深い自己認識に基づいて、
あなたは、イエス様に向かって、
自分の弱さを支えてくださるようにお願いするでしょう。
しかし、あなたが自分は強いと考えるならば、
主を必要としないでしょう。
自分の頑固さをなくすよう、最善を尽くしなさい。
あなた自身を含めた、周りのことに意識を向けなさい。
自分一人のためには、何もしてはなりません。
そうしていると、
あなたも必ず神の恵みを受けるでしょう。
(マザー・テレサ)
”自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、
わたしの弟子となることはできない。
あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、
造り上げるのに十分な費用があるかどうか、
まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
そうしないと、土台を築いただけで完成できず、
見ていた人々は皆あざけって、
『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。
・・・(中略)
「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。
畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」
(ルカ 14:27-35)”
聞く耳のある者は聞きなさい。
主は何度も人々に言われています。
聞く耳・・・
耳はなんのために?
大阪のゴミ埋め立て地での万博、カジノIR中止を祈る一人として、
聖書に書かれていることは現代社会にも変わることなく、あるのだと思う箇所です。
政治家や指導者は、国の税金を預かっている身。
私利私欲のために権利を与えられたのではありません。
国民の期待と信頼。
裏切りの多い昨今ですが、本質は昔も同じでした。
人が人であるがゆえに、
神は愛と真理を曲げることもしないで、
イエス・キリストを通して
どうあるべきかを問われ、
御言葉に従って生きる本来の喜びと感謝の道を示されました。
こんなに貧困社会になっているのに、貧富の差は大きくなって、
差別化、分断化された社会で苦しむ人々が増えています。
老人たちの嘆きの声は、大地にも共鳴しています。
すべての人は時至って老化して、
思うように心や体を動かすこともできなくなり、
やがて手足の動きも止まり、
死を迎えます。
何ひとつ持たないで死ぬのです。
イエス・キリストを救い主として信じた者は、
天の御国への約束が与えられています。
信仰は無条件。
求めるすべてのひとに、
聖霊によって与えられます。
日々、自分の十字架を背負い、
悔い改めて生きることを願われています。
十字架の贖いを感謝して、喜びと感謝の光のなかを歩めますように。
インマヌエルの神は、いつも、永遠まで共におられます。
わたしはいつも、いつまでもあなたとともにいる。
キリエ・エレイソン
Amen.
10月25日の花言葉
ウイキョウ(フェンネル)
賛美に値します・賞讃・力量・よい香り
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