過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の浜省さんとetSETOraだヨ(=^◇^=)


 浜田省吾 12インチ「DANCE」 こんな夜には踊り続けるのさ
‡2020-05-22 浜田省吾 
 https://moonlight-cats.com/blog-entry-1390.html

  映像◆3:16 3 八月の歌https://www.youtube.com/watch?v=
 
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 ┃ ♪DANCE♪ ┃
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‡1984(昭和59)年08月01日(水) リリース
 映像◆Yellow Christmas(杉真理 with Pops All Stars) https://youtu.be/777L4IYaxN0
 1986(昭和61)年11月21日(金) シングル発売
 
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/DANCE_(浜田省吾の曲)
 写真◆http://blogs.yahoo.co.jp/maeda_51311/32991002.html
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 ┃ 『SLOW DOWN』 ┃
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 1980(昭和55)年08月01日(金)   リリース
 1995(平成七)年11月21日(火) MDリリース
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 http://ja.wikipedia.org/wiki/SLOW_DOWN_(%E6%B5%9C%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
 写真◆http://blogs.yahoo.co.jp/maeda_51311/17593491.html
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 ┃ ♪君の名を呼ぶ♪ ┃
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‡2001(平成13)年08月01日(水) リリース
 映像◆浜田省吾 『君の名を呼ぶ (Flash & Shadow)』https://youtu.be/l-dBX7ZwoUg
 
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 音源◆https://music.amazon.co.jp/albums/B00FWA204W
 https://ja.wikipedia.org/wiki/君の名を呼ぶ
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 ┃ 浜田省吾 #20 DANCE ┃
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 2016(平成28)年05月23日(月)
‡1984(昭和59)年08月01日(水)に浜田省吾の12インチシングル「DANCE」が発売になりました。今回はDANCEの話を。
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 1984(昭和59)年の春、「ファースト・フィナーレツアー」が終了して間もなく、ぼくは浜田さんとROAD&SKYの事務所で新曲のプリプロ作業を行っていた。プリプロとはプリプロダクションの略称で、本番のレコーディング前にアレンジを煮詰めたり、デモテープを作ったりして本番のレコーディングに備える作業のことを言う。プリプロを行うことで本番のレコーディングの作業がスムーズにはかどり、時間と経費の節約にもなる。「DANCE」と名付けられたその曲はタイトルの通りダンサブルな曲で、浜田さんの意向でダンスチューンにしようと言うことになった。事務所で浜田さんとアレンジを考えたり打ち込み作業を行ったりして、帰りが明け方になることも珍しくなかった。ぼくは疲れて空っぽの状態になりながらも、空が白んで来た国道246を車で走るのが結構好きだった。
 1984(昭和59)年2月19日(日)のNHKホールでのファースト・フィナーレツアー最終日をもってThe Fuseが消滅して、バンドはぼくと古村くん町支さんの三人だけが残った。暫定のバンド名はHis New Band。そしてそのメンバーを中心として、新曲のレコーディングも行うことになった。ぼくと浜田さんはROAD&SKYの業務が終了した後の、誰もいなくなった事務所に夜な夜な集合してはプリプロに励んだ。当時はまだ音楽制作には欠かせないツールであるMac(アップルコンピュータ)もそんなに普及していない時代で、プリプロの際の打ち込みは簡単なシーケンサーを使って行っていた。ある日、浜田さんがDANCEのイントロのフレーズを思いついたと言って事務所にやって来た。そしてそのフレーズをデジタルのビートが鳴るオケに乗せて、アコースティックピアノで弾いたらどうだろうか?と尋ねて来たので、「それはいいアイデアですね。」とぼくは答えた。狙いは無機質なデジタルビートと、ヒューマンな楽器と演奏との融合だった。