付は、ガイ・フォークスに関する一節( "Remember, remember, the 5th of November" )を示している可能性があると考えた
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/11B-X-1371
 https://www.buzzfeed.com/jp/kylaryan/dont-read-after-2am
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 ┃    George Edward Foreman   ┃
 ┃ ジョージ・エドワード・フォアマン ┃
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 1949(昭和24)年01月10日(月) Born
 1974(昭和49)年10月30日(水) キンシャサの奇跡:ザイールのキンシャサで、元王者モハメド・アリと3度目の防衛戦を行う。序盤から圧倒的に攻め続けながら、ロープ際で防御を固めるアリの戦法(ロープ・ア・ドープ)にはまり体力を消耗。8Rに逆転KOされ王座から陥落、41戦目キャリア初黒星。1年以上休養した後、
 1976(昭和51)年01月24日(土) Ron LyleとNABFヘビー級決定戦を行い、ダウンの応酬の末5RKO勝利する。その後、フレージャーとの再戦(5RTKO)を含めて4連勝
 1977(昭和52)年03月17日(木) 勝てばアリへの再挑戦権を得る試合にこぎつける。場所はプエルトリコ・サンファン、相手は格下のJimmy Youngだった。一方的にヤングを攻めたが、その日は異常に暑く、試合中盤に失速し、最終ラウンドにダウンを喫して判定負け。ヤング戦の試合後ロッカールームで昏倒し、イエス・キリストの存在を感じる神秘的な体験をしたことを契機に、キリスト教に目覚める。28歳でボクサーを引退し、キリスト教の牧師に転身する
  THE CHURCH OF THE LORD JESUS CHRIST
 1987(昭和62)年03月09日(月) スチーブ・ゾースキーを4RKOし復帰戦を飾る。現役復帰を発表した時は、10年のブランクに加え、体型も明らかに肥満していたため、多くの人々は「正気か?w」と嘲笑したが、復帰後24連勝してヘビー級タイトル戦線に再浮上する(マイク・タイソンとの対決もされたが実現せず)
 1991(平成三)年04月19日(金) 'The Battle of Ages'(世代の対決)と題された一戦でイベンダー・ホリフィールドの持つWBA・WBC・IBF世界ヘビー級王座に挑戦。14歳年下の王者を相手に激しい打ち合いを展開し、判定負けするも称賛を受ける
 1993(平成五)年06月07日(月) トミー・モリソンと空位だったWBO世界ヘビー級王座を争うが、大差の判定負け。その後1年以上ブランクが続き、引退も囁かれる
‡1994(平成六)年11月05日(土) WBA・IBF世界ヘビー級王者マイケル・モーラーに逆指名され、復帰後3度目のタイトルマッチに臨む。劣勢の中で10Rに逆転の右ストレートでモーラーをKOし、20年ぶりにヘビー級タイトルへの返り咲きを果たした。45歳9カ月での戴冠はボブ・フィッシモンズ(ライトヘビー級)の40歳3カ月を上回る最年長王座獲得記録となった(2011年にバーナード・ホプキンス(ライトヘビー級)が46歳4カ月で更新)。勝利の瞬間、フォアマンはコーナーポストの前で跪き、神に感謝したヨ(=^◇^=)
 1996(平成八)年11月03日(日) 東京ベイNKホールでクロウフォード・グリムスリーと対戦し(JBC非公認試合・日本IBF協力)WBU王座防衛とともにIBA世界ヘビー級タイトルを獲得(その後、IBAタイトルを返上)
 1997(平成九)年04月26日(土) ルー・サバレーセを破りWBU王座を防衛するがこれも返上
 1997(平成九)年11月22日(土) WBC世界ヘビー級王者レノックス・ルイスへの挑戦権をかけてシャノン・ブリッグスと対戦し、12R判定負け。以後、リングから遠ざかるが、正式な引退表明はしていない。また、自らの名を冠したバーベキューグリル「George Foreman Grill」をヒットさせ、TVドラマやCMに出演するなど、ビジネスでも成功を収めているヨ(=^◇^=)
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・フォアマン
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 沢木耕太郎 スポーツ・ドキュメント 奪還~ジョージ・フォアマン45歳の挑戦~
‡1995(平成七)年02月19日(日) No.800 
 https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=special027
 映像◆奪還~ジョージ・フォアマン45歳の挑戦~https://youtu.be/uDKqT6XLpIA
 2017(平成29)年04月06日(木) アップロード
