ジノログ

日々勉強になったことを書き留めるブログ

老舗パン屋の伝統と革新。木村屋總本店の開拓者精神。

2021-06-13 21:21:53 | 日記

 

ども、ジノです。

 

 

今回は老舗パン屋の木村屋總本店を。

木村屋と言えばあんぱんだ。

しかし、若者のあんぱん離れとコロナ禍で前年2020年の売上から25%減という厳しい戦いを強いられている。

 

今回はそんな木村屋總本店のいままでとこれからを。




今も続くパン業界のフロンティア精神。新たな定番を求めている。




実は木村屋總本店が生み出した新たな定番はあんぱんだけではない。

創業者はあんぱんを。3代目がジャムパン、そして4代目はむしケーキを世に送り出している。

この開拓者精神をいかんなく発揮し、今でも新商品の開発がされている。

四角く持ちやすいあんぱんやナポリタンの入ったパン、焼きそばパンも握りやすく評判が良いそうだ。




継いだ時には倒産寸前?現社長は28歳の若さで7代目に就任。




木村屋總本店は6代目の時に営業を廃止し、売上が激減する。

メインバンクから社長の交代を突きつけられ、回って来たのが、木村光伯氏だ。

そこから、経営というものの難しさと戦う日々が始まった。

運転資金の捻出のため、200人のリストラや工場の閉鎖を断行。

更にパン作りの各工程をマニュアル化させた。

こうすることで、若く経験が浅い社員でもパン作りをこなすことができるからだ。

ところが、光伯氏が販売店に赴くとシンボルでもある桜の花が中心からズレていたり、味が変だというクレームが増えてしまったという。(マニュアル化していた当時)

製造に問題をフィードバックすると、「私たちはマニュアル通りにやっています。マニュアルに問題があるんじゃないですか?」と言われた。

パンは僅かな湿度の違いやオーブンの温度の違いで焼き上がりが変わってしまうもはや生き物だ。

マニュアル化したところで全て良いものに仕上がるはずもない。

また、マニュアル化したことにより、真剣にパン作りを学びたい職人気質の社員は会社を離れてしまった。

こうした苦い過去も全力でやってのけて道を切り拓いてきた光伯氏。

今では手作りにこだわり、パン生地25g、あん25gを職人の手感覚で計り、手で包んでいる。

若者へ渋谷にあんぱんと合う牛乳を一緒に楽しんでもらうミルクスタンドという店舗、巣鴨にはサンドイッチ専門店をオープンさせるなど、伝統を守りながら、新たな挑戦を推し進めている。

木村屋總本店のこれからに期待したい。


異色の経歴で食品サービス業界に飛び込んできた男。スシロー好調の秘密に迫る

2021-06-06 17:46:24 | 日記

 

 

ども、ジノです。

 

 

今回は回転寿司のスシローを。

実はスシロー、コロナ禍にも関わらず、直近半年での売上が過去最高の業績となった。

さらに海外進出をも加速させている。



 

定番のネタはこだわりにこだわり抜いたもの。




最近では、回転レストランと言われるほど様々なジャンルの食べ物が、提供される回転寿司屋。

そんな中でスシローは、定番のマグロやハマチに力を注いでいる。

これは定番のものが1番食べられているのだから、そこで「美味しい」と思われたらお客さんは、また来てくれるという考えのもとらしい。

マグロは1匹全て買い上げ、本当に美味しい部分だけ寿司として2貫100円で提供し、ハマチは切り方や新鮮さにとてもこだわっている。




コロナ禍でも動じない強さはそれまでの試行錯誤による経験によるもの。




コロナ禍にスシローの商品でヒットしたものがある。

手巻き寿司のセットだ。

この商品はコロナ禍になる前に1度売り出していたが、その時はあまり売れ行きが良くなかったようだ。

それが、おうち時間を大事にするようになり、需要が高まった。

それから店内で食事を楽しむ際も番号札を機械から受け取り、席に着いて食事ができる。

会計時もセルフレジにて精算を済ませることができるので、店員との接触はほぼない。

こうした、コロナ禍以前から商品の開発や店内の快適な仕組み作りなどが、コロナ禍でも直近半年が過去最高実績になったことに繋がったのだと思う。




スシローの社長は水留浩一氏だ。

 

 

東大を卒業し、広告業界の電通を経て、企業再生支援機構、そしてスシローへやってきた。

企業再生支援機構にいた2010年には経営の神様、稲盛和夫氏と共にJALの再建を担った人物だ。

実はスシロー、社名をスシローグローバルホールディングスから、FOOD LIFE COMPANYSに変更している。

タイ、韓国、台湾、香港、シンガポールと海外進出も加速させている。

日本国内においても都内型として新宿に出店、亀有駅にお持ち帰り専用店舗を作るなど、従来のロードサイド店舗だけでなく、新しいステージに挑戦している。

どんな状況でも動じない試行錯誤を繰り返す姿勢はコロナ禍でも続けられている。