日本からやってきた者として

2006-09-04 22:06:40 | Weblog
週末、プシュカルに行ってきた。
湖があって、山のてっぺんにヒンディーのお寺がある。
しかも物価が安くて買い物にもってこい。

しかしですね、しかしですね、
お寺には行きませんでした。
買い物もしませんでした。
湖だけ見て帰ってきました。

プシュカル買い物ツアーでリベンジせねば


土曜日にはスワッチさんちの仲間たちとmochaって言うお店に行った。
おいしいし、雰囲気もよくて好きだ
フラ語の授業で見たクロックムッシュを発見してひそかに興奮。注文。
これがインドで食べた一番おいしいものかもしれない(笑)。

何かゲームをしようと言う案が出たので、各国のゲームを教えあった。
イギリスからは、21ゲーム。
1から21までを順に言っていって…中略…21を言ったら罰ゲーム。
これをみんなが理解するのに15分くらいかかった。
日本からは、題名は知らないけど「いっせーので」って言って親指を立てるゲームを提案。
でもこれをするのには人数が多すぎた
その後、牛タンゲームを提案。最後までフラビオくんだけにわかってもらえず断念。
誰か牛タンゲームを英語で説明する原稿考えてください

セスの提案で「コムシコムサ」っていう、日本で言う「古今東西、山手線ゲーム」見たいな事をして遊んだ。
やっぱり知識はどこで育ったかで違うことを実感。
クリケット選手の名前なんて一人も知らないよ?

色んなゲームで全員罰ゲームに1回はかかった。
寝てる人のまぶたに目玉を描いたり「肉」って書いたり、ひげをかいたりする悪ふざけが日本にはあるって話を前にしたことがあって(ってか日本でそんなことしたことありませんが…)Japanese Body paintingはスワッチさんちの研修生の間では常識となっているので、それをしてトレイニーディナー(週1の研修生の集い)に行くのが罰ゲームになりそう。

ひそかにみんなの親指に「チ」って書いてやろうと思ってる。
そのうちせんだみつおゲームもはやらせようと思っている。
私はもしかして間違った日本文化を教えてるのかなぁ

驚き疲れた初日

2006-09-02 22:50:42 | 私が見たインド
忘れないうちに、初めてトレイニーハウスに来た日のことについて書こう。

日本からデリーそしてジャイプールへの約2日の旅にげっそりしていた私を、
空港の外で2匹のリスが迎えてくれた。
それが最初のインドでの動物との出会いであった。

お世話になるアイセックメンバーの家に着いて、おばさんこんにちはと言った端から、アヌーを”my servant”と紹介されて最初のカルチャーショックを受ける。

自分の部屋に至るまでに家の中を通り、それが方向音痴の私に覚えられるかどうか不安なほど入り組んでいたことも、アヌーとアンジョリーとは別のお手伝いさんの部屋を通っていかないといけないことも、その部屋に数着の服しか見当たらなかったことも、すべてに驚いた。

人間が本当に必要とする物ってそんなには多くないのかもしれないと考えたりした。
衣食住足りていれば、ほんとはそれで満足できるはずだとか考えてみた。


例の天井にファンのついた部屋に案内され、ルームメイトを紹介された。
正確には彼女はまだ寝ていた。時刻は8時くらい。
壁にかけたインドっぽい柄の数枚のスカーフがファンの風にはためき、インドの音楽が聞こえていた。
この子はすっごいインド好きなんだと直感した。
それから10分くらいしてダリアちゃんは起きて仕度をしてお仕事に行った。ルームメイトがいることにわくわくし、感じのいい子だったからうきうきした。

到着した日、私の部屋のファンは実際には回らず、インドの音楽は隣の部屋から聞こえてくるテレビの音だと判明した。今では朝7時から夜中までつけっぱなしのテレビがちょっとした騒音公害である。ルームメイトは数日中にお腹をこわし、看病が必要になった。
そして私の部屋には蟻がいた。

