【芸能考察】衝撃ビートルズ新事実…50周年「アビイ・ロード」次作、ジョン vs ポールが口論
2019(令和元)年09月25日(水) 15:00 産経WEST 岡田敏一
英のバンド「ザ・ビートルズ」の11作目のスタジオアルバムで、ロック史に残る名盤「アビイ・ロード」が本国で9月26日、発売からちょうど50年を迎える。
1962年にデビューした彼らが最後に発売したスタジオアルバムは70年の「レット・イット・ビー」で、この後、バンドは解散してしまうのだが、録音作業を行ったのは「アビイ-」の方が後で、「レット-」の最後の録音作業にジョン・レノンが参加していないのはファン間では有名な話だ。
というわけで、4人のメンバー全員で制作した「アビイ-」がバンドの最後のスタジオアルバムと認識されているのだが、実は、当時、バンドの解散を望んでいたと言われているジョン・レノンを含むバンドの面々が「アビイ-」で終わりにしようとは思っておらず、これに続く新作を制作しようとしていたといった新事実が最近、明らかになり、欧米のビートルマニアやロックファンを驚かせている。
■ジョン・レノン自ら録音「僕たちの議論を聞けるように…」
‡9月11日(水)付の英紙ガーディアン(電子版)が、英の作家兼歴史家で、ビートルズ研究の第一人者で知られるマーク・ルーイスン氏の研究結果として報じた。
ルーイスン氏は同紙に「アビイ-」の発売を2週間後に控えた
1969年9月8日(月)、ジョン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人が、ロンドンのサヴィル・ロウにあった自分たちのレコード会社、アップル・レコードの本社で議論する様子を録音したテープを公開した。
録音したのは、当時、リンゴ・スターが腸の不調を訴え、検査のため病院にいたからで、ジョンが携帯用のレコーダーを持ち込んで録音したという。テープには「リンゴ、君はこの場に来れないが、僕たちが何を議論したか聞けるようにしておくよ」と話すジョンの声が収められている。
さらにこのテープには「アビイ-」に続く新作アルバムに加え、クリスマスに間に合うようシングルを発売する計画を協議する様子が収められていた。
ジョンは、各メンバーがシングルの候補曲を持ち寄るべきだと示唆(しさ)し、「アビイ-」に続く新作アルバム制作のため、自分とポール、ジョージの3人が各4曲ずつ、そして「彼が望むなら」との条件付きでリンゴが2曲書くことを提案。
(次ページ)ジョン「楽曲クレジットが…」、ポール「ジョージの曲は…」、ジョージ「過去アルバムで…」
https://www.sankei.com/west/news/190925/wst1909250016-n1.html
さらにジョンは、これまで、ジョン、ポールのどちらかが単独で作詞・作曲をしても、楽曲のクレジットが「レノン=マッカートニー」名義だったことに不満を漏らし、これからは、それぞれの名前をクレジットするべきだと主張。加えて、ジョージも作曲家として自分やポールと対等の立場にあるなどと訴えた。
これに対しポールは「『アビイ-』を制作するまで、ジョージの曲は大して良くないと思っていた」と反論。これに驚いたジョージは、過去のビートルズのアルバムで「タックスマン」(66年)や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(68年)といった名曲を提供してきたという自負から「それは好みの問題だ。ファンは僕の曲を気に入っていた」と反撃する様子も収められている。
ビートルズのファンには結構、衝撃的な内容だが、これだけではない。ジョンはポールに対し、ポール以外の3人全員が「アビイ-」に収録されたポール作の楽曲「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」を気に入っていないと言い放ち、こういう楽曲は、ポールがプロデュースしてスターになった英女性歌手メリー・ホプキンといった他の歌手に提供すべきだと主張。しかしポールはダルそうに「気に入ったからあの曲を録音したんだよ」と反論…。
テープの内容を分析したルーイスン氏は同紙に「これは新たな発見だ。これまで(世界中の)ビートルズに関する書籍のは全て、彼らが『アビイ-』を最後の作品と認識し、芸術的な高みを目指していたと書いていた。しかし、バンドは次のアルバムの制作について協議していた。そして、ジョンがバンドの解散を望んでいたと言われていたが、このテープを聞くかぎりそうではなかった。テープは、われわれが知っていると思っていたことの、ほぼ全てをリライトするものでは?」と話している。
「アビイ-」の50周年記念盤は
9月27日(金)に全世界同時発売される。記念盤に関する詳細は、ユニバーサル ミュージックジャパンの公式サイト( https://www.universal-music.co.jp/the-beatles/ )。
https://www.sankei.com/west/news/190925/wst1909250016-n2.html
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┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃
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1995(平成七)年11月20日(mon) UK Released
1995(平成七)年11月21日(tue) US Released
1995(平成七)年11月21日(tue) JP Released
