台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

377 ブログ  本庄西中の想い出

2013-04-22 00:38:46 | 台湾
ま、結構悪戯好きな生徒がたくさんいました。今、仁と同じ歳。だから、二十七か八歳。いろんな生徒職員が居ました。一番覚えているのは。竹ぞうかな。身体がでかい、年中悪戯、悪さをする。そのたびに家庭訪問。ま、プライバシーもあるから・・・。ま、子育ては、大変。片親になると、やっぱり、大変。一人で二役をこなさないといけないから。
結構、本庄の中心部にありましたが、貧しい家庭も・・・・。
家が貧しいだけなら良いが、その本人も・・・。その中にどっぷりになると、・・・。
だから、上里中と西中。本当は、違うだけど、あまり差がなかった。ただシンナーは、西中は、少なかったのは、救い。シンナー吸っている人間は、立ち直りが難しい。上里でさんざん闘いました。また、当時。結構多かった。いまでこそ、覚醒剤・・・。中学生は、ないと思っているが。当時西中は、三クラス並行でちょうど学校規模としては、ちょうど良い。けど、年中何か問題を起こしていた。
 ある生徒の盗品を全部出させたら、段ボールひとつ。
これには、びっくり。
 もちろん、優秀な生徒も多かった。藤田。村上。中兼。茂木。
面白い奴ら。八木とか中島、学校の前に家のあったバスケットの・・・。名前が出ません。
特徴のある生徒がたくさんいました。
先生方は、優秀。村田さん。渋谷さん。関口さん。飯塚さん。木村(令)久保田さん、
古川さん。畠山さんも。また、校長も良かった、現在の教育長の「茂木」さん。
楽しい学校だった。だから、優秀な生徒も多いが、悪戯も適当にやってくれました。
今だから言うが、「林間学校のバスの中で財布がなくなったのも初めて。」
「泊まる旅館のお土産を万引きを指導するのも初めて」これは、珍しい。
けど、犯罪ですから、林間学校後にもう一度、保護者・本人で旅館に謝罪に行かせました。
いいだよ。犯罪したときは、思いっきり苦労させないと・・・。世の中でやれば・・・。
もうその地域に生きていけません。
とくかく。面白い土地柄。すばらしい生徒とごちゃごちゃ個性的な生徒が居ました。
女の子は、バスケット部、安藤、武井。テニス部は、やまだとか、たけい、
あくと。荒井。結構優秀で考えもしっかりしている、
 5年間いたかな。私は、担任したり、学年主任だったりしたが楽しい学校生活でした。
 また、学校の横が公園で年中喧嘩さわぎ・・・。彼らは、あまり、暴力的ではないが、
他の学校がたまに押しかけてきたのも覚えている。あと、A・Bくんには、申し訳ないが、
現役中に、「埼玉学園」へ入って貰いました。その間の事情は、いろいろ。
上里にも、同様の施設があるので十分知っていますが、親が育てられない・親としての「誇り」を持って居ずに、捨てられた生徒は、大変。指導もそうだが、心が荒れると・・・。
もう、即少年院へ。いや、少年院で、更正し、現在電気点をやっている生徒も居ます。
何が起ころうと、がんばり続ければ、いつか。
 今、こういう時代だから、また施設が満室だろうと思う。生徒の生でも何でもありません。保護者が保護の役目をしない、出来ない人が増えている。だから、貧乏の連鎖が繰り返されるのです。どこかで断ち切らないと、いつまでも続く。
施設の先生とも、何度も何度も話し合ったり、勉強会しましたが 、大変。
施設の職員が生徒の親代わり。それも、一人で、10人ぐらい。いろいろな性格・いろいろな癖があるから・・・。ベテランの先生でも手を焼くことが多いそうです。
昔から、ダメ親父は、いましたが、今は、ダメでなく居なくなる、蒸発する親が後を絶たないとのことでした。話が暗すぎる。ごめんなさい。そういう日もあります。
再見。

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