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児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の45

2021-03-24 21:33:00 | 日記
久しぶりに文章にする。このブログを始めてから根を詰めすぎて、体調を崩し今日もお昼の3時位まで眠っていた。何か目新しい所と言うとヨガ教室の先生から電話があり是非来てくださいとの事だったが、その曜日はカウンセリングを受ける事になっているので、不運としか言いようがない。

あと他人と喋る事では虐待の悩み電話相談を利用した。話で役に立ったのは今度から大学院生の低価格のカウンセリングを受ける不安を話したが、大学院生でも社会人になってから資格を取った人はそんなに物足らない内容ではないと教えてくれた。けれどやはり料金が安いので、あまり期待していない。カウンセリングよりヨガ教室の方が健康的だ。今は体力をつけるために意図として自転車を粗大ごみ出だしたので、健康には良いかも知れないが不便で仕方がない。

今月は金欠で食事もままならないが、早く真面な食事がしたい。有料電話相談も利用したが、やはり今この癒しの〇〇の利用が一番ストレス発散になる。それまでも様々なサイトを利用したが、一番温かい気がする。でもお金が掛かるのでこれからはヨガ教室に通いたい。他に手軽な習い事が見つからない。昔は同人誌に所属して文章にしていたが、その頃からすでに紙媒体は廃れつつあった。談話室と言って茶話会もあったし、詩の朗読会もあり真夏の暑い夜にお酒を飲みながら豪華な食事、そして朗読、素晴らしい日々だった。

もうそれも昔の事だ。今はオンラインで情報を得ているが、つまらない物ばかりだ。同人誌の頃は原稿は手書きで書いていたし、不便ではあったがその分人の温もりが伝わって来た。同人誌で出会った人達は僕に比べれば高学歴で、司法書士とか税理士とかごろごろしていたが、文章を読んでみてもそこそこ纏まってはいるが深みがない気がした。平凡に生きるのは楽かもしれないが、深い世界を体験できない気がする。でもそれには痛みが伴うが。何かを得たいと思ったら、何かを失う覚悟がいると思っている。

先日ある女性に僕のブログを読んでもらったが、とにかく長いと言われでも今は短くする気持ちはない。食費にも不自由する毎日が続くが、これも乗り切らないと成長はない。以前食べ物に困った青年がトイレットペーパーを火であぶりしょうゆをかけて食べたと話していた。それに比べればまだましかと思う。

今日はついていない。3万円で買ったばかりのGショックを無くしてしまい、今時計がない。不便だがスマホで補うしかない。でも今日を振り返って、いつもより多くの他人と話したので気分転換にはなった。もう春だ。僕のもとにも早く訪れて欲しい。

児童虐待からの回復の戦いを制する 其の44

2021-03-24 04:25:38 | 日記
矢張り夜ブログを書くと気持ちが高揚して眠れない。昨日有料の電話相談の利用を2回したが支払いを待ってもらっているので、来月利用料金の支払いが一度にどっと来ることになった。けれど何度も書いているがこころの支えは有料電話でのお話だけだ。思い返してみて僕に心の支えになってくれた存在は過去にいただろうか。取り合えずハコミセラピーを受けていた時、セラピーの先生とは頻繁にメールのやり取りをしていた。彼女もサバイバーだったが今は健康を取り戻し東京で心理士として働いている。昔はその女性が雲の上の存在だったが、今は僕にとって大切ではあるが、あまり参考になるものが無くなって疎遠になった。

以前書いたお泊り会の世話人とも色あせて見え次第に離れつつある。唯一親しく尊敬していた作家さんともちょっとした行き違いから関係が壊れてしまった。今はクリニックの臨床心理士さんが救いだったが、その心理士さんさえ物足らなくなり関係を断ってしまった。東京には新しい出逢いがあるのだが、費用がとんでもなく高いので利用できないでいる。何でも東京一極集中で僕の街には社会資源がない。

一時期東京転居も考えたが、難病もあるし人の多さに嫌気がさし引っ越しは諦めた。昨日はポストに郵便配達のアルバイト募集のチラシが入っていたが、単調な仕事で僕には出来ない。以前障碍者雇用で働いている女性が自助グループに居たが、仕事は出来るのに重要な仕事には就かせてもらえず、明らかに差別されるようだ。給料も安いらしいし馬鹿げた話だ。政治家たちは満額の給料をもらっているのに、生活保護費の減額の話が出ていた時期がある。弱者を食い物にする汚い奴らだ。

