太安万侶の墓 2014.05.17 奈良市此瀬町 JR奈良駅・近鉄奈良駅から田原方面行きバス「田原横田」下車 徒歩20分
彼がいなかったら、古代史は今のような形で伝わっていなかったかも知れない。『古事記』をはじめ、『日本書紀』の編纂にも関わったとされる文官、太安万侶。その墓が発見されたのは1979年、茶畑の斜面にて。直径約4.5mの墳墓に収められていたのは墓主を明らかにする墓誌をはじめ、火葬骨や真珠など。(墓誌は現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で常設展示)
41文字から成る銘文には「太朝臣安萬侶」の名のほか、居住地や位階、死亡年月日などが記されていた。奈良時代の上級官人の墓が、このように規模や構造、遺物の出土状況等が明らかにされた例は稀である。
息を切らし、急坂を登りきれば、歴史の証人が眠る場所。眼下を望めば、茶畑一面、緑が冴え渡っている。
茶畑の中腹に史跡として整備された太安萬侶墓。 昭和54年(1979年)、茶畑の開墾中に偶然に発見された墓室の中から遺骨や真珠とともに銅版製の墓誌が見つかりました。墓誌には、日本書紀と並ぶ最古の歴史書である「古事記」の編纂者の太安萬侶の名前が刻まれており、現在のJR奈良駅の西に住み、養老7年(723年)に亡くなったことが記されていました。このことにより、太安萬侶は、実在の人物であったことが証明されました。
周囲は茶畑
太安万侶
墓
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳
墓誌