 2017(平成29)年10月15日(日) 追記:熱いファンの方に喜んでいただけて何よりです。実はフォアマンって、ベルトを取らない限り自分をどう変えても満たされることはないと知っていたんだと思います。そして、心の底から「ベルトが欲しい」と思える何かを求めていた。財産を持ち逃げした会計士は許せても、寄付してくれた人たちに「もっと出せ」と言った人間は許せなかった。これがフォアマンの心に火を点けたんだろうと思います。長い長い回り道を経て、若いころよりも人間的にはるかに「BIG」になったフォアマン。強打を振り回せば相手が勝手に倒れてくれるというような第一期フォアマンより、苦しいときには守り、出るべき時に出ることを覚えた第二期フォアマン(つまりこのころ)の方が、うp主は好きです。王座陥落から返り咲きまで20年というような記録は、今後しばらく出ないでしょう。気がつけば、うp主はこのときのフォアマンと同じ歳になってました。でも彼のおかげで「年齢が年齢だから」というのは諦める理由になっていないと学び、感謝しています。世界一多くの人に希望を与えた伝道師フォアマンに神のご加護があらんことを願います。
 

 礼も過ぎれば無礼になる
‡2007(平成19)年11月05日(月) 今日のことわざは「礼も過ぎれば無礼になる」です。度を越した礼儀は却って失礼になる、という意味の素直なことわざです。自分は生活のほとんどの場面で丁寧語か敬語を使うような癖がついてしまっているので、ちょっと気になることわざではあります。せいぜい無礼にはならん程度の丁寧さを心掛けているつもりでは居るのですが。礼儀の使いどころをいちいち考えるのが面倒なので、一律どこでも通用するレベルの敬意を常に払っているだけに過ぎない、ってのが裏の事情です。場面場面で言葉遣いとか態度とかを改めるのは、結構大変だと思うのですがどうでしょうか。それくらいなら常日頃から適度な・・・中の上くらいの礼儀を具えておくほうが、結果として楽なんじゃないかと思うわけです。最近微妙に気になるのは、電気屋の店員さんがとっても丁寧な接客をしてくれる、のは良いのですが、どうもそれが度を越しているんじゃないか、というあたりのことです。レジに長蛇の列ができてるのに、わざと(に見える)もったいぶったようなレジの打ちかたをしたり、商品を袋詰めにする動作にも急ぐ様子が見られなかったり、ヒトに依っては丁寧に見えるんでしょうけど、どうも自分には慇懃無礼に見えて仕方ありません。客商売ってのにこそ、とにかく礼づくしにしてごまかすんじゃなくて、適度な気持ちの良い応対が必要になるのではないかと。例えば老舗の八百屋さんとかは、ほとんど礼儀らしいものは見られないことが多いですけど、それに不快感を覚えることは無いですよね。そういった適度さは見習うべきなんじゃなかろうかと。と偉そうなことを言えるほど客商売に通じているわけでは無いのですが。きっと電気屋には電気屋の接客ルールみたいなものがあるんでしょうね。礼を過ぎれば無礼になる、ってのは字面以上にいろんな意味が込められているのかも知れません。いや良く分かりませんが。 
 https://omoikomi.exblog.jp/6765600/

 わいせつ行為をライブ配信の男女3人逮捕 収益4億8700万円か
‡2019(令和元)年11月05日 火曜 午後0:40
 インターネットサイトで、わいせつな行為をライブ配信した疑いで、男女3人が逮捕された。内山隆志容疑者(38)や吉野まこ容疑者(23)、村上遥容疑者(24)の3人は、2019年8月と10月、インターネットサイト「FC2」で、わいせつな行為をライブ配信した疑いが持たれている。内山容疑者は、吉野容疑者を働いていたガールズバーで勧誘し、内山容疑者は、FC2側からおよそ5年4カ月の間に振り込まれたおよそ4億8,700万円の一部を、わいせつ行為を配信した吉野容疑者らに報酬として渡していた。警視庁の調べに対し、内山容疑者は、容疑を一部否認している。
 https://www.fnn.jp/posts/00426717CX/201911051240_CX_CX
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 六本木で子ネコ救出大作戦 発見から26時間 奮闘の末
‡2019(令和元)年11/05(火) 19:59配信
 外国人観光客に人気のスポット、東京・六本木。その六本木で、小さな命をめぐって、大規模な救出劇が行われた。パトカーや消防車が駆け付けた、夜の東京・六本木。事故か、それとも事件か。その緊迫の現場で見つかったのは、生後2カ月ほどとみられる子猫。カメラは、その救出劇の一部始終をとらえていた。鳴き声が聞こえてきたのは、東京・六本木。そこは、高さ10メートルほどある、首都高の高架部分で行われている工事現場だった。どうやら、下りるに下りられなくなってしまったよう。そこで、動画を撮影した柴田由美子さんは、まず、SNSでSOSを発信。そして、
 10月26日(土)午後10時ごろ、119番通報。10分後、警察と消防が駆けつけたが、救助するには、工事関係者の立ち合いが必要ということで、出直すことに。この日は断念。子猫は無事なのか?