というかベッドの上に蟻がいた。

そこでインドに来て初の教訓を学んだ。

「蟻を見たら、近くに蟻の行列がないか確認すべし」

蟻は私のベッドの上を行進していた。
疲れからか、ショックからか、頭がくらくらした。
ともかく、スーツケースを片付けてから考えようと、気を取り直した。

荷物を片付けてしまうと、急に眠気が襲ってきた。
蟻の行列をにらんだ。
やつらは私の部屋の入り口から隣の部屋へと私のベッドを経由して絶え間なく行進していた。
勘弁してくれ。

蟻と対峙する気力は残っていなかったので、勝手にルームメイトのベッドを借りた。
れくらい許されなくては私の生存権が侵害される。

1時間寝て起きたとき、頭が激しく痛かった。
バファリンを1錠すきっ腹に飲んでまた眠った。

夕方起きて朦朧としながらリビングに行くと、アヌーが部屋の掃除とファンの修理をしてくれると言うので鍵を渡した。蟻がいるので何とかしてほしいと強調した。

他の研修生たちが続々帰ってきて、夕食の時間だ。

クルートが面白そうなことを提案していた。
社長の知り合いが、2階建てバスを購入して、そのイメージビデオを撮影するのだけれど、観光客役としてみんなででエキストラ出演しないかというものだ。

出発は夜の9時。初日から夜出歩くことになった。
でもみんなと一緒だし、と自分を納得させる。

写真はそのときバスで食べたインドの定食「タリ」。
2階建てバスはオープンカータイプで、電線や街路樹すれすれに行くスリリングな場面も。
何がなんだかわからないうちにバスツアーに参加し、ジャイプール市内を小さく1周し、ライトアップされたCity Palaceなんかを見た。
バスのイメージビデオはどこで何に使われているかはわからないが、初日に観光名所を見れるとはラッキーだった。


11時に帰ってくると、部屋がきれいになっていた。
天井のファンも回った。
そして蟻もいなくなっていた。
ベッドカバーも変えてくれてて、安心して眠れた。
翌朝、蟻の出所は部屋の外、コンクリートの隙間だと発見してそこに虫除けスプレーをかけておいた。それからもう部屋に蟻は入ってこなくなったが、毎日蟻の巣を観察しにいくのが日課になった。よし、今日も出てきてないと。

インドにはほんとに動物も虫も多い。
そして人も多い。

インドに来て1ヶ月経ったけど、毎日たくさん驚く新鮮な気持ちを失わずにいたいと思う今日この頃だ


帰りたい虫たじたじ

2006-09-01 22:46:43 | 仕事のこと、会社のこと
日本食が食べたい食べたいと言っていたら、今日日本の味をたらふく食べる機会があった~

今日のバイヤーさんたちは毎年ジャイプールに来て夏物を仕入れていくそうなんだけど、去年からは最終日に大ソーメン大会をしているそう
それにひょっこり混ぜてもらった

日本からのバイヤーさんは少なからず日本食を持ってきているものだけど、日本食だけで昼食会を開けるほど持ってきているのははじめてみた

6人の大所帯で相談しながら品物を決めていく様は、文化祭の準備みたいで楽しそう。でもやっぱ売れるものを作るプロの目は厳しいと思った。

異国の地で食べたチキンラーメンはそれはそれはおいしかったのでした
見事に私の日本に帰りたい虫を退治していってくれた感謝感謝
残してくださった大量の日本食を糧にあと1ヶ月がんばるぞ~

