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児童虐待からの回復の戦いを制する 其の36

2021-03-22 13:55:12 | 日記
僕には金銭感覚がないのだろうか。お金があれば皆使ってしまい、一度だけ郵便貯金をした事があるが、貯めようと言う意識がない。けれど、どんな事でも挑戦して行くことは苦にはならず、また使った分稼げばよいと思っている。でも今は働けないので食費にもことを欠き、一日200円の生活費しか残っていない。以前困った時はフードバンクを利用したが、一度しか利用できないようで二度目は断られてしまった。先程昼食を摂ったが、菓子パンと絹ごし豆腐だけだった。

栄養を摂ってないので減量は出来るが、力が湧いてこない。来月も3万円の借金があり苦しい月になりそうだ。けれど時間はあるのでこうして根を詰めながら文章を書いている。先程今週二度目の有料電話を利用したが、トークに関してはプロの方で、10分と時間は短いが楽しいひと時を過ごすことが出来た。以前電話相談のスタッフに僕のアメブロ時代の文章を読んでもらったが、実物はこんなに明るくひょうきんなのに、もっと普段の調子でブログを書いたら、と言われた。けれど昔の事を思い出すとひょうきんではいられない。

あと権威のある人を前にすると、女性であっても委縮する時がある。以前ヨガの教室に通いレッスンの後、もう一人参加していた有名なヨガの先生と同じ電車に乗った。そして僕が近くに座って良いですか、と聞いたら他にも席は空いている、の一言で僕は委縮してしまった。彼女は僕より年下だがヨガの先生としてはかなり有名で名前を知らない人もいないくらいの女性だった。でも様々な場所に出かけたので、視野は広がった。

男は女性によって成長するし、女性も男によって成長するのだろうか。でも言える事は常に上の世界を目指さないと成長はないという事だ。僕のような働きもしない人間が言うのもおこがましいが、現状に甘んじるのは絶対に嫌だ。本来ならもっと虐待について書かねばならないが、疲れているのだと思う。昨夜もほとんど眠れなかった。短期間に文章を集中的に書いたので気持ちが昂ぶっているのだろう。しばらく休養を取りたいと思う。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の35

2021-03-22 06:53:12 | 日記
昔の精神医療について考えてみたい。僕は長い間AC概念の治療を受けるまで何もしてもらっていない。精神科病棟では看護師さんに余りにも僕が何も知らないので、君はマザコンだね、とみんなに言われていた。その頃は精神医療では虐待やDVは存在していなかった。もちろん共依存の概念もなく、友達が出来たと主治医に話すと、それは良いと言われたくらいだ。共依存に過ぎないのだが名医と言われた人でもそんなレベルの治療だった。

だから今の人達は恵まれている。ACもあるし、PTSDもある。EMDR治療もあるしサイコドラマ療法もある。ただそれらの知識を多くの他人が持ち合わせているかだ。先日虐待を受け苦しんでいる女性が参画センターの電話相談を利用したらしいが、相談員にいい歳をして親の悪口を言ってないで、早く働けと言われたそうだ。いのちの電話の相談員と言い、参画センターと言いろくな人材がいない。

地元でもアダルトチルドレンを扱う医療機関もあるが、一度他の医療機関を受診したが余りのレベルの低さに愕然とした。とにかく僕の街には人材がいない。そんな中でコロナ蔓延の社会で人と繋がるにはオンラインしかない。以前大学の先生にアメブロの文章を読んでもらったらしく1時間のインタビューをうけた。僕の成育歴では無く両親の成育歴を聞きたいという事だった。でもそれ以来ZOOMも利用していない。

昔の医療の世界だが、ほとんど薬に頼っていた。辛いと言えば薬の量が増えるだけ、本当に恐ろしい世界だった。もっと初期に保護されていたらと何度も思ったが、今は自分の人生を充実させることだけ考えている。児童相談所にももう中学生の頃から通っていたが、その頃は虐待では無く不登校を扱う場所だった。僕もお寺での托鉢の生活を勧められた。時代が悪かった。

僕は治療を受けるようになってから、5件くらい虐待の現場を見ている。でも携帯の無い時代で通報のしようがなかった。そういう時は警察に通報してくださいと言われたが、なかなか難しい。とにかく僕の体験を役立てたいと思っている。

児童虐待の被害からの回復の戦いを制する 其の34

2021-03-22 05:42:46 | 日記
僕の精神科病棟への入院を書いてみる。僕はもう小学生の高学年くらいから力尽きていた。ネグレクトやや心理的虐待などが酷く、両親が狂っていたので世の中の全ての事が理解できず適応できなくなっていた。そして中学3年生から長い入院生活が始まった。精神科病棟は鉄格子があり、また玄関のドアは鉄の扉で初めて病棟に入った時は恐怖を感じた。

そして作業療法があったり、今から考えれば無駄な事をしていた事になる。看護師さんも冷たい人が多く優しくなどしてもらった記憶がない。けれど実家から離れられたので1カ月ほどでかなり元気になった。けれど元気になったらまた実家に戻され、また酷い仕打ちを受けるようになった。そして高校に進学は出来たが、成績も良かったが日常生活が送ることが出来ず、再び入院となった。そして高校も中退してしまった。

