40歳半ばも過ぎてもう50手前になってきた。
ふと、たまに「何か悩みは無いか?」
と聞かれる
仕事や家のことなどはもちろん常に何か考えたり悩んでいたりはします。
しかし、それ以外のことでの悩みや気になっていることといえば、おそらく友達という言葉
自分の周りを見渡してみる
全然友達がいない
普段、遊びに行くのは嫁ばかり
他には友達同然の付き合いをさせてもらっている姉と義兄
趣味のことまで姉と義兄に付き合ってもらっている
そして、趣味のピアノのサークル
他の付き合いが全くない
この状態を悩んでいるわけではない
むしろ充実しているとも思っている
小中高、学生時代、どの時代の友人も今は無し
数年前までは月一くらい大阪まで泊まりで出て飲みに行ったりバカしあえる友達はいた
それも切れてしまった
どちらが悪いというわけではないが、僕にも非がある部分がある
ふと、今の生活の中で、過去の友達関係が続いていたら?
と考えることがあります。
今、僕が夢中になっていることといえばダントツでピアノです。
そして、もし、もう少し時間が取れれば始めたいのが絵を描きたいです。
今までの友達付き合いの中では、そういった、ピアノや絵を描くことを趣味とした付き合いは全くありません。
ただ、会えば昔を懐かしんで飲んで、しゃべって、たまにあてもなくドライブをする
そんなことをしてました。
そして、今はそんなことに価値が見出せてない自分がいます。
強がりなのかなんなのかはわからないですが、過去を振り返ってる時間が無駄な気がしています。
そんな事をするならピアノの事に時間をかけたい
ただでさえ、中年も過ぎてきてしたい事、弾きたい曲は山ほどあるのに、仕事、家庭、趣味、それ以外に時間を費やしたくはありません。
ということで、今は充実しています。
悩みはここからなんです。
やはり、友達はかけがえのないものという事は色々な方々から耳にします。
もちろん、経済的な援助関係のやり取りのあるような友達付き合いというのは、僕個人としては友達では無いと思ってます。
今までの友達関係を断捨離のようにスパスパ切ってしまってますが、これから先、歳を重ねるにつれてそれが寂しさにつながってくるかどうかがわからないです。
今まで切れてしまった友達に対して、もう一度話をしたいとかは無いのですが、そういう想いがまたいつぞや出てくるのか?
もともと、1人で行動することが好きなので一人になる事に抵抗はないけど、そうは言ってもなんやかんやと周りに身内であったり誰かは人がいる。助けてもらってる。
なので、本当の一人という孤独はまだ知らない世界。
そんな時に今までの自分の行いを最大限に後悔してしまうのか
それがどうなるのかは、全くわからない
今までの友達に対して行ってきたこと、多分正解では無いと思う。
付き合いのある時は、友達として義理を通してきたつもりではいますが、切れる時は切れてしまう
どちらかというと不正解に近いかも
かと言って、不正解をもう一度解き直そうとも思わない。
ただ一つ、ありがたいことに、少なからず新たな出会いもあります。
こうして、今まで考えてきたこと、疑問に思ってきたこと、そういう事を考えながら過去を振り返らず、目の前にいる人間関係を大切にしていきたい
振り返ってしまうから、後悔が始まってしまう
それならば、振り返ろうとしないくらい前を向いて突き進めば良い
その原動力がピアノであり、そのピアノを通じて知り合った友達を大切にしていく
何が正解かはわからないけど、自分の中でわかる範囲で正解を探し出して、迷って、また悩んでいくのでしょう
もしかしたら後悔はあるかも知れない
だけど、最期に自分が納得できればそれが良い