 10月27日(日)翌日、柴田さんが現場に戻り、1人で捜していると...。
 柴田さん「あるお兄さんが通りかかって、『ネコ ネコ ネコでしょ』、『ツイート見たよ』っておっしゃったんですよ」救出を呼びかけたSNSを見たという男性も駆けつけ、再び消防に子猫の救助を要請した。現場には、警察や消防のほか、工事関係者も駆けつけ、協力。救出作戦の切り札、高所作業車も投入された。そして10分後。発見からおよそ26時間、ついに子猫は無事救出された。無事を願う多くの人の協力で救い出された子猫は「らら」と名づけられ、現在は柴田さんが保護。このまま引き取り手が見つからなければ、ららを新たな家族として迎えるつもりだという。
 最終更新:11/5(火) 22:26 フジテレビ系(FNN)
 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20191105-00426744-fnn-soci
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 ┃ 至高の昭和プロレス名勝負列伝 ┃
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‡2019(令和元)年11月05日(火)
 ~力道山・BI砲 伝説の貴重映像一挙公開~(力道山 3)
“吸血鬼”フレッド・ブラッシー 日米3連戦
“吸血鬼”フレッド・ブラッシー 日米3連戦
 1962(昭和37)年03月28日(水) 米ロサンゼルス(WWA戦)フレッド・ブラッシー vs 力道山
 1962(昭和37)年04月23日(月) 東京体育館(WWA戦)力道山 vs フレッド・ブラッシー
 1962(昭和37)年07月25日(水) 米ロサンゼルス(WWA戦)力道山vsフレッド・ブラッシー
 http://www.ntv.co.jp/G/prowrestling/shikonoshowa/
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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1972(昭和47)年11月05日(日) 上野動物園、パンダを一般公開 ⇒ 東京・上野動物園でジャイアントパンダのカンカンとランランの一般公開が始まった。初日には徹夜組を含め、約1万8000人が長い列をつくった。お目当てのパンダ舎にたどり着くまでに2時間以上待たねばならず、肝心のパンダ見物は1分程度だった。写真はパンダ舎前にできた入園者の列【時事通信社】
 1959(昭和34)年11月05日(木) 汐留-梅田間に日本初のコンテナ専用列車「たから号」運行開始
 1962(昭和37)年11月05日(月) 美空ひばりさんと小林旭さんが結婚 ※2021(令和三)年記事削除
 1966(昭和41)年11月05日(土) トヨタ、カローラの販売開始
 https://www.jiji.com/jc/daily
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1983(昭和58)年11月5日(土) 巨人・江川卓を打ち崩し西武がサヨナラ勝ち
‡2017(平成29)年11月5日(日) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月5日だ。 
 写真◆延長10回、サヨナラ打を放ったのは伏兵・金森だった
 それは「球界の盟主を懸けた決戦」とも言われた。1983(昭和58)年の日本シリーズ。セは当時、いま以上に絶対的な存在感があった「球界の盟主」巨人、そしてパは79年の埼玉移転後、西武グループの豊富な資金力で強化が進み、82年に続き、連覇でシリーズに進んできた「球界の新盟主候補」の西武ライオンズだった(82年は中日を制し日本一)。 
 指揮官は巨人が藤田元司、西武が広岡達朗。2人は、同時期に巨人のユニフォームを着た僚友でもある。 
 全7戦、うち3戦がサヨナラ決着となった史上まれに見る大激闘シリーズだが、そのハイライトとも言えるゲームが11月5日、西武球場での第6戦だ。 
 第5戦にサヨナラ勝ちし、3勝2敗と王手をかけた巨人は、1対2とリードを許しながら9回表二死一、二塁で中畑清が起死回生の逆転三塁打。三塁ベース上で中畑が高々と両手を上げたとき、巨人の日本一は確実かと思われた。 
 3対2として藤田監督は、その裏、2日前の第5戦に140球の完投勝ちした西本聖を送った。疲れはあったはずが、西本は第2戦でも完封勝利と絶好調。「1イニングなら」という藤田監督の賭けが間違っていたとは言えまい。 
 だが西本は一死からまさかの4連打を浴び、同点とされる。さらに続く延長10回裏に送ったのが江川卓だ。しかし江川はピリっとせず、二死一、二塁から代打の金森栄治にサヨナラ二塁打を許し、巨人敗戦。翌日の第7戦も巨人は2対3と敗れ、西武が2年連続日本一となっている。 
 小社刊『巨人80年史』に江川、西本がこの試合を振り返った個所がある。抜粋しよう。 
江川 第6戦は、そのシリーズ初めて抑えで待機していたんですよ。右足を肉離れしていたんですが、足がどうなってもいいという気持ちでブルペンで投げていた。プロに入って初めてそういう気持ちになったかもしれません。ところが1点リードで迎えた9回、マウンドに行ったのは西本でした。 