治療は薬が処方されるだけで、カウンセリングもないし、入院患者さんは酷い人ばかりで、その頃自分は犯罪者のような気持にさせられていた。2年ほど入院生活が続いたが回復しないし、混乱も酷く安定剤の注射が始まり以後毎日3本の筋肉注射、静脈注射の治療が始まった。余りの量の注射で薬疹だらけで、体重も40キロまで落ち、生きる気力も失いかけた。でもそんな時でもプロレス中継を観て何とか踏ん張った記憶がある。そして退院するが、実家には誰もいなかった。母親が赤信号で交差点を渡り入院、手術などで1年以上僕は一人で生活していた。

深い孤独と絶望感に襲われたが、そんな時中学生のとき通っていた学習塾の先生が、生徒の採点を手伝わないかと誘ってくれ、以後暫く学習塾で主に中学生の男女と接していた。それが救いになり僕は元気を取り戻した。中学生の英語、数学を学んだのでそのまま通信制高校に通いだした。町の広報に入学案内が載って居て、晴れて高校生になることが出来た。勉強に没頭して成績はほとんど1番で、担任からは推薦で大学に行けると言われたが、働かなければ食べて行けず、進学も諦めた。

そんな状況でも両親は僕の事には一切関心を示さなかった。僕の孤独は本当に深い。でもその頃でも親はお前のせいで苦しめられると何時も話していたので、僕も自分を責めていた。迷惑をかけていると信じていた。でも高校を卒業したので学歴が高校卒業に替わりアルバイトでも採用されるようになった。それからは幾つものアルバイトを転々としてその日暮らしの生活が続いた。ワーカホリックなので頑張りすぎて仕事は出来るのに長続きしなかった。職場でももっと休憩しろ、と言われたが子供の頃から少しでも手を抜くと母親に怒鳴られたので、怖くて休憩が取れなかった。

そして疲労でまた精神科病棟への入院となってしまった。こうして30代前半まで病院とは縁が切れなかった。両親は僕を庇うどころか高額の医療費の事で僕を徹底的に僕を貶した。一時期は金属バットで両親を殺そうかと思ったくらいだ。こうして幼い時から僕は苦難の連続だった。だからAC概念に出会い僕の無実が証明され夢でない事を願ったものだ。でも今度は難病でまた入院生活になった。つくずく僕はついていない。この世に神は存在しないのか。僕のくぐった道のりは険しく、でも諦める事はなく今は元気に回復し、ようやく僕の人生が始まったところだ。

児童虐待の被害からの回復の戦いを制する 其の33

2021-03-22 02:33:24 | 日記
今回初めてある方からコメントを頂いた。けれど僕はまだ慣れていなくてコメントを下さった方の要望に応えられずにいる。元々児童虐待を語るうえでは言いっ放し、聴きっぱなしで意見が言えないので、今回もコメントをブロックしようかとも思った。けれどそれでは詰まらないのでコメントできるようにしたが、虐待を受けた当事者では無い人と話をするのは、結構勇気がいる。早くなれると良いが。

今書いている文章は気楽に書いているように映るかも知れないが、過去の記憶に触れる文面は手が震えながら書いている。その点を理解して欲しい。僕は長い間地獄のような苦しみを味わったが、実家の土地を売ったお金が入ってからは、つつましく暮らしはせずやりたい事をどんどんした。様々な居場所と繋がったが、それは女性の知り合いが沢山いたからだ。女性は横の繋がりが結構あるので次から次えと情報が入って来て、メジャーな物からそうでないものまで片っ端から体験して行った。キネシオロジーとか量子場調整とか、タッチフォーヘルスとか、美腸セラピーとか、運命鑑定とか女性の情報から見つけたものだ。

そしてそれらは得るものがあったかだが、何とも言えない。虐待を受けた人は皆視野が狭いので、僕も世間を知るためにマイナーな物からメジャーなものまで数々のイベントに参加した。お金は無くなったが多くの物を得た気がする。メジャーなものは水島広子さんのアティテューディナルヒーリングなどで入門ワークショップにも参加したし東京のファシリテーターを囲んでお食事もした。

このように新しい物にどんどん挑戦するのは楽しい。でも今は貯金も無くなり食費にも不自由している状態だ。でもほとんどが女性の好む居場所なので多くの女性と接したが、女性の人柄にもよるが、多くの女性の中にいると気持ちがとても安らぐ。やはり母性を求めているのだろうか。けれど女性に甘えたいとは思わないし、甘えたことが無いので甘え方も解らない。でも甘えたいと言う男性もいるようで、僕には情けなく思える。

こうして気楽にブログを書いているように映るかも知れないが、虐待を受けた人は傷つきやすく、その繊細さを一般の人には理解できない。トラウマの恐ろしさを理解できないと、本当の意味で虐待は解らないと思っている。少し前テレビで虐待の特集があったが、解説者が信田さよ子さんだった。もう30年前から活動している人で僕も講演を聴いたことがあるが、そんな人が解説者とは余ほど人材がいないのだろう。

今は貧乏だがきっとお金を稼いで見せる。今まで経験した体験、努力は物凄い物だと自負している。