話は変わるがこんな状態を打開しようと、以前運命鑑定を受けた。もう病気は治っているのですぐ働くように言われたが、僕には信じられない言動だった。その人は霊力があるそうだが、特殊な力があるのなら共依存の治療でもして欲しい。そう言った霊力だとかは必ず矛盾がある。やはりコツコツ自分で努力するしかない様だ。

またしても児童虐待を書けなかったが、自然に書く気持ちになるまで待ってもらおうと思う。

児童虐待被害からの心の回復の戦いを制する 其の43

2021-03-24 01:14:39 | 日記
僕のアディクションでもあるワーカホリックだが何時頃から始まったか考えてみたい。思い出として残っているのは全日制の高校時代からで、テストの前は夕方6時から翌朝4時まで勉強していた。余りにも根を詰めるので、肩こりや眼精疲労で爪切りの柄でこめかみを叩いていて今でも右のこめかみが陥没したままだ。又筆圧が強くペンだこが出来てボールペンを持つ事も出来なかった。そんな無理な生活をしているのだが母親は頑張るのだよ、とこれっぽちも心配しなかった。廃人なので判断能力が無かったのだろう。

こうして僕は普通の青春時代を送っていない。友人も出来ないし精神科入院もあり、真っ暗なまさに暗夜行路だった。そしてその頃は普通異性に関心を持つようになる時期だが、僕は女性の事など何も考えていなかった。求めていたのは男らしさ、強さで女性など何も感じたことが無い。けれど今になってようやく女性に関心が持てるようになった。極端から極端へと思いが変わるのもACの特徴なのかもしれない。
大学病院の頃治療をと言う名の拷問を受けていたが、今は依存症治療院で入院もすることも無く治療を受けている。主治医は洞察力に優れ一瞬で僕の考えを見抜かれてしまう。主治医は一人で一日100人の診察をこなす日もあり、でも短くても的確なアドバイスがあるので、通い続けている。回復は主治医の力量によっても決まると思っている。診察時間は1分の時もあるが不満はない。

以前主治医に自分の虐待体験を発表したいと意見を求めたが、混乱するぞ、と言われてしまった。でもコロナ騒動で実現は難しいので、新たな方法を考えてみたい。まだまだ戦いは続く。

児童虐待の回復からの戦いを制する 其の42

2021-03-24 00:29:13 | 日記
僕は精神科病棟に長い間入院していたので、唯一心を許した友だちは病棟で出会った患者さんしかいなかった。だから今女性が多いが多くの健康な人達に出会い、ようやく健康的な関係を作れるようになった。精神科病棟と言っても開放病棟で、外出も自由だったので入院中にも関わらず、パチンコ店に入り浸ったりやりたい放題だった。病棟の看護師もいい加減な人が多く、カップルがいくつも出来て昼間からラブホテルに出かけている人もいた。

それまでの大学病院の入院はとても厳しく、酷い症状の患者さんも多かったが総合病院では症状が軽い人が多かった。けれど自死した人は多く7人くらいの人が亡くなって行った。それは僕には他人ごとでは無く辛い思い出として残っている。でも僕は辛くても自分の人生に悲観したことはない。自死以外でも精神的に病んでいるにも拘らず、一流企業に就職して無理をして寝たばこで火事になり、煙に撒かれ亡くなった人もいた。このように周囲の人間が次々に死んでいき今でも思い出すと苦しくなる。

けれど自死は精神科では付き物なので、受け入れるしかない。精神科病棟では、多くの個性的な男女に出会い僕も仕事に就いて同僚に病棟で出会った人達の話をした事があるが、いったいどこでそんな人たちに出会うのか不思議に思われていた。精神科病棟で出会ったとも言えず、とにかく僕も変わり者に見られていた。でも今は女性が多いが健康な出会いが増え楽しい日々を過ごせるようになって来た。けれどコロナ騒動で出会いの場も限られ人の温もりが恋しい毎日が続いている。僕はとてもお喋りなので、電話相談でも利用しないと精神の安定が保てない。今は美容室に行きたいのとネイルサロンにも行ってみたい。僕は女性にしか関心がないが、ある女性にはブログの文章は典型的に男性向きの文章だと言われた。やはり僕は男だから男らしい文章になるのだろう。