HappyChristmas

ほんとうの自分を知る時

そのとき、賞賛も恥辱も関係ありません。
自分のほんとうの姿を知っているのですから。
あなたが侮辱されても、落胆することはありません。
人があなたを聖人と呼んでも、うぬぼれることはないのです。
ほんとうに自分を知る時、わたしたちは、ただひざまずくのです。
マザーテレサ

坂倉圭神父様にお会いしたのは5年ほど前でした。
娘が住んでいる近くにあるカトリック教会でのミサのあと、庭に出てお話しする時間を神さまが与えて下さいました。
お花が大好きなかたで、庭のお花を愛おしそうに話される姿を見ていると、
おんなじ思いの方だなあと嬉しくなりました。
アッシジの聖フランシスコに通じる方との出会いは嬉しい感謝になりました。
カトリックの神父様にはあまり知り合いがいませんが、
神父様と話していると、カトリックとプロテスタントがひとつになったらいいな、
そんな思いを感じました。

ある時、娘が坂倉神父様の著書
「マザーテレサ死の場面」を持ち帰ってきました。
先日、もう一度ゆっくりと読んでみました。
カリガットでの生活の厳しさの中で変えられていく思いと信仰は、
マザーと共に生き、また、死を待つ貧しい人々の中にも生きておられるイエスさまを見られるようになってから、
聖霊様が無理なく静かに導かれたように思いました。

カリガットで坂上神父が司祭になった報告をされた時、
マザーはその足元に跪かれたそうです。

今日のマザーの言葉を読んでいると、そのシーンが目に浮かびました。

マザーの信仰の姿勢はすべての人のなかにキリストを見ることでした。

人の目ではなく、キリストの目ですべての世界を見れますように・・・
平和の希望です。
わたしもそうありたいと日々祈っています。

ペテロに言われたイエスさまの言葉が聴こえてきます。
”わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思うものは、それを失うが、わたしのために命を失うものは、それを得る。
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。(マタイ16:24~26)”

なにももたずにイエスさまについていくの!
天国からRubyもAmen.
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