□Disc one (CD1)
◎LP B面 (Record Disc 1)
24."Please Please Me" (mono)
‡1962(昭和37)年09月11日(tue) EMI Studios 1:59
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https://music.amazon.co.jp/albums/B07FTWQN3X
https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDFSO
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1996(平成八)年10月28日(mon) JP Released
1996(平成八)年10月28日(mon) UK Released
1996(平成八)年10月29日(tue) US Released
◇Disc one (CD1)
◎LP C面 (Record Disc 2)
20."Glass Onion" (original mono mix)
‡1968(昭和43)年09月11日(wed) EMI Studios 2:08
1968(昭和43)年09月12日(thu) EMI Studios 2:08
1968(昭和43)年09月13日(fri) EMI Studios 2:08
1968(昭和43)年09月16日(mon) EMI Studios 2:08
1968(昭和43)年09月26日(thu) EMI Studios 2:08
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https://music.amazon.co.jp/albums/B01DJHDWNM
https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT36GH9
https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3
https://music.amazon.co.jp/albums/B00H77Z0I6
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┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1960(昭和35)年09月11日(日) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (26日目)
②1961(昭和36)年09月11日(月) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼) /リヴァプール
③1962(昭和37)年09月11日(火) 録音 ♪PS I Love You♪Love Me Do♪Please Please Me♪
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①1960(昭和35)年09月11日(日) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (26日目)
日曜日の夜は、
05:00pm~06:00pm
06:30pm~07:30pm
08:00pm~09:00pm
09:30pm~10:30pm
11:00pm~00:00pm
00:30pm~01:30pm 以上、6時間の演奏良好だヨ(=^◇^=)
③1962(昭和37)年09月11日(火) 録音 ♪P.S. I Love You♪/♪Love Me Do♪/♪Please Please Me♪
場所 EMIアビーロード第2スタジオ (Studio2/EMI Studios, Abbey Road)
プロデューサー ロン・リチャーズ (Ron Richards)
エンジニア ノーマン・スミス (Norman Smith)
録音楽曲 ♪P.S. I Love You♪/♪Love Me Do♪/♪Please Please Me♪
♪How Do You Do It♪と♪Love Me Do♪を録音した1962年9月4日のレコーディング・セッションに続き、ビートルズはデビューシングルのレコーディングのためロンドンのアビーロード (Abbey Road) に戻った。前回の♪Love Me Do♪の録音でリンゴ・スター (Ringo☆Starr) のドラミングのクオリティに不安を感じたジョージ・マーティン (George Martin) は、この日のレコーディングには経験豊富なセッション・ドラマーのアンディ・ホワイト (Andy White) を起用しようと準備していた。アンディは標準的な5ポンド15シリングという報酬を受けている。
アンディ・ホワイト『The Complete Beatles Recording Sessions』マーク・ルイソン ⇒ 僕はすでに彼らのことを聞いていた。というのは僕はヴァーノンズ・ガールズ (Vernons Girls) のリン・コーネル (Lyn Cornell) と結婚していたが、彼女たちもリヴァプールのグループだったんだ。彼らは僕に対して冷たいだろうと思ったが、とても気さくで冗談好きな連中だった。僕は彼らが自作曲をやってるのに驚いた。あの当時ほとんどのグループはアメリカの歌のカバーか、ティン・パン・アレー (Tin Pan Alley) 物だったから。