西本 僕は第7戦の先発を言われていたから試合中はベンチには入っていたけど、運動靴を履いて座っていた。終盤にチームが逆転したら、コーチから突然ブルペンに行けと言われた。まさか自分が行くとは思っていなかった。 
江川 ニシに負けたと思った瞬間だった。結局試合は同点となり延長10回からマウンドに上がったんですが、申し訳ないですけど、そのときは気持ちの部分が少し切れていましたね。 
「たられば」になるが、2人の話を聞くと、9回に江川なら抑えていたかもしれない。敗れても西本を温存すれば、第7戦には勝てたかもしれないと思ってしまう。 
 名将・藤田監督の心中は分からない。ただ、少なくとも西本起用がゲーム前のプランにはなかったことは確かだと思う。魔がさす、という表現は失礼かもしれないが、藤田監督の中に「これなら勝てるのでは」という確信が思い浮かび、それが頭から離れなくなったのではないか。逆に広岡監督は第6戦を前に、「あした巨人が西本を使ったらわれわれの勝ちだ。向こうが焦っている証拠」と選手に言っていたという。 
 名勝負には、あとあとまで、われわれが想像をふくらませ、ああだこうだと楽しみ尽くすことを許してくれる魅力がある。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 1980(昭和55)年11月4日(火) 世界の王貞治が引退発表 
 2017(平成29)年11月4日(土) 7:05 
 写真◆笑顔ではあったが、目は真っ赤だった王
 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月4日だ。 
 引退の翌
‡1980(昭和55)年11月05日(水)には早くも藤田新監督とともに多摩川の練習場に現れ、背番号1のまま助監督生活をスタートさせる。 
 1980(昭和55)年11月23日(日)、ファン感謝デーが引退試合だった。最後、後楽園の一塁ベースの上に、静かにファーストミットを置く。すでに引退発表から時間が経っていたこともあり、74年、長嶋引退試合のような感傷的な雰囲気はなかったが、ある意味、王らしく静かで厳粛、そして誠実さが伝わる引退セレモニーだった。
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③┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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 1965(昭和40)年11月17日(水) 監督就任4日後の悲劇。南海・蔭山和夫新監督急死
 2017(平成29)年11月17日(金) 7:05 
 写真◆11月13日の陰山監督就任会見(中央左)。握手しているのが鶴岡
 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月17日だ。 
‡1965(昭和40)年11月05日(金)、日本シリーズで巨人に敗れた南海・鶴岡一人監督は、翌
 1965(昭和40)年11月06日(土)に記者を集め、「もうワシも年だ(この時点で49歳)。監督を退きたい」と語った。 
 46年選手兼任で監督に就任し、南海黄金時代を築き上げた名将だったが、球団は強く慰留することもなく、後任としてヘッドコーチの蔭山和夫に白羽の矢を立て、
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 ①http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171105-11
 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171104-11
 ③http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171117-12
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画No.030 ┃  30円
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‡1958(昭和33)年11月05日(水)号 日本シリーズ熱戦譜
 2017(平成29)年11月26日(日) 11:07 2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎日本シリーズ真っ只中に長嶋、広岡、稲尾、中西の座談会
 写真◆表紙はバットケース横に立つ巨人・長嶋茂雄
 今回は『1958年11月5日号』。創刊第30号で定価30円。中カラー見開きは『世紀の対戦』と題し、西鉄のエース・稲尾和久、巨人の新人にして四番、長嶋茂雄が私服で登場。タイトルどおり、2人の対戦は今回の巨人─西鉄日本シリーズ最大の注目である。 
 日本シリーズは3戦までが締切に間に合ったようだが、結果は巨人の3連勝。過去の日本シリーズで3勝無敗から日本一を逃したチームはいない。 
 本文巻頭は『特集日本シリーズの熱闘~喜びと無念の中にあるもの』。マラソンの増田明美さんの解説のように、グラウンド内外のネタを絡ませながらの記事は、当時の週べの真骨頂とも言えるだろう。 