バイヤーさんたちは今日の午後の飛行機でデリー→日本へと帰っていきました
快適な空の旅を~

今日から9月。そろそろ研修も折り返し地点に来ている
今まで学んだこと、まだまだ足りないところ、ちょっと振り返って考えてみないとね


~今日の裁縫~
ミラーステッチ。日本でも人気のある鏡を使ったエキゾチックな飾り縫い。実はジャイプールのあるラジャスターン州が本場。なかなか難しかったけど、裁縫の腕は不必要なほど着実に上がってきてる(笑)。
インドではよくデザインに使われているゾウは幸運のシンボルらしいそれと同じで、鏡の装飾にも魔よけだとかの意味があるのかなと思ったんだけど「鏡がついてたらキラキラしてきれいだから」という装飾の意味合いしかないと言っていた。でもやっぱり、ラジャスターンは砂漠の州だから、光が重要だとか、何か深い意味があると思いたい

ルームメイト

2006-08-31 22:14:44 | トレイニーハウスと仲間たち
トレイニーハウスの仲間たちについて書こうと思います

まず、ルームメイトのダリア。
ポーランドからやってきました。
美術系の大学に行っているそうです。油絵が得意なんだとか。
ルームメイトって言っても、実質は2部屋。間にバスルームがあって、行き来できる。
一緒に買い物に行ったり、夜中まで語り合う仲なんです
ダリアちゃんがポーランド語しゃべる姿にときめいちゃう.

続きまして、エストニア人のクルート。
アパレルの会社で、ほんまにデザイナーとして働いてて、布の柄とかをデザインしてるみたいです。大学でもそういう勉強してたみたいで日本の絞り染めのことも知ってた頼りになるお姉さんです。

ドイツからは3人の研修生が来ています。
活動的なアリス。経済の勉強しようと意気込んで来たのに、実際には仕事は存在せず、毎日ネットサーフィンくらいしかすることないって怒ってます。しょうがないからインターンシップの目的を「勉強」から「旅行」に変えたそうです.

セザンヌはNGOで働いている子。間の取り方で笑を取る、関西人にはたまらない子です(笑)。

あと一人、最近来た子が…名前なんだっけな…めっちゃ失礼だけど、この子もNGOで働くみたいですよ。この間いっしょにバナナ買いに行った。

イギリス人のリサもNGOで働いてる。オックスフォードをこないだ卒業したみたいで、きれいなクイーンズイングリッシュ&きれいなお姉さんです

フラビオはフランス国境に近いとこ出身のイタリア人。「彼はひそかに化粧をしている」という説が出回るほど、仕度に時間がかかる(笑)。

南アフリカ出身のセス。最初はセスの英語が聞き取れなくて困った。今はインド英語でもどんな英語でもドンと来い、かな


今日は日本からのバイヤーが来なくてめっちゃのんびりしてました
明日からまたがんばるぞ~

機内食の写真を載せておきます。このときから米が長かった

日本食が恋しい

2006-08-30 19:03:11 | 私が見たインド
何ヶ月日本から離れようと、日本食が恋しくなることはないと言い張っていた私だが、正直に言おう、
日本食が食べたーい

トレイニーハウスのご飯だけだと、栄養偏ってるんよね。
ビタミンミネラルとたんぱく質が足りない。
朝はジャムトーストだし、
昼はチャパティにカレーをまいたチャパティーロール。
夜は大体カレー1種類か2種類にライス&チャパティー。

今は果物も自分で買いにいけるようになったから、オプションでバナナやパパイヤやラッシーをつけられるようになったよ

ホストファミリーがベジタリアン。だから基本的に肉はなし。
カレーが辛いのは、保存しやすくするためだけでなく、お肉を使わない分、味を単調にしないための工夫でもあるんだと思う。

毎食カレーというのは意外と慣れた。カレーにもスパイスの使い方によって何種類かあることもなんとなくわかる。
1番ハズレがないのは定番ポテトカレーで、意外にもナスのカレーが続く
最も勘弁願いたいのはかぼちゃのカレー。インドのかぼちゃは甘すぎ、カレーは辛すぎる。見た目ポテトカレーかと思わせるが、要注意だ。カレーの中のかぼちゃは酢豚の中のパイナップルの如く自己主張してやまない