5:00pm~6:45pmに行われたこのセッションは、ジョージ・マーティンも途中から参加しているが、ロン・リチャード (Ron Richard) がプロデュースした。リンゴは♪PS I Love You♪ではマラカスに、♪Love Me Do♪ではタンバリンの演奏に格下げされた。
アンディ・ホワイト『Daily Record』⇒ 僕はロンドンで働き、たくさんのTV出演もあった。ある金曜に、月曜にEMIで3時間の仕事ができるかと尋ねる電話があった。知らされたのはそれだけだった。リヴァプール出身の妻からビートルズの名前は聞いていたが、彼らについてそれ以外のことはほとんど知らなかった。しかし彼らはすばらしかった。僕はジョンとポールと綿密に打合せた。彼らは楽譜を書かなかったので、僕らはただ一緒に現合で作業した。彼らはすごかった。リンゴとはあまり話さなかった。僕は曲を覚えるのに懸命で、彼はそのテイクではタンバリンを叩いた。僕はほとんど作曲者のジョンとポールと話をした。それは本当に楽しい経験だった。僕が感心したのは、彼らは本当にいい曲をやり、しかもそれはオリジナル作品で、また斬新なものだったことだ。あの頃はみんなアメリカ音楽のコピーで、それなりに成功していたが、彼らは何か新しいことをやっていた。どこか違ってて特別だったことが誰でもわかったと思うよ。でもあれほど特別になるとは思わなかった。
彼らは♪P.S. I Love You♪10テイク、♪Love Me Do♪18テイクを録音した。彼らはまたアンディ・ホワイトをドラムとした♪Please Please Me♪も録音している。ビートルズは9月4日のセッションでもこの曲をやっているが、ジョージ・マーティンはそのスローなテンポとロイ・オービソン (Roy Orbison) 風のアレンジが気に入らなかった。ビートルズは新アレンジの♪Please Please Me♪を持って来て、それがこの日録音された。当時のEMIは不要なアウトテイクは処分するというポリシーだったが、この日のセッションで録音された『Please Please Me』の1テイクが1994年に再発見され、『ANTHOLOGY1』でリリースされている。この日のセッション終了後、最良のテイクがモノラルにミックスダウンされ、EMIは♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You♪をビートルズのデビューシングルとしてプレスを開始する。当初のプレスではリンゴがドラムを演奏した9月4日の『Love Me Do』が採用されているが、後のプレスではアンディ・ホワイトのバージョンとなる。
④1963(昭和38)年02月25日(月) 編集&ミキシング:『PLEASE PLEASE ME』LP/ロンドン
場所:EMIアビーロード第1スタジオ調整室 (Studio1 control room/EMI Studios, Abbey Road)
プロデューサー:ジョージ・マーティン (George Martin)
エンジニア:ノーマン・スミス (Norman Smith)
録音楽曲:I Saw Her Standing There, Anna (Go To Him), Boys, Chains, Misery, Do You Want To Know A Secret, There's A Place, Twist And Shout, A Taste Of Honey, Baby It's You, Please Please Me, Ask Me Why, Love Me Do, PS I Love You
ビートルズはアルバム『PLEASE PLEASE ME』に収録する10曲のレコーディングを
1963(昭和38)年02月11日(月)たった1日で完了している。彼らはその偉業を正当に評価されていたが、それをそのままレコードにプレスすれば良いというものではなく、アルバムリリースまでにやらなければならないことはまだ多く残っていた。この日プロデューサーのジョージ・マーティン (George Martin) は、
1963(昭和38)年03月22日(金)のリリース予定日に向けて、モノラルおよびステレオの編集とミキシング作業を監修した。10:00am~1:00pmと2:30pm~5:45pmにセッションが行われた。午前のセッションは『I Saw Her Standing There』のテイク9とテイク12を合成編集することから始められた。次に『Anna (Go To Him)』『Boys』『Chains』『Misery』『Do You Want To Know A Secret』『Thers's A Place』『I saw Her Standing There』『Twist And Shout』『A Taste Of Honey』がモノラルにトラックダウンされた。引き続いてマーティンは『Anna (Go To Him)』『Boys』『Chains』『Misery』『Baby It's You』『Do You Want To Know A Secret』『Thers's A Place』『I saw Her Standing There』『Twist And Shout』『A Taste Of Honey』のステレオミキシングを行った。午後のセッションも午前に劣らず濃い内容であった。まずはじめに『Please Please Me』のテイク16、17、18の合成編集が行われる。それから『Ask Me Why』『Misery』のモノラルミックスが再度作られた後、『Baby It's You』のモノラルミックスが作られた。そして『Ask Me Why』『Please Please Me』『Love Me Do』『PS I Love You』のステレオミックスも作られた。あとの2曲は
