小学生の頃、
母が
「最近ねずみが多いから、困ったね。猫でもいたら飼うのにね」
とつぶやいた時、
「ニャ~」と言う声がした。
現れたのは、白と黒のブチ猫のミー君だった。
ミー君はラッキーにも即、我が家の家族になってねずみ退治をしてくれた。
ミー君は忠実な猫だった。
私のお迎えに毎日、家と学校の途中にある石切り場まで迎えに来てくれた。
雨の日も風の日も・・・
やがて、わたしは高校へ行く年齢になった。
家から通えないため、家を離れなければならなくなった。
ミー君はどうなるんだろう・・・
当事中学生だった私の胸は痛んだ。
でも・・・仕方ない。
そして、私が家を離れた時、
ミー君は、なんと!
毎日毎日、私を迎えに石切り場に行っていた。
私はそのことを家族から聞いて泣いた。
でも、どうしてあげることもできない。
やがて、ミー君はいなくなった。
私を捜しに行ったと家族に言われた。
大好きだったミー君
どれだけ泣いただろう・・・
どれだけ、いとおしかっただろう・・・
あれからもう、何十年と時が過ぎた。
この間に、4匹の猫との出会いがあった。
猫がいない暮らしはたった11.5年だけ。
後はずっと猫と一緒。
最初の子は、
結婚してしばらくして我が家に通い猫をしていたシアラと名前をつけたアカトラだった。
去勢手術したのに、娘の出産の際に私が入院したら発情してしまった。
個室の部屋にドクターの許可をもらって1週間一緒に過ごした。
娘を珍しげに見ているシアラと一緒に入院生活を過ごした。
自分も子供だと思っていたのかな?
シアラは外でよく遊び、鳥やトカゲを捕まえて私に見せてくれた。
怖いのに・・・お手柄をほめてあげると、トカゲはタンスの裏に入ってしまう。
ああ、シアラ君。可愛いね!!
シアラは6月4日、突然、交通事故で天国に行ってしまった。
精神的にショックが大きかった。
おかしくなりそうだと思って近所の病院の精神科に行ったら、
ドクターに、
「お嬢さんがいるでしょう?しっかりしなさい!!」
励まされて我に返った。
でも、あの時・・・赤ちゃんだった娘に神経が一杯で
シアラのことをかまってあげられなかったの。
後悔ばかりした。
そんなシアラが、数年前、礼拝の中で賛美をしていたら、
イエス様に抱っこされていた幻を見た。
もう泣かないでね・・・ボクはしあわせだから
って!!
主のもとへ帰ろうと言う賛美。
27歳でがんで天に帰ったTちゃんが作った賛美だった。
賛美が終わったとき、一杯泣いた涙が喜びに変わっていた。
大きないやしだった。
もう二度と猫は飼わない
シアラの死でそう決めたのに、
娘が10歳だった夏、
6月3日
小さな子猫が玄関にいた。
娘が学校へ行く前にこっそりメーターボックスに入れていった。
娘の小さな作戦だった。
あまりに可愛かったので、家に入れてしまった。
ここから、アカトラのチャラ(当時のワッツマイケルや、子猫物語のチャトランブームと同じ猫)との暮らしが始まった。
それから、チャラの兄弟捜しをした。
どの猫とも相性が悪い甘えん坊のチャラ
お留守番が寂しそうだったので、兄弟を捜していた。
住んでいた公団の草むらに野良猫がたくさんいた。
ある日、これも6月だった。
26日の夕方、
おすしを食べに行った帰りに、チャラにお土産にしていた海老を子猫にあげたら近づいてきた。
灰色の猫だった。
家に連れて帰ると、チャラが珍しく「う~~~」と言わない。
これはもしかしたらいけるかも???
シャンプーしてみた。
なんと!!
真っ白!!