研修生の中にも、インドに来るまでは辛いもの好きだったけど、一度お腹をこわして以来辛いものが苦手になったって人が出身国に関わらずけっこういる。
みんなでご飯を食べに行くと、辛くないのはどれだ~って情報を交換し合う(笑)。
何でももりもりおいしく食べられる丈夫な胃腸に感謝です

毎日カレーなのには慣れたけど、お肉がないのは寂しい。
鶏もも肉を1枚、塩コショウだけでジュゥって焼いて食べたい
あと、よっちゃんいかが食べたい
定番の味噌汁&梅干は持ってきたけど、あると思うとそこまで食べたいと思わないんだよねこれが
粉末のポタージュ&コーンスープを持ってきてるから、たまに朝ごはんにしてる。
あ~よっちゃんいか食べたい

復活

2006-08-29 16:35:06 | Weblog
昨日は会社を休ませてもらった。
日曜、月曜とよく寝させてもらいました
もう元気です。大丈夫。マラリアでもありません(笑)

頭痛が結構ひどかったから土曜に病院へ。
血圧は正常。熱は華氏103度。たぶん39.4℃。換算式はF=℃×1.8+32だったよな?
重症でしたが、注射を1本打ってちゃんと服薬したら回復した。

インドの医療についてはいろいろ聞いていたけど…
大丈夫。ちゃんと治ったし。
ソデゥム何たらっていう注射を打ったら、5分くらいで頭痛がなくなり、
悪寒、手足の冷えも収まり、熱も下がった。
胃薬+マルチビタミン&ミネラル+解熱鎮痛剤+抗マラリア剤を処方してもらって朝夕服用。
薬の名前は正直わからなかったりするけど、とりあえず薬学の勉強してるといえばどこでもテキトーに扱われたりはしないだろう。
注)抗マラリア剤は念のため。血液検査の結果マラリアではないと確定した。


ムリしてまで会社のために働くという美徳は捨てて、昨日は休ませてもらった。
今日はもうすっかり回復したよ
残りのインド生活もテンション上げて行こー


写真はガニーシャの誕生日のお祭り。インドの楽隊。
インドでは週1以上の頻度で何かのお祭りがある
ガニーシャはシバ神と奥さんのパールバディの間の子供。ゾウのお顔をした神様。
みんなおしゃれしてイルミネーションを施されたお寺に行くのです

頭痛い…

2006-08-26 22:27:38 | Weblog
頭痛くて熱がある。
昼から商談でエアコン効きすぎのショールームにいたからひどくなった。
インド人の好きなブラックジョーク
「それってマラリアかもよ」に答える気力がない。
明日はどこにも行かずに1日寝てよ。

ひそかに続けていること

2006-08-25 21:10:38 | 仕事のこと、会社のこと
インターンシップをはじめるとき、そこまで服飾に興味があったわけではなかった。
社会が動く仕組みをちょこっと見てみたかった。
それがたまたま繊維業界を通して、というだけのつもりだった。
おしゃれにも人並みには興味はあるが、インドでセンスを磨こうとは思っていなかった。

そして、断じて、
はるばるインドまで裁縫を習いに来たわけではないのだが、
ひそかにハンドステッチを教わっている

きっかけは、サンプル制作室のおばちゃんたちのところへ遊びに行ったこと。取り仕切っているスチットラさん以外はみんなヒンディー語しか話せない。
言葉が通じないと手持ち無沙汰なものである。
ややこしい刺繍もあったけど、私にもできそうなやつがあったから、
そこにあった余りきれと針と糸で見よう見まねではじめてみた。

それからというもの、
一日一種類のステッチをスチットラさんに教わっている。
今日数えてみたら9つ目だった。


研修生に任せられる仕事なんて限られているもの。
与えられた仕事だけだとけっこうヒマ。
来る前は「仕事くれないなら自分でみつければいい」
なんて生意気なことを思ってたけど、
それはどんな仕事でもこなせるようになってからはじめて言えることで、出来る仕事もないのに見つけることなんてできないと気付いた。