‡1962(昭和37)年09月11日(火)のモノラルミックスを元にステレオ化している。最後に行われたのは『Misery』のステレオミキシングであった。
⑤1962(昭和37)年10月05日(金) ♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You♪ U.K.シングル発売
ビートルズのデビューシングル♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You♪が1962年10月5日に発売された。英シングルチャートの17位まで上昇し、このバンドの最初のレコード・リリースとしてはめざましい躍進であった。♪Love Me Do♪は
‡1962(昭和37)年09月11日(火)にアンディ・ホワイト (Andy White) をドラムに起用して再録音しているが、早期にプレスされたシングル盤では、リンゴのドラムによる
1962(昭和37)年09月04日(火)に録音したテイクが使われている。しかし
1963(昭和38)年09月06日(金)にEMIがEP盤『The Beatles' Hits』をリリースする時に、ホワイトがドラムを演奏したテイクを最良と判断し、リンゴがドラムを演奏するテイクのマスターテープは廃棄処分となった。それ以後はシングル盤にもホワイトのドラムのバージョンが使われている。このシングルのセールスはリヴァプールのエリアで一番良く売れた。マネージャーのブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が、チャートのランキングを上げるために自分で10,000枚買ったという強い噂があった。あり得そうな話であるが真偽のほどは明らかになっていない。
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①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620911_rec_PSIoveYou.html
④https://gejirin.com/beatles/history/1963/19630225_mixing_PleasePleaseMeLP.html
⑤https://gejirin.com/beatles/history/1962/19621005_release_UK_LoveMeDo.html
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_Hits
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┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 11|254
┃ ザ・ビートルズの今日の出来事 ┃| 9月11日 |
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‡1964(昭和39)年09月11日(金) フロリダ州ジャクソンビル ゲイター・ボウル公演)
★観客数23,000人 宿泊先はキーウェスト・ホテル
★ビートルズは公演に先立ち、9月6日に「黒人がどの席でも自由に座れるようにならない限り、ボクらは出演しない」と新聞に声明を出した。ジャクソンビルでは黒人はバルコニーかずっと後ろの席にしか座ることを許されなかった。この声明の反響は大きく、地元の新聞「フロリダ・タイムズ・ユニオン」では「ビートルマニアは発狂した時代のしるし」と題した批判的な論説を掲載。
https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17122
http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0911.html
http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
楽曲資料https://beatlesdata.info/
歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1967(昭和42)年 9月11日(月)|「曲づくりに遊び心」
|2010(平成22)年 9月10日(金)|甲虫日記更新日 No.080
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ホワイト・アルバムのA面3曲目に収録された「Glass Onion」は、インド旅行中に創作意欲が復活したジョンの作品だ。焼け付くようなジョンのヴォーカルが印象的なこの曲の録音は、1968年9月11日に始まった。歌詞には、リスナーを混乱させるためのワナがあちこちに仕掛けられている。いわば、ジョンの遊び心あふれる曲であり、それを真に受けたファンやマスコミの反応に彼は大笑いしたというのだ。時代のカリスマであるビートルズの作品は、その歌詞に隠された真の意味があると勝手に思いこんだ人々によってあれこれとほじくられ、次々と伝説がつくりあげられていた。彼は作品を通して、その「報復」をやってのけた。「『SGT. PEPPER』のときは、さんざん深読みされた。