台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

822 ブログ822 登校拒否・ひきこもりを考える。2

2013-11-02 01:41:00 | 台湾
人が人として生きていくのに必要な「自己肯定感」。
自分は、自分が好きで、自分は、これぐらいのことは、できると言う気持ち。
これがない、少ないと生きていくのが、怖かったり、苦しいことがある。
誰でも、人並みの能力は、持って居ると思いたい。これだったら、人に負けないそう言うものをたくさん持って居る人は、何でも前向きに生きることができる。
ところが、自信がないと、何でも引っ込み事案になることが多い。
登校拒否の生徒は、この「自己肯定感」がない。
これは、小さい頃からの成功経験が多ければ、・・・。または、失敗した後に、成功の経験がある人は、直ぐにトライする。失敗してもめげない。
めげなければいい。ところが、まず、 登校拒否のひとは、とても慎重。悪く言えば、「臆病」。
 物事の失敗経験も少ない。勉強も真面目。物事も真面目にやる。
けど、自分に自信がない。こういう人は、大勢います。だから、誰でも登校拒否になり得るのだと思います。原因は、いろいろ。いじめも、勉強も、親の養育方針も、今日の学校体制も。みんなうまくいっているときは、良いのですが・・・。
 一回大きい挫折すると、立ち上げられない状態に、なってしまう。
何をどうしたらこうなるという方程式は、ありません。その子自身が自分は、こんなに役に立てる、世の中に有用だという道を見つける以外に抜け出す道はない。
 世の中に、ひきこもりやニートの方がたくさんいます。その人なりの精一杯生きて居るのだと思います。本人を責めても解決しません。本人だって、現在の自分が良くないのは、十分承知しています。塡っているときは、何を言っても、難しいことが多いです。
ただ一つヒントがあるとしたら、同じ様な仲間がいることを気づかせることです。一ヶ月に三回ぐらい、そう言う交流の場へ顔を出させるのです。そうすると同じように悩んでいる人がたくさんいる。その月三回の外出だって、その人達には、とても大変なことです。
簡単に言うと、一時的に、成長が停滞したと考え、あまり、過去にこだわらない。
そして、その停滞は、本人の成長には、必要なものと認め、生活して貰う。何年かかろうと、本人がお金欲しい。働きたいという意欲が出て来るまで「辛抱」が必要です。
 私は、引きこもり、ニート人は、必ず立ち直ると信じています。その人が何が興味有るかわかりませんが、一番の早道は、「農業」。作物を育てる経験は、きっと、その方に、プラスになると思います。花でも、野菜でも、種から育て、楽しめるものがいい。
もちろん、その人によって立ち直る手段は、一つではありません。
 大切なことは、「自分がやればできる。」「人の役に立っている。」そう言う自信。
この自信さえ取り戻せば、少しずつ耐える力が付き、社会復帰、学校復帰できるものだと思います。
 机上の空論の面もありますが、周りの人がそう言う目で見てあげるだけで、その人にとって気が休まるものです。この「安心」感こそ、大切なのです。
そんなに焦らず、人生80年。少しぐらい回り道しても、別に動と言うこと無いぐらいに考えられては、いかがかと。
 無責任な持論をいいましたが、それほど簡単ではないことだけは、充分承知しています。
では、再見。

821 ブログ821 登校拒否を考える。

2013-11-02 01:05:54 | 台湾
登校拒否も色々なタイプなあり、原因の様々。
今登校拒否している人には、何が原因か、はっきりわかって居る人と、そうでない人も・・いろいろいます。そして、わかって居る場合、その原因を除去すれば、解決するとどうかは、わかりません。
 原因が無い場合は、対応が難しい。一つだけ、生活のリズムを崩さないように注意する。昼と夜が逆転すると、日常の感覚がおかしくなり、どうしていいのか、全くわからなくなります。登校拒否のタイプは、色々居ました。東京の病院に入院させたこともありました。 原因不明で、中三で学校に来られなくなり、毎日、かくれんぼしていました。
友達も少しは、いましたが・・・。三ヶ月入院。それから、病院、学校の往復。とても大変でした。東京の病院から、さいたま市の学校まで・・・。それが出来る様に成ったら、学校、家、病院の三角形を二ヶ月ぐらい。
どうにか、彼は、その作業を真面目ににやりきりました。
真面目さが特徴。登校拒否の子は、真面目。物事を多面的に見ることは、苦手。
そのこの場合、3箇所に居場所をつくることで、序序に自分を取り戻し、その後高校・大学と順調にいったようです。
 他のタイプは、良くわからない。本当に何故この子が登校拒否するのか?
ただ、御両親にあったとき、納得がいきました。この親、病気を直感しました。
親の中にも「鬱」の人は、居ます。お父さんも同様。
これじゃ、大変。この子は、立ち直れないと思いました。この子が立ち直るきっかけは、 親が入院して、親戚の家で、生活して初めて・・・。私に電話をくれました。
卒業して、2年。中学2年の合唱大会の翌日から、登校拒否に。私は、学年主任でしたが・・、担任代わりに、たまに家庭訪問をしていました。三年の時は、その学年を外れましたから、本当にたまに、行くだけ。学年を外れると、勝手に家庭訪問すると、怒り出す担任も居ますから。難しい。ただ、卒業だけは、しましたが、卒業後も、家庭訪問していました。かれと、話すのは、「マトリックス」という映画の話だけ。私のマトリックスの映画は、全く意味わかりません。けど、彼は、この映画の話になると、口が軽くなるようでした。
 電話の内容は、「お金が欲しいから仕事を紹介して欲しい。」
とりあえず、会いに行きました。髪の毛も切り、さっぱりしていました。彼の何の憑き物が落ちたような感じです。四年間。とぐろを巻いた生活。そして、その彼が働きたい。
コンビニ、花や、色々言うが無理との返事。今「お前何ができるのだ?」
「身体が丈夫。とにかく、お金が欲しい。」この一点張り。
わかった。我が家の畑仕事。二日間だけ雇う。二日間で一万円。
いいか。あさ、九時~四時位まで。
 ま。朝迎えに行くと、一応準備していました。そして、仕事。
もう午前中でほぼダウン。午後は、1時間だけ。そりゃそうだ。四年間も太陽二当たって居ない人間が太陽の下で肉体労働。
 これ以上無理だと思い、家に送り帰すしました。そして、別れ際、かれは、私に手を出すのです。何というと、お金と。だって、明日も働く約束。ま。どういう事情かわからないが、お金が欲しいのだろう。私は、一万円を彼に渡しました。
それから、かれが学校に行きたいと言い始め、それからは、順調に回復していきました。
現在何をしているか、わかりませんが、台湾に居る間、何回我が家に来たようです。
 こんな事は、珍しいことです。私のしたことは、「待っていただけ」それだけ。
再見。