役に立つかどうか、見合っているかどうか、そういう問題ではなく、少なくとも毎日何か新しいことを学べているという実感が欲しかった。
もちろん裁縫だって実際に役に立つこともあるかもしれないし(笑)。


今日も日本からバイヤーがお見えになっているけど、もう何度もうちから買っているそうで実にさくさく決まっていく。
私より英語のうまい人がいるから全く出る幕なし。
色違いはベージュ、ブラウン、カーキにすべきか、オフホワイトも入れるべきか、とか、
この色がベージュならこっちはサンドベージュと呼ぶべきだなってな事を決めていくところだったから、こっそり退却してきた

7月に大阪であったインド衣料品展の際に注文を受けたサンプルが出来ているかどうかを確認するのが日課だった。
最初は①担当者のところに行く②サンプル各々の状況を書き留めるだけという作業ですら大仕事。
まず、与えられた資料の字が汚い。どこに担当者名があるかがわからない。それから、人の名前を覚えられない。その人がどこにいるのか分からない。

3日目にオショークおじさんがポストイットを貸してくれたときには「これだ~」って思ったものだ。そりゃ私だって考えてたけど、私が一人で買いに行けるのはラッシーだけなものでね

この作業を通してみんなの名前といる部屋をだいぶ覚えた。
サンプルはほとんど発送を終えてしまったから、サンプル制作室全体にのんびりした空気が流れている。
これからは展示会で興味を持ってくださった日本のお客様が見学や商談にくる時期なんだそうだ

1000万円の

2006-08-24 14:23:56 | 仕事のこと、会社のこと
日本からバイヤーがお見えになり、昨日は1日商談に付き添っていた。
というか、商談を見学(笑)。

朝の11時から夜の7時まで1日がかり。
商業のことも繊維業界のことも分からないけど、よい経験をさせてもらえた。
英語(?)の練習にもなったかな

今回お求めだったのは、来年の夏物。
ターゲットは中高年マダム。
驚いたことにインドのボス(会社のNO2、社長の弟)は「おばちゃんファッション」を知っていた。
英語の「is」の代わりに日本語の「は」を使ってコミュニケートするあたりさすが
「オバチャンはリッチ、so タカイはノープロブレム」なんていう文はほとんど日本語。
すげー


インドの会社としては高く、同じデザインでたくさん売りたい。
日本の会社としては安く、いろいろなデザインをちょっとずつほしい。
その辺を話し合うのですな

日本の会社はインドで買い付けをするのは今回が初めて。
しかも本業は布地だから、既製服分野はしばらくやっていなかったとの事で、かなり迷っていた。

結局この日売れたのはワンピース3000枚と布地数千メートル分。
一日の商談で1000万円近い契約が成立

双方歩み寄った値段および数量だったから、インドの会社に
「せっかく日本人研修生を雇ってるからには、もっとこっちに有利な契約をしたいのに」って思われないかなって心配したんだけど

日本の会社の方は
「損になるようなら契約してないから大丈夫だよ」と言ってた。
「たぶん今日僕らが帰ってから一人でにこっと笑うよ」とも
へ~へ~。そういうものなのか。

飛び交う親父ギャグにはちょっと困った。
商談は通訳の必要なかったのに、親父ギャグを訳せと言われても
お昼のメニューを決めるときに鶏チャーハンか卵チャーハンかどちらがいいかたずねたら、
「riceの話をしているのではない、priceの話をしているのだ」
っていうのだけはおもしろかったけどね

ダージマハール!