レコードを逆回転させたり逆立ちして聞いてみたりすれば、秘密のメッセージが受け取れるだろう、とかさ」こうした人々の解釈では、「Lucy In The Sky With Diamonds」はドラッグを奨めるためにつくられた曲とされ、「With A Little Help From My Friends」も同様の扱いをうけた。そこでジョンは、深読みしたがるファンが飛びつきそうなネタを歌詞に織り込み、わざと混乱させることを思いついた。ポールの言によれば、「今度は僕らの方から種をまいてみることにした」ということだ。「Glass Onion」には、ビートルズのいくつかの曲のタイトルが盛り込まれている。ジョンはその曲中の風変わりなフレーズを抽出し、さらに謎めいたイメージを膨らませるような言い回しにした歌詞をつくり、あたかも隠された意味が原曲に存在するかのように偽装したのだ。冒頭に登場する「Strawberry Fields Forever」では、原作にある「現実のものが何もない場所」について「ここにもうひとつの場所がある。すべてが満ちあふれている場所」と思わせぶりに歌う。そして、「折れ曲がったチューリップを通して見てください」と謎をふりかける。「折れ曲がったチューリップ」とは、ロンドンに実在したある高級レストランで花びらを裏返しにしたチューリップを飾っていたのがヒントになっている。「I Am The Walrus」のパートでは、「walrus(セイウチ)は自分のことだ」とかつて公言したジョンが、「walrusはポールだったのだ」と歌って戸惑わせている。この「新情報」は、ジョンの読み通りに「深読み」するファンを喜ばせた。北欧のある地方では黒いセイウチは死の象徴とされているため、66年にポールが自動車事故で死亡し、それ以降は替え玉とすり替えられたとする「ポール死亡説」の重要な根拠となったのだ。ジョンの言葉は、テレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」でビートルズの4人が仮装して登場するシーンを指している。セイウチの衣装を着たのは、本当にポールだった。このフレーズを思いついた時、ジョンとポールはクスクスと笑っていたそうだ。
◎まだあるジョンの「遊び心」。その本質は? 次のページへ
「Lady Madonna」のパートには、「a cast iron shore」(鋳物で出来た海岸)という文学的な表現があるが、リヴァプールに実在する浜辺のことだ。「The Fool On The Hill」では、「愚か者はまだそこに住んでいる」と話をつないでいる。ポールの農園の屋根を修理したときの歌が、薬を注射する麻薬中毒患者と解釈された「Fixing A Hole」には、「a dove-tail joint」(アリ継ぎ)という建築用語を入れた。詩的な言葉とナンセンスな言葉をないまぜにしてシュールなイメージをつくりあげる。この手法は、ジョンが「I Am The Walrus」で試したものだ。サイレンを鳴らしながら走り去っていくパトカーの高低二つの音色からインスピレーションが生まれ、そのリズムに合った適当な言葉をあてはめてつくった。関連性のない言葉同士のつながりをどう解釈しようと自由であり、解釈の仕方は無限にある。だから、でたらめな歌詞であっても、聴く側の受け止め方によって「化学反応」を起こすこともあり、曲に触発された想像の世界が勝手に出来上がることもある。「I Am The Walrus」や「Glass Onion」には、ポップ・ミュージックを分析することの無意味さを示すメッセージが込められているのかもしれない。そう考えることこそ、ジョンのワナにはまったことになるのかもしれないが。
ところで、「Glass Onion」は完成まで録音に20時間以上が費やされ、この頃のジョンにしてはかなり時間を割いている。「ANTHOLOGY 3」では、ジョンが電話やオルガンの音、サッカー中継の音声、ガラスが割れる音など凝ったサウンド・エフェクトをつくったことも明らかになった。ヨーコと2人でポールの自宅を訪れ、曲のアレンジなどで相談を持ちかけてもいる。実質的な共作の少ないホワイト・アルバムのなかにあっては、パートナー・シップが発揮された曲ともいえる。試行錯誤するジョンを救ったのは、1カ月の休暇をとってリフレッシュしたジョージ・マーティンだった。彼はミックス・テープを聴いてジョンにある提案をした。こうして、曲の雰囲気を一転させるエンディングの物憂げなストリングス・パートが出来上がった。さて、「Glass Onion」のタイトルの意味だが、アップルが新たに契約したバンド「ジ・アイヴィーズ」のためにジョンが考えていた名前だった。ただ、彼らはその名前が気に入らず、「バッドフィンガー」と名乗る。遊び心でつくられた曲らしいジョンのコメントも残っている。「先日、ある人が、ヨットをチャーターして海の真ん中に乗り出すという人に会ったという話を聞いた。『glass onion』を体験出来る場所を知っているからだそうだ。もちろん、それ以来、その男は行方不明だそうだ」
◎『この日のビートルズ』の次回は9月24日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
◎お知らせ ⇒ アルバム「LET IT BE」をプロデュースしたフィル・スペクター。本人や関係者のインタビューをもとに、ミュージシャンの起用方など制作背景も含めたスタジオワークを具体的に明らかにし、「音の壁」がつくられた謎に迫った。ジョンの「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」のレコーディング・ドキュメント、ロスでの「失われた週末」時代を共にしたメイ・パンのインタビューも興味深い。2520円(税込み)