最初に完成したDANCEのアレンジは、後にレコードになったアレンジとは少し違っていた。結局最初のバージョンはボツとなったのだが、1984(昭和59)年4月に横浜スタジアムで行われた第二回目の「A Place In The Sun」で初演されたDANCEは、ほぼその最初のバージョンで披露された。横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」が終了して、そこから更にアレンジを練り直して、いよいよDANCEのレコーディングは始まった。レコーディングに使用したスタジオはソニーのスタジオと、東京タワーのすぐ側にあった日音スタジオ。ぼくの記憶に間違いが無ければ、このレコーディングのあたりからスタジオにマルチトラックのデジタルレコーダーが投入されて、本格的なデジタルレコーディングが開始された年だったと思う。このDANCEもSONYのPCM-3324という、デジタルの24トラックレコーダーを使って録音された。当時は最先端のデジタルレコーディングということで狂喜していたが、PCM-3324というレコーダーはスペック的にはまだまだの代物であった。DANCEのレコーディングは打ち込みのドラムとベースを主体のオケに生楽器を重ねていった。間奏の部分は古村くんがカッコ良いホーンアレンジを考えてくれた。レコーディングメンバーは以下の通り。
 His New Band
 ギター:町支寛二
  キーボード:板倉雅一
 サックス:古村敏比古
 Additional Musician
 ドラムス:富岡"Grico"義広
 ベース:江澤宏明
 キーボード:佐藤準
 パーカッション:ペッカー
 何故か元The Fuseの江澤くんはAdditional Musician扱いだった。レコーディングではコンピュータとシンセサイザーやドラムマシーン等、最新のテクノロジーが駆使された。今の耳で聴くとさすがに古さを感じるし音もチープなのだが、当時としてはとても贅沢な機材を投入してのレコーディングだった。そして出来上がった作品はアナログ盤12インチシングルとして発売された。B面には「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」と題された、ライブテイクが収録された。「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」は、浜田さんとThe Fuseが共同でスタジオで練り上げたメドレー作品で、当時の浜田さんとバンドの勢いがそのまま真空パックされているような作品である。しかしながらこれは一体どこの会場で収録されたのだろう?残念ながらぼくははっきりとは覚えていない。 Wikipediaには
 1983(昭和58)年渋谷公会堂での収録と記されているが、違うような気もする。何故ならレコードに収録された「THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY」にはホーンセクションが参加しているから。
 1983(昭和58)年の渋公にはホーンは参加していなかったような気もするのだが、どうなんだろう?そうなると横浜スタジアムでのバージョンだろうか?これに関してはあまり自信は無い。
 浜田さん本人も語っていたが、このメドレーはコンサートのアンコールで歌われていたもので、本編が終わってかなり消耗しているところに、更にそこから十数分にわたるロック絵巻が繰り広げられるのは、バンドとしても演奏していてかなりキツかった。メドレーの最後のほうはみんな手がツリそうになりながら演奏していた。
 DANCEは12インチシングルバージョンとは別に、
 アルバム「Down By The Mainstreet」に収録されたバージョン、
 横浜スタジアムでの「A Palce In The Sun」で初演されたバージョン、
 88年のFather's Sonツアーで披露されたバージョン等、多くのアレンジ違いのバージョンが存在する。ぼくは今でもこの曲を聴くと、誰もいない深夜の事務所での浜田さんとのプリプロの光景が浮かんでくる。
 写真◆DANCEの12インチシングル。 
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2016/05/20-dance.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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【DANCE】
‡1984(昭和59)年08月01日(水) Release
省吾さま17枚目のシングルにして初の12インチシングル。
B面は THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY 
とっちゃんが浜田省吾ファンになってからリリースされた最初のシングルがコレ!
(えっ、そんな情報いらない W)
省吾さまにとって「風を感じて」「ラストショー」「「ON THE ROAD」に続き自身4度目のシングルチャートイン!
しかも自身最高位記録も「風を感じて(25位)」を抜いて、初のトップ20位入り!( 週間ランキング=20位 )

☆とっちゃんメモ★ 
あ…読者のみな浜、覚えていらっしゃいますか?浜田省吾史上最短襟足の記事(笑)
↓↓↓ポッチして↓↓↓
史上最短!!!(笑) 
泣き笑いせつなブログ『週刊とっちゃんの部屋』-120107_221025.jpg 
↑DANCEの裏ジャケに、その頃の写真が(^m^) カワイイでしょ?