2006-08-22 19:35:23 | インドの旅
4時半にタージマハルのあるアーグラーに到着。
リキシャー(3輪タクシーのようなもの)をつかまえてタージマハルに向かう。
アーグラーのリキシャードライバーには要注意と聞いていたが、40ルピー(1ルピー=2.5円)という良心的な値段で連れて行ってくれた。

午前5時。ダージマハルの正門に到着。
辺りは全くの闇。
ビスケットとバナナを朝ごはんにする。

門が開くのは6時と聞いて、それまでどうしようか迷っていると、
「ダージマハルの夜明けを見ないか」というおじさん。
聞けば一人100ルピー。でもこれはかなり高い。
交渉で一人20ルピーにに負けてもらって見に行くことに。

おじさんはタージマハルの庭師らしく、毎朝そうやって観光客を案内しているらしい。
そんなセカンドビジネスとは
おじさんの顔パスで門を開けてもらった。
すぐ近くではないものの、それと確認できる距離で暗闇のタージマハル&タージマハルの夜明けを満喫。写真をパシャパシャ撮りまくる。

タージマハルの実際の入場料は750ルピー。それがいかに高額であるかはラッシー1杯6ルピーを見れば少しは実感がわくだろうか。
750ルピーは観光客の入場料で、インド人なら20ルピーで入れる。その差37.5倍

中には何もないよと聞いてはいたが、一生に一度のタージマハル。入らないわけには行かない。
たぶん、タージマハルのたまねぎ型の建物の中には何もないよという意味であって、やはり750ルピー支払う価値は十分にあった。
入場の時には荷物を預けなければならず、少々面倒だ。
小さなバッグならもって入れるが、基準はあいまい。

ガイドブックや歴史の資料集に載ってるような写真が取れるスポットがあるのには興奮した
あまりにも左右対称なので、正面から写真を撮るのは難しい。あとでフォトショップで加工なんて事はしたくないので、細心の注意を払って撮る。撮る。撮る。
どっかで見たことあるような写真が撮れた。
ほんとに天気がよくてよかった。

掲載した写真はタージマハルの横から斜めに撮ったもの。
横も正面と同じつくりになっている。
建物の間から太陽が昇ってきていて、きれいだった。

9時頃には日差しもじりじりと照りつけてきた。
タージマハルの両側には赤いモスクがあり、その日陰でしばらく休んだ。
夜行バスではほとんど眠れず、眠い。けっこう眠い。
うとうとして顔を上げるとタージマハル。
うとうと、タージマハル、うとうと、タージマハル。
強い日差しに照らされて圧倒的な存在感を放つ。

タージマハルの後ろをぐるっとまわってから中にも入った。
中には何もないわけではない。
きれいに装飾を施された大理石の棺がある。
だが建物の存在感があまりにも大きいために迫力負けしている。それは確かだ。

タージマハルの横には小さな博物館もあり、設計図なんかが展示してあるらしかったが、開館時間の10時まで待てないのでスルー。

タージマハルを見たら、しばらくは何を見ても感動が薄い。


9時半ごろにタージマハルをあとにした。周りにはレストランやゲストハウスが並んでおり「Good breakfast」との呼びかけ多数。
もう昼なのに朝ごはんなのか?と軽く突っ込みながら目的のレストランを探す。
5分ほどでシャンティロッジに到着。
ドイツのガイドブックに載っていたところだが、屋上のレストランからタージマハルと正門が見える。タージマハルの夜景を見ながら食事なんてのもいいなと思う。
あとで調べたらシャンティロッジは地球の歩き方にも載っていた。

レストランに着いてからまだ10時前だと気付く。
なるほど、Breakfastなわけだ。
そこで本日2回目の朝食をとる。2週間ぶりくらいに卵を食べた。
バナナラッシーもおいしかった

11時過ぎにレストランをあとにした。
帰路は昨日の日記にも書いたが、なかなか大変だった。

夜の8時にトレイニーハウスに着いてから夕食を食べた。
長い道のりのあと、トレイニーハウスが安らぐ場所に変わりつつあるのを実感