チャラがなめてくれた。
家族が増えた日。
チャトランとシロコ
マイケルとポッポちゃんみたいだった。
相性がよかった二匹は仲良く育ってくれた。
娘が12歳の時、我が家に危機が訪れた。
私の離婚。
娘と二匹を引き取ってシングルマザーの道を歩き始めた。
猫の飼えるマンションを捜してみた。
不動産の人が飼えると言ってくれたところに引っ越した。、
ところが!!
ほんとは飼えないところだった。
わたしたちには住んでほしいけれど、ネコは何とかして
大家さんにもそう言われた。
でも大事な家族と離れるなんてことはできない。
友人たちにも依頼して、ネコの飼えるマンションを捜した。
猫がいるからと言う理由で、娘が高校に入った年に猫を飼えるマンションを買って引っ越した。
当時、梅田で1ルームで猫の飼えるマンション20万と言う家賃だった。
どこの誰が住む?
友人が捜してくれたマンションは分譲だったが、そのマンションよりはずっと安く、
毎月半分強の支払いで何とか入れることになった。
(当時は会社員で待遇もよかったけど・・・今は大変!)
娘と共に大切な家族として、
マンションの9階に住んだため、二匹はいつのまにか家猫になってしまった。
二匹いると、よく遊ぶ。
肥満にもならずに元気でいてくれた。
しあわせに暮らしていた。
阪神大震災の時も一緒だった。
あのあと、二匹にも奇跡が起こって
二匹は洗礼を受けた。
そして、救いの必要な人たちのために最期まで働いた。
天国は猫の手も借りたいほど忙しいことを知らされた。
2004年10月13日
シアラが病気で入院した2日目だった。
甲状腺と腎臓と肝臓が悪いので、病院から、ずっと通院とお薬投与を義務付けられていた。
でも、回復はしないまま、時々入院をさせられていた。
お見舞いに行った際に、私の手のひらに顔をうずめて2時間ほどじっとしていた。
それが最期だった。
入院2日目の朝に
「痙攣が起きて息を引き取った」
と病院から電話が入った。
信じられなかった。
病院では、人間のお薬を投与していた。
キャットフードはヒルズのサイエンスダイエット
市販価格より高く販売されていた。
色んなショックで動物病院への不信感を持った。
それ以上に、ペットロスになりかけた。
チャラ、ごめんね!!
一杯、無知だったから・・・
そんな私の悲しみを、真っ白な猫のノンタンが慰めてくれた。
ノンタンはチャラの弟として我が家に来てくれたけれど、
とても遠慮深くて慎み深い子だった。
チャラより自分が前に出ることは絶対しなかった。
お食事もチャラの後
なんでも、自分は拾ってもらっただけで感謝と受け止めているようだった。
だから
あまりなつかなかった。
そんなノンタンが、私と娘に近づいてくれた。
いつもそばにいて慰めてくれた。
しゃべる口元を見てノンタンもおしゃべりを始めた。
ゴハン
おはよう
あ~あ
とか、
色んなことばが通じるようになった。
そんなノンタンをみていると、謙虚さや愛を自然な形で教えられた。
いつしか、ノンタンは一杯甘えてくれるようになっていた。
ノンタンとの暮らしを感謝で過ごせた。
ノンタンは2006年12月14日の朝、天国に帰って逝った。
あと1ヶ月で19年だったのに。
ノンタンは天寿を全うして天国に帰った。
ノンタンの洗礼記念日のクリスマス、12月25日の夜に
友人のペット火葬場で
静かに賛美をしながら天国に送った。
悲しみでいっぱいだったのに、賛美をしていたら
骨になって出てきたノンタンが一緒にいる平安が来て
神さまにどんなにか感謝したことか知れない。
チャラがいなくなってからの2年間
あまりにも密度が濃い日々だったせいか、
世間で言うペットロスにかかってしまった。
生きていることも空しかった。
悲しかった。
頭では天国でしあわせにいることも
一緒に礼拝していることも分かっているのに
ノンタンの存在はあまりにも大きすぎた。
ノンタンがもうじき天に帰るだろうなと思えた12月13日
ノンタンのそばで横になって肉球を押しながら、
アイラブユーを100回言ってみた。
ノンタンは笑ってくれた。
愛してるよ!!永遠に!!