『音の壁の向こう側 フィル・スペクター読本』キングスレイ・アボット編 シンコーミュージック・エンタテイメント
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100910.html
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①┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
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|1963(昭和38)年11月22日(金)|「センス光る「米国志向」
|2010(平成22)年11月22日(月)|甲虫日記更新日 No.084
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1963(昭和38)年7月18日(木)に始まった録音は、7週間にわたる夏の国内ツアーで一時中断したあと
‡1963(昭和38)年9月11日(水)に再開する。それでも、テレビやラジオ出演など過密日程の合間を縫って進められた。午前中にスタジオで録音した後、昼休みにラジオ番組の録音をすませ、再びスタジオに戻って作業をした日もあった。
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|1968(昭和43)年 2月 3日(土)|「想い宇宙へ、未練の録音」
|2009(平成21)年 2月 3日(火)|甲虫日記更新日 No.042
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結局、♪アクロス……♪は、コメディアンのスパイク・ミリガンが67年12月に設立した世界野生動物保護基金のためのチャリティー・アルバム用に提供された。悪名高い69年1月のゲット・バック・セッションの際、リメイクの兆しもあったが、リハーサルだけで終わっている。
初出バージョンは、69年12月、歌詞にちなんだLP『NO ONE'S GONNA CHANGE OUR WORLD』が発売されてようやく日の目を見た。ザ・ビー・ジーズやクリフ・リチャードら他のアーティストの曲も収められたオムニバス・アルバムだった。
オリジナル録音の「第8テイク」をもとに、最終リミックスで鳥の羽ばたく音などが重ねられ、テープ速度も速められた。しかし、LPは英国限定発売のうえ、2~3年で廃盤になり、長い間、真のレアリティとなっていた。
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②┃ 『NO ONE'S GONNA CHANGE OUR WORLD』 ┃(Wildlife Version)" (Mono) http://youtu.be/8vuudq9enI4
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ジャケット画像あり(=^◇^=)
WWF(世界自然保護基金)のチャリティ・アルバム作品
1969(昭和44)年12月12日(金) リリース
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③┃ WWF World Wildlife Fund ⇒ World Wide Fund for Nature ┃
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世界野生生物基金(WWF ⇒ World Wildlife Fund)※1986年までこの名称で活動
世界自然保護基金(WWF ⇒ World Wide Fund for Nature)
1961(昭和36)年 4月29日(土) 設立
‡1961(昭和36)年 9月11日(月) 最初のオフィスはスイスのモルジュにオープン
1971(昭和46)年 9月22日(水) WWFジャパン発足
****************①https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
②http://en.wikipedia.org/wiki/No_One%27s_Gonna_Change_Our_World
②http://en.wikipedia.org/wiki/Across_the_Universe http://parlophone.fc2web.com/RAR/rar.html
③http://en.wikipedia.org/wiki/World_Wide_Fund_for_Nature
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┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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|1962(昭和37)年10月 5日(金)|「レコード・デビュー曲♪ラヴ・ミー・ドゥ♪発売」
|2007(平成19)年10月 5日(金)|甲虫日記更新日 No.009
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1962年10月5日、ビートルズの記念すべき英国デビューのシングル盤レコード「ラヴ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー」が発売された。
