神の名のもとに憎しみをいだいてはなりません!
神の名のもとに戦争をしてはなりません!
(教皇フランシスコ、2014年10月8日、バチカン市国、サンピエトロ広場での講話)
教会における女性は、司教や司祭よりも重要な存在です。
(教皇フランシスコ、2013年6月28日、イタリア、ローマへの機中での取材)
私は神を信じていますが、カトリックの神ではありません。
なぜなら、カトリックの神などいないからです。
おられるのは神だけで、私が信じるのはイエス・キリスト、
つまり、人間の姿を借りて、この世に現れた神です。
(教皇フランシスコ、2013年10月1日、イタリア紙『ラ・レプッブリカ』の取材)
一部の人は、こういう表現を使うのを許していただきたいが、
よきカトリック教徒であるためにはウサギのようになる必要があると考えています――
でも、それは違います。
(教皇フランシスコ、2015年1月19日、イタリア、ローマへの機中での取材)
今日の教会に必要なのは、傷を癒やし、信仰心を育む力だというのは明らかだと思います。
(中略)教会は野戦病院のようなものだと考えています。
(教皇フランシスコ、2013年9月30日、米国誌『アメリカ』の取材)
人は利益や消費の幻想の犠牲に、
つまり『使い捨て文化』の犠牲になっています。
コンピューターが壊れたら悲劇ですが、多くの人の貧困や欠乏や窮状は正常化するでしょう。
(教皇フランシスコ、2013年6月5日、バチカン市国、サンピエトロ広場での一般謁見)
怒りにまかせて、皿を投げつけるようなことがあっても、忘れないでください。
その怒りを翌日まで持ち越してはなりません!
何があってもぜったいに!
(教皇フランシスコ、2014年2月14日、バチカン市国、サンピエトロ広場での講話)
心の中に、亡くなられたおじいさんや、おばあさんとの思い出がありますか?
彼らは、家族の知恵のようなものであり、まさに人類の知恵なのです。
(教皇フランシスコ、2013年10月26日、バチカン市国、サンピエトロ広場での講話)
真の愛は、愛すると同時に愛されることです。
愛を受け取ることは、愛を与えることより難しいものです。
(教皇フランシスコ、2015年1月18日、フィリピン、マニラでの講話)
扉を開いて歓迎し、受け入れるばかりの教会ではなく、
新たな道を見いだす教会にもなろうではありませんか。
(中略)信仰を捨てた人や信仰に関心のない人たちのために。
(教皇フランシスコ、2013年9月30日、米国誌『アメリカ』の取材)
ローマほうおうは、
しんじつの
おわりのひにいきるひとなのですニャン。
キリストのあいだけでよいといえるひと。
しゅにかんしゃ
ニャーメン
『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。
そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。
その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、日はやみに月は血に変るであろう。
そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
(使徒2:17~21)”
時は今なのニャン
ニャーメン
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