あ、つまり『浜田省吾公式作品掲載写真での最短襟足は???』
と浜田省吾カルトQで出題されたら、迷わず「DANCE」とお答えください(^0^)b
実は、浜田省吾事典には掲載が漏れてますが(もちろん、とっちゃんの部屋ではバッチリ網羅されてましたね☆)、この曲、というかこの12インチシングルは両面とも意外な人にCoverされているんですドキドキそれはコチラ
泣き笑いせつなブログ『週刊とっちゃんの部屋』-120131_082633.jpg 
石川秀美『BURN UP HIDEMI ~秀美の熱い一日~(笑)
石川秀美さん=’80年代のトップアイドルの1人。TBSはなまるマーケットの司会・やっくんこと薬丸さん(元・シブがき隊)の奥様。
泣き笑いせつなブログ『週刊とっちゃんの部屋』-120131_082704.jpg 
見えますか?A面(SIDE 1)の最後2曲。
キチャッターーー(・∀・)ーーーーーッ (笑)
なっち(安倍なつみさん)が「片想い」をカヴァーする以上に違和感あります(^_^;)
「みんなも一緒に歌ってねぇ~~~♪ ロ~ックンロ~ハイハイハイッ! 」って・・・
まさに秀美ちゃんにとって、本当に熱い1日だったようです(*^_^*) ハイ
ちなみに THE LITTLE ROCKER'S MEDLEYというのは浜田省吾ロックンロールメドレー(今夜はごきげん~HIGH SCHOOL ROCK&ROLL~あばずれセブンティーン)のことです。
DVD「ON THE ROAD “FILMS”」の中のTour Scrapの中で(紙吹雪の中)横浜スタジアムで歌われてるのがソレですね。
「B面の『THE LITTLE ROCKER'S MEDLEY』は、ライヴ・バージョンで、当時ツアーでアンコールに、ほとんどもどしそうになりながらやってた。すごいハードなの。最後の疲れ切ってるところにもってきて、10分以上のアップ・テンポなロックンロール・メドレーでしょ。もう死ぬんじゃないかと思いながら(笑)。だから、このライヴ・バージョンには、すごい思い入れがある。12インチだからこそやれたという長さだし。これを聞くと、当時一緒にやってたTHE FUSEのメンバーを思い出す。ツアーがいちばん楽しくていちばんきつくて、いちばん長かった時代のメンバーだからね。」(『浜田省吾事典』より。本人談)
『いちばん楽しくて(でも)いちばんきつくて…』
一見相反(あいはん)する言葉が並んでるから矛盾するようですが、これはもう省吾さまの本心なのでしょうご。
きつかったけど、それでも続けてこれたのは、それ以上に楽しかったからなんでしょう。苦しい時代の省吾さまを支えてくれたメンバー&スタッフの方々にあらためて感謝ですクローバー
『12インチだからこそやれたという長さだし。』
これは そう、このDANCEはドーナツ盤ではなく12インチシングルといって当時のアルバム(LP盤)と同じ大きさの(だから)一見アルバムと間違うシングルなんですね。
若い読者のかたに、分かるかな~???(^-^; 
大きさはLP盤と同じでも回転数はシングルと同じ45回転(アルバムは33回転)だからアルバムと12インチを交互にかけた場合、回転数を切り替えないと当時、大変なことになったもんです(笑)  エェ
Σ( ̄□ ̄;)
ダレ、コノコエ???
みたいな みたいな(笑) 
あ、そーいえば、昔「トリビアの泉」でやってましたヨ。 
一青窈さんの『もらい泣き』の回転数を変えると、平井堅さんの声になる(笑) 
へ~ へ~ へ~ ☆ 
ま、↑ここまで話してもなお若い読者のかたにはチンプンカンプンでしょうけど (^-^; 
パパかママに聞いてください!(笑) ← 
最後にDANCEといえば…
LOVE HAS NO PRIDE の時もそうでしたが、発表当時かなり酷評された(というか、評論家達が難色を示した)らしいですね。
「浜田省吾がダンス~~~?」って。
あのシンプの大越(正実)さんでさえ
「正直に言えば、この曲を初めて聴いたとき、『ウソやろ』と思いました。『どうしちゃったの、浜田さん』というか。なんで浜田省吾がダンスやねん!浜田省吾に近しいあるスタッフも、戸惑いの言葉を語っていたのを覚えてます。でも、この疑問もライヴを観ていくことで、氷解していくのは『MONEY』と同じだった。これをうたわねば、先に進めないと、きっと浜田省吾は確信したのだ。思えば『DOWN BY THE MAINSTREET』は、とても思い切ったアルバムだった。ただし、この曲を発表後、ライヴでこの曲をうたいながら『ダンス』をする浜田省吾はあんまりかっこよくなかったと記憶している。すみません(笑)。」
と懐述されてます。
これ、この大越さんのコメント・・・よぉ~く分かるなぁ~(笑)
思わず、10年前のNHK「浜省特番4部作」で省吾さまが披露してくれたあのヒップホップ・ダンスを想像して苦笑いしてしまいました。  (*^_^*)
もちろん、シングル(今回紹介の12インチシングル)とアルバムでバージョンが違います。(バージョンというより、一部歌詞まで違います!)
