1月17日の花言葉
ユリオプスデイジー
円満な関係・清楚・無邪気
神はわたしたちの中に住んでおられます。
あなたが汚れなく、聖い心でいるかぎり、
あなたがどこにいるかは関係ないのです。
汚れなく、聖い心とは、心が開かれている状態です。
開かれた状態とは、完全な自由、
つまり、どんな妨げや障害にもかかわらず
神を愛することを可能にしてくれる無私の状態を意味するのです。
過ちが生活の中に入り込んでくると、
それは神とわたしたちの間で、本人の内部の障害となります。
過ちは、
わたしたちを囚われた者にすることにほかならないのです。
(マザー・テレサ)
あなたが汚れなく、聖い心でいるかぎり、
あなたがどこにいるかは関係ないのです。
汚れなく、聖い心とは、心が開かれている状態です。
開かれた状態とは、完全な自由、
つまり、どんな妨げや障害にもかかわらず
神を愛することを可能にしてくれる無私の状態を意味するのです。
過ちが生活の中に入り込んでくると、
それは神とわたしたちの間で、本人の内部の障害となります。
過ちは、
わたしたちを囚われた者にすることにほかならないのです。
(マザー・テレサ)
野の花がどうして育っているか、 考えて見るがよい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
(マタイ8:28~29)
1.17
30年前のこの日の朝、
関西では大きな揺れで起こされた人たちが多くいました。
一瞬にしてあの美しい神戸の街が
焼け野原になっている報道、
映像を見て涙が止まらなかった。
大阪に住む私にも各地から電話がかかって安否を気遣われたけれど、
大阪の被害は神戸とは比較にならないものでした。
阪神高速神戸線が途中から折れて
車が道路に落ちていたり、宙吊りになっていました。
マンションのドアがあかなかったり
押しつぶされた家の下敷きになって亡くなった方が多くおられました。
突然の悲しみ。
神さま、どうぞ、すべての霊を天に引き上げてください。
祈りながら、我が家の食器棚から落ちていく食器を見ていると、
「お前のものは何一つない」
静かな声が聞こえました。
神さま・・・そうですね。
手前に並べていた高級な食器たちは粉々に割れて重なっていました。
モノに執着しないって大切なこと。
子ども部屋から出てきた娘と、割れた食器のために
行き来ができない中で、
「わたしはいつもお前と共にいる」
神さまは優しくフォローするお声をくださいました。
神がいつも一緒におられる。
こんな平安は他にありません。
感謝してお片付けをして娘と一緒に祈りました。
初めて芦屋までJRが開通した日、
私と娘は芦屋の教会に向かいました。
駅から教会へ向かう道には、
潰れた家、傾いている家がたくさんありました。
ある家の前には、お菓子がお供えに置かれていました。
この家の方、亡くなったの?
私の好きなお菓子!
娘が触れようとしたので止めました。
言葉をかわすことなく教会に着いて、神さまに祈りました。
悲しみで押しつぶされそうな空気感がありました。
被害を受けた人は教会に来ている人の中にも数名いましたが、
亡くなった人はいないとのことでした。
一人ひとりの祈りを一つにして神さまに捧げ、賛美を捧げました。
その日の帰りにランチをしている時でした。
「私の周りに3人の人がいる」
娘がそう言いました。
具体的にその3人の特徴を言うので、
もしかしたらと思って、娘と一緒に祈りました。
”ちりはもとあった地に帰り、
霊はこれを下さった神に帰る。
(伝道者の書 12:7) ”
「ここにいる人たち、
イエス・キリストの十字架のなかに還りなさい。
イエス・キリストの御名で祈ります。Amen.」
御言葉どおりに、
「消えた」
と娘が言いました。
良かったね!
この祈りは覚えておこうね!
その日の夜、眠ろうとした時でした。
もう、数え切れない人たちの姿が目の前に見えました。
これって・・・
人一倍臆病者なので、怖くなりました。
でも、昼間のことがあったので、同じように祈りました。
すると、一瞬に人々の姿は消えました。
イエスさまの十字架を通して天国に帰れたのだと思いました。
恐れるのは主だけ。
その日を境に私は霊の恐怖から解放されました。
よく見ていたっけ・・・
怖くて眠れない夜もありました。
このことだったのだ。
イエス・キリストの名前の凄さ、
すべてを支配しているという愛の神の名前。
感謝でいっぱいになりました。
クリスチャンになっててよかった。
この祈りを知れてよかった。
心からそう思いました。
よく、さまよう霊とか、成仏していない霊とか言われますが、
十字架の愛の中ですべてが完成するのだということがわかりました。
知性や理性ではわからない、神の愛の無限の無条件の世界です。
主イエスさまが身代わりになって死なれて、
3日目によみがえってくださった、
そのことの意味がわかった気がしました。
以後、旅行に行く時などに、
自殺の名所にも立ち寄ることがありますが、
同じ様に、
すべての霊が十字架の中に帰るようにと祈るようになりました。
空気が変わったね!
私たちクリスチャンの祈りは、
天と地を繋いでいる最も大切な祈り。
こんな世界があるのです。
神さまは責めることなく、
咎めることなく、
その葦を折ることなく、
一人ひとりを愛しておられます。
わたしの愛の中にお帰り。
わたしの愛のなかで生きなさい。
私を、私たちを創造されたかただから、
いつもともにいてくださるのです。
そのために
クリスマスがあり、
イースターがあり、
ペンテコステがあり、
毎回主の死と復活を覚える聖餐式があります。
人類はお祝いし、
感謝して、
罪の悔い改めをして、
新たな力を与えられ、
この世で
神さまが願われている平和の実現のために
この福音を伝えながら生きていくのです。
無条件の愛は、
一人ひとりに、
その時に合った方法で与えられ、
聖霊さまが正しい道へ導かれます。
宗教だと思っている日本の人たちに、
宗教ではなく、ヒトをつくられた唯一の神の愛が届きますように。
神の手の中にいることに気づいて
感謝で生きることができますように。
日曜日は教会へ行きましょう。
待ち続けておられる主と出会いましょう。
(教会がフィーリングに合わない場合は、
別の教会へ行ってみることもおすすめします。
聖書に忠実で十字架の死と復活のキリストをみ言葉を通して取り次いでいる教会へ、まず、「私にわかるように導いてください」と祈ってから出かけてください。聖書を読むときも同じように。
GodBlessYou!
インマヌエルの主なる神の愛の中へ
永遠の神の家族に出会えますように・
Name Jesus,Amen.