平安な時間だった。
翌朝、小鳥がさえずり始めた頃、
ノンタンは私の手のひらの中で
大きな深呼吸をして、小さくフニャンと言って永遠の眠りについた。
遠くでカラスが悲しそうに泣いていた。
朝の光の中で、ノンタンはイエス様に抱かれて天に帰って行った。
世界が止まった気がした。
寝ていた娘を起こして二人で小さなお葬式をした。
それから、
娘が捜してくれた真空の棺にノンタンとお花を入れて2週間、
クリスマスまで一緒に過ごした。
生まれて初めて、
大きな大きな悲しみと空しさとが私の心に入ってしまった。
仕事も何もかも空虚になってしまった。
しあわせだったから
しあわせすぎたほどしあわせだったから
ノンタンのいない世界は辛すぎた。
しっかりしなきゃ!!
どんなに言い聞かせても、何もやる気が起きない。
何をしていても悲しかった。
辛くて空しかった。
一日一日
なぜ生きていなければいけないのですか?
分かりきっているのに
そんなことまで神さまに尋ねていた。
ノンタンは、死期が近づいた頃、
「生きてるってことはそれだけで
とても尊いことなんだよ」
と言うメッセージを私に残してくれた。
言葉をくれた。
メロディーもくれた。
生きなきゃね!!
でも・・・
生きる気力がなかった。
ただ、生きてるだけ・・・
愛する娘と共に生活をしながら、
娘は私の悲しみや生き方を何も言わず、
旅行に連れて行ってくれたりして労わってくれた。
そして気づいたら、ノンタンがいなくなって一年半が過ぎていた。
猫はもう絶対飼わない。
今度の決断は大きかった。
それなのに・・・
今年の6月6日に我が家に奇跡が起こってしまった。
子猫が飛行機に乗ってやってきたのだ。
(娘はエアラインの地上職GH勤務)
担当してしまった娘から業務中に電話がかかってきた。
生きてるから我が家で預かれないかと言う電話だった。
4日間だけならと言うことで
迷い猫を我が家で預かることになった。
飛行機の中で子猫の声がすると言うことで
大阪空港で次の便を30分遅延して大捜査。
子猫が救出されて飛行機は目的地へ向かったと言う事件だった。
けれど、
引き取り手も飼い主も現れなかった。
航空法で4日間の空港預かりの後、
警察で遺失物として、
生き物は2週間の保管。
それも我が家での保管。
その後、
飼い主や引き取り手がなければ、
殺処分で焼却される運命の子猫だった。
650グラムの子猫はチャラに似ていた。
もしかしたら・・・
ノンタンとチャラが神さまにお願いしてこの事件を起こした???
こんな小さないのちを・・・。
動物病院に連れて行ったら、オスで2ヶ月くらいと言われた。
ドクターは診察料を取らない良心的なかただった。
どうする???
今、あれから6ヶ月
子猫は我が家の家族になっている。
私と娘は、いつの間にかペットロスからいやされて元気になっていた。
神さまの贈り物
憐れみだと思っている。
子猫は我が家に来た日
体の傷やいのちの危機から守られるように、
洗礼をしてあげた。
何が起こっても天国に行ける切符でもある洗礼。
永遠のいのちと約束のしるし
祈ったお水をかけて、子猫に洗礼をしてあげていたら
天から?
RUBY
と名前が響いてきた。
え???
あなたの名前はルビーなの?
フニャン(=^・^=)
子猫はとても嬉しそうに鳴いた。
ルビーの名前の意味は、最高な魂と言う意味。
神さまが贈られた猫だった。
飛ぶ猫
やんちゃな子猫は元気に育っている。
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