12インチシングルバージョンを聴いたことがないかたは、この機会に是非!
 ~~~ ここまで ~~~
さて、昨日最終回だった短期集中連載・横浜スタジアムの記事 のアンコール1曲目で、
「新曲を聴いてください!」といって披露されたのが このDANCE だったでしょうご。
つまりあの時(横スタで)、リリースの3ヶ月も前に生で先行披露してくれたという事になります♪
(ライブが4/29 リリースが8/1)
厳密に言うと・・・ ↑過去記事でもそれは書いてますが、この12インチシングルバージョンのDANCEは、アルバム収録のソレとはバージョンが(一部歌詞も)違いますケドね・・・。
でも、そんなの長渕さんは知らないでしょうし・・・「おかしいなぁ? DANCEってシングルになってなかったっけ?」みたいな狐につままれた感じだったでしょうね(笑) これは完全な省吾さまのケアレスミス(あのアルバムからシングルになってる)といえましょうご。
https://ameblo.jp/futabayama69/entry-11521214177.html

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 ┃ 『OLIVE』 ┃REBECCA 二枚目のリミックス・アルバム作品
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‡1988(昭和63)年 8月 1日(月) LP 28AH-5083/4 1位
‡1988(昭和63)年 8月 1日(月) CD 32DH-5083
 1994(平成六)年11月 2日(水) CD(再発)KSC2-102 ※CD選書
 2007(平成19)年 9月19日(水) CD(リマスター)
 2013(平成15)年11月27日(水) Blu-spec CD2 MHCL-30200
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 https://music.amazon.co.jp/albums/B075JB229Y
 https://ja.wikipedia.org/wiki/OLIVE_(%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
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 ┃ 『SLOW DOWN』 ┃
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  SHOGO HAMADA
 1980(昭和55)年08月01日(金) カセットテープリリース
 1995(平成七)年11月21日(火) MDリリース
  01.とぎれた愛の物語
  02.子午線
  03.朝のシルエット
  04.さよならにくちづけ
  05.片想い
  06.いつわりの日々
  07.二人の夏
  08.散歩道
  09.あの頃の僕
  10.キャンパスの冬
  11.君に会うまでは
  12.行かないで  Slow Down The Beatles
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/SLOW_DOWN_(%E6%B5%9C%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3
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熱いビートを失くした時浜田省吾のDanceはどうだい
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1725998
http://j-lyric.net/artist/a0029d1/l006231.html

 1984.8.1♪DANCE♪音源◆https://youtu.be/7sqU65rWqyg
 

Yellow Christmas(杉真理 with Pops All Stars)  http://youtu.be/777L4IYaxN0
Yellow Christmas(1986/11/21シングル発売)
WINTER LOUNGEに収録されている曲のPVです。

氷室京介 ♪LOVE&GAME♪ JT SUPER SOUND 1991.8.1
 アニメ◆動画:氷室京介 ♪LOVE&GAME♪ JT SUPER SOUND 1991.8.1
 ダイジェスト◆動画:氷室京介 ♪LOVE&GAME♪ JT SUPER SOUND 1991.8.1
 静止画◆動画:氷室京介 ♪LOVE&GAME♪ JT SUPER SOUND 1991.8.1

 浜田省吾インターネットライヴ⑤ 君の名を呼ぶ http://video.fc2.com/content/201103272WkuLBqE
  アニメ◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑤ 君の名を呼ぶ
  ダイジェスト◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑤ 君の名を呼ぶ
  静止画◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑤ 君の名を呼ぶ
 浜田省吾インターネットライヴ⑥ 演奏良好(=^◇^=) http://video.fc2.com/content/20110327Ervragbg
  アニメ◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑥ 演奏良好(=^◇^=)
  ダイジェスト◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑥ 演奏良好(=^◇^=)
  静止画◆動画:浜田省吾インターネットライヴ⑥ 演奏良好(=^◇^=)

 ♪二人の夏♪1975.5.1
【意外!?】浜田省吾「とても苦しい思いをして買ったギター」http://youtu.be/y6snhyKtDLY
 

 音源◆去りし友よ~愛奴のテーマ/愛奴ライブ(1/2)  https://youtu.be/QoW6j9OabkU
 1975年8月の日比谷野音のライブ。カセットテレコで録音。ドラム岡本ベース高橋ギ-ター青山ギター町支キーボード山崎ボーカル浜田。
 
 音源◆恋にしびれて/愛奴ライブ(2/2)  https://youtu.be/VFyngPhnP9Q
 1975年8月日比谷野音のライブ。レコードには入っていない曲。浜田省吾のМCから-。この後生まれたところを遠く離れてなのだが録音していない。残念!