 驚いたのが、『これが日本シリーズだ』と題し、巨人から長嶋、広岡達朗、西鉄から稲尾、中西太の座談会が掲載されていることだ。服装を見ると、このときカラーページの長嶋、中西2ショットを撮影したようだ。しかしまあ、シリーズ真っ只中によく実現できたものである。 
 話の中で長嶋、広岡が対稲尾対策でインコースを捨て、アウトコースを狙わせていたという話まで明かしているのもすごいが、これで稲尾が配球を変えたという事実はなく、対談の中でも、 
「ぼくのアウトコースを狙ってくるというのを聞いて、それなら僕はインコースを攻めようと思ったことは一度もないですよ。アウトコースを狙ってくるならアウトコースで勝負しようと思った」 
 と語っている。 
『スポットライト~日本シリーズにすべてをかけた川上選手~ミスタージャイアンツの気迫』では、日本シリーズ後の引退が確実視されている川上哲治選手の健闘ぶりをリポート。本人は“引退”を明言はしていないが、どの発言もそれをほのめかすものばかりだ。一部抜粋する。 
「僕の場合は損得だけでは決められない。なぜなら“背番号16”はファンに愛され、育てられて今日に至ったのだ。“背番号16”は全国の少年ファンの偶像になっている。その偶像が泥まみれになることは絶対にさけなければいけないよ。“背番号16”が汚れてしまう。僕はいままで僕を支持してきてくれたファンの夢はこわしたくない」 
 後ろグラビアでも川上特集があった。当時38歳。実働18年で積み上げた安打は、当時の史上最多2351本となっていた。定着していたかどうかは定かでないが、「ミスタージャイアンツ」は長嶋の前に川上の称号でもあったようだ。 
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.240 ┃  40円
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‡1962(昭和37)年11月05日(月)号 東映・水原茂監督の尾崎行雄と安藤元博の隠し方
 2018(平成30)年06月25日(月) 16:10 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 
◎MVPが2人いた
 写真◆表紙は東映・水原茂監督
 今回は『1962年11月5日号』。定価は40円だ。 
 日本シリーズでは、東映が阪神を下し日本一に。前回は阪神の2勝1分けで説明が終わったので、今回は第4戦以降をざっと振り返ってみよう。 
 第4戦、後楽園。東映先発はヒジ痛に苦しみ、試合から離れていた早大出身の新人の安藤元博、阪神は小山正明。安藤は初回に1点を許すが、2回以降は無失点で完投勝利(東映3対1)。 
 阪神は、この日の先発を尾崎行雄と読んでおり、阪神・藤本定義は「安藤ならいけると、甘く見てしまった」と反省した。小山は5回で交代となったが、「審判の判定であれだけイライラしたら代えるしかない」(藤本監督)という。 
 なお尾崎は1戦目に打者2人に投げただけで、以後登板はない。おそらく実際には投げられる状態にはなかった尾崎を初戦で見せ、あとは「出るぞ、出るぞ」とけん制。逆に、しばらく登板のなかった安藤元は、あえて登板は無理と思わせたのだろう。 
 第5戦、同じく後楽園。東映・久保田治、阪神・村山実の先発。試合は4対4で延長戦となり、最後は11回裏、東映の新人・岩下光一が4番手で7回途中から投げていた小山からサヨナラ本塁打(東映6対4)。 
 第6戦、舞台は甲子園。東映先発は安藤元、阪神は村山。3打数3安打の張本勲らの活躍で東映が7対4で勝利し、日本一に王手。 
 第7戦、同じく甲子園。東映先発は久保田、阪神は小山。0対0のまま延長戦となり、10回には互いに1点ずつを取った。勝負は決したのは12回表、東映の攻撃で西園寺昭夫が二番手の村山から決勝の本塁打。その裏は抑えに回っていた土橋正幸が3人で斬って取った。 
 この日本シリーズがユニークだったのは、MVPが2人いたことだ、これは過去わずかな差しかないのに優秀選手が1人しか選べないのは不公平との声が出たためだったという。 
 結果、最優秀選手1位が土橋正幸。1、2戦目は先発も3戦目からは抑えに回り(といってもロングリリーフ)で2勝を挙げていた。そして第2最優秀選手が種茂雅之。3戦目からスタメンマスクをかぶり、攻守で日本一に貢献した。なお、賞品の車は土橋に。 
 巨人の新人・柴田勲が内野手転向の記事もあった。荒川博コーチは「右でも左でも打てるので楽しみ」と語っているが、スイッチヒッターという用語は出てこない。 
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 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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 ②http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180625-02
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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