コアなファンには周知の事実だが、A面の「ラヴ……」には3種類の公式バージョン(版)がある。ほとんどの人が耳にしている版で、リンゴはドラムスではなくタンバリンを演奏している。そして、B面の「P.S.……」でドラムスを担当しているのは熟練セッション・ミュージシャンのアンディ・ホワイトで、リンゴはマラカスを振っているだけだ。
こうなった原因は、録音を指揮したEMIのプロデューサー、ジョージ・マーティンの考えによるところが大きい。
デビュー・シングル発売に向けた録音は、62年6月6日、9月4日、同11日の計3回行われたが、3回ともドラム担当者が違っている。正確なテンポを刻むドラム演奏に慣れていたジョージ・マーティンの「耳」を、若きピート・ベストもリンゴもすぐには満足させることができなかったからだ。
ビートルズがEMIで初めての録音に臨んだ6月6日、ピートがドラムをたたいた。この版は、95年11月世界同時発売の「アンソロジー1」に収録されてようやく日の目を見る。全体にテンポは遅く、サビと間奏でシャッフル系からエイト・ビートにリズムが変わるなど不安定な演奏だ。
ジョージ・マーティンは録音が終わるとピートを部屋の隅に呼び、「次はスタジオ・ミュージシャンを雇う」と告げた。当時はセッション専用のドラム奏者を使うことは珍しくなかった。
8月にピートはビートルズを解雇される。ジョージ・マーティンの指摘が自然と最終的な方向を突いていたのは確かだが、解雇の理由ではない。ピートの母に電話で釈明した内容から、マーティンの基本的な考え方が伝わってくる。
「ピートを辞めさせなければならないとは言っていない。ビートルズの最初のレコードだから、セッション・ミュージシャンを使ったほうがいいと思うと言っただけで……。それにファンというのはドラム演奏の質には特別の注意を払いません」
2回目の録音があった9月4日、新メンバーのリンゴがドラムスを担当した。ところが左利きなのに右利き用のキットを使っていたリンゴは、ロール演奏がうまくできなかった。どうしてもビートが速くなったり遅くなったりする。この日は、スティックではなくマラカスでハイハットを刻む妙なテクニックも試みた。
そのときジョージ・マーティンには、リンゴの本当の実力が分からなかった。ビートルズと危険を冒す心構えもできていなかった。ポールに「リンゴはやめよう。このレコードでは別のドラマーを使いたい」と告げた。
3回目の録音の日、スタッフの記憶によればリンゴはスタジオにあったドラムに触ってもいない。スタジオに行くと「プロのドラマーがいるから」と言われ、静かにコントロール・ルームで座っていた。そのうち「ラヴ……」でタンバリンを担当し、「P.S.……」ではマラカスの演奏を頼まれた。
いよいよデビューという段階になって双方に歩み寄りがみられた。最初にシングル盤として発売されたバージョンは、タンバリンが入っていない「リンゴ」版に決まった。
マネジャーのブライアン・エプスタインは自分が経営するレコード店で1万枚注文したり、BBCとラジオ・ルクセンブルクに手紙を出すキャンペーンを仕掛けたりした。英国のヒット・チャートで最高位は17位。
ところが、63年3月発売のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」では「アンディ」版が収録された。このころからEMIは「アンディ」版を正式版扱いにし、シングル盤やEP盤も「アンディ」版に差し替えている。ベスト盤「ビートルズ1962―1966」(通称・赤盤)にも「アンディ」版が収録されている。
一方、リンゴが演奏した版は珍品扱いとなった。解散後に発売された編集盤「ビートルズ・ボックス」と米国盤「レアリティズ」に収録されたが、2作ともCD化はされていない。英国で最初に発売された、センターレーベルが赤色のドーナツ盤は、いまや収集家にとって垂涎(すいぜん)の的だ。
「リンゴ」版の原盤は長らく「紛失した」とされていたが、デビュー20年後に「発見」され、82年11月に「アンディ」版と組み合わせた12インチ・シングル盤で発売された。いまはCDアルバム「パスト・マスターズVOL1」で聴くことができる。
さて、ジョージ・マーティンにドラマーを降ろされたリンゴは、そのことを何年も恨んでいた。内心は「ピートの次はおれか」と相当焦っていたはずだ。マーティンから何度か謝罪を受けたというが、アンソロジー(本)では「完全に許しちゃいないからね」と記している。
98年に発売されたリンゴのソロアルバム「ヴァーティカル・マン」には、いまやロック・クラシックにもなった「ラヴ……」が収録された。ジョンの代わりにスティーヴン・タイラーがハーモニカを担当。リンゴは、昔年の恨みを晴らすかのようなパンチの利いたドラミングにあわせ、実に心地よさそうに歌っている。
◎お知らせ ⇒ 本文中に登場するアルバム
「アンソロジー1」1992.6.24発売 EMIミュージック・ジャパン
「プリーズ・プリーズ・ミー」1998.3.11発売 EMIミュージック・ジャパン
「ビートルズ1962-1966」1998.3.11発売 EMIミュージック・ジャパン
「パスト・マスターズVOL1」1998.3.11発売 EMIミュージック・ジャパン
「ヴァーティカル・マン」1998.6.29発売 EMIミュージック・ジャパン
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http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/071005.html
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