 

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 ┃ 1992年 下半期の出来事 ┃
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 2017(平成29)年08月11日(金)
 今回は1992(平成四)年下半期の出来事です。 
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 そろそろ本格的な夏も始まろうかという暑い日に、ぼくは浜田省吾さんの事務所であるロード&スカイのIさんと、世田谷のイタリアンレストランでお会いした。町支寛二さんのツアーのオファーを兼ねた打ち合わせだった。ちょうどこの時ぼくは、他にも同時進行していた案件があったので、町支さんのツアーに参加するためにはスケジュールの調整をする必要があった。Iさんから町支さんのツアーやリハーサルの日程を確認すると、どうにか参加出来そうな感じがしてきた。ぼくは少し時間をもらって更に各所とスケジュールの調整をした結果、正式に町支さんのツアーに参加することが決定した。その頃infixのセカンドアルバムのレコーディングも大詰めに来ていた。infixのメンバーはそれぞれ個性的な連中で、ボーカルの長友くんはバンドのフロントマンらしく快活でよく喋る男だった。ギターの佐藤くんは一見淡々としているが、秘めたものを持っているバンドのまとめ役だった。ベースの野間口くんは一番年下なせいか控えめな印象を受けたが、音楽的に長けたものを持った好青年だった。ドラムの大神くんはみんなのいじられ役で、なにかとちょっかいを出されていたが、プレイヤーとしては頑固なところのある練習熱心なドラマーだった。ぼくは連日二子玉川のスタジオサウンド・ダリに通い詰めながらも、同時に町支さんの譜面や音源の資料の確認と、久宝留理子さんのアレンジもしなければならなかったので、圧倒的に時間が足りなかった。そんな真夏の最中、ようやくinfixのセカンドアルバムが完成した。「Just A Hero」と名付けられたそのアルバムは、難産ではあったが充実した内容の作品になった。infixのレコーディングが終わってから、92年の後半はツアー漬けの日々だった。久宝留理子さんのツアー、町支寛二さんのツアーに加えて、ぼくはinfixのツアーにもキーボード奏者として帯同した。更にその日程の隙間を縫うように、山本英美くんのコンサートも何本かあった。ぼくは夏の間、久宝留理子さんのコンサートで全国を飛び回っていた。久宝留理子さんのバンドメンバーは、
          ドラムス:大久保敦夫、
           ベース:江澤宏明、
           ギター:高村周作、
         キーボード:板倉雅一、
          サックス:古村敏比古、
 コンピュータプログラミング:池田公洋。久宝留理子さんの夏のツアーは以下の通り。
 久宝留理子「Go! Go! everyday」ツアー
 1992(平成四)年07月20日(月) 仙台エルパークスタジオホール
 1992(平成四)年07月23日(木) 大阪 ミューズホール
 1992(平成四)年07月25日(土) 福岡 ビブレホール 
 1992(平成四)年07月26日(日) 熊本 イエロースタジオ
 1992(平成四)年07月28日(火) 広島 ウイズワンダーランド
‡1992(平成四)年08月01日(土) 名古屋 ハートランド
 1992(平成四)年08月05日(水) 札幌 メッセホール
 1992(平成四)年08月07日(金) 横浜 ビブレホール 久宝さんのコンサートのスケジュールが一段落した頃、町支さんのツアーのリハーサルが始まった。
**************** http://air.edisc.jp/ima/
 http://mi-mychronicle.blogspot.jp/2017/08/1992.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/THE_FUSE
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