こうおっしゃる若い人へ。
「わたしには決してできやしません。
わたしは、マザー・テレサじゃないんです。」
わたしは、彼らに言うでしょう。
あなた方には、清い心が必要です。
わたしたちは、その心を祈りによって得ているのです。
それは、大きな愛の始まりなのです。
清い心で祈ることによって、
貧しい人たちの中にイエスさまを見いだし、
救い主が彼らにしてほしいと望まれることは、
何でもできるようになるでしょう。
飢えている人に食べ物を、
裸の人に着るものを、家のない人に家を、
ただ愛のために与えることを。
この頃の若い人たちは、
愛の行為や信仰のこもった行為を、
耳で聞くよりも、直接見たいと切望しています。
(マザー・テレサ)
『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、
のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、
裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、
お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。
『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
(マタイ25:37~40)
人間がどのように生きることが、
しあわせで天国にいるように生きれるのか、
イエスさまは弟子たちに語られました。
このみ言葉を読むたびにトルストイの童話「靴屋のマルチン」を思います。
どんな時にも、どんな人にも、神の御手の中でひとつでありことを教えてくださる主。
憎しみ、争いに目を向けずに、
愛に目を向けて
みんなが手をつないで仲良く生きてほしいと。
子どもたちの明日に笑顔の魔法を。
主の願いを聴くものであらせてください。
キリエ・エレイソン
10月24日の花言葉
クリ
公平・豪華・満足・真心
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