週一寺社めぐり

大隅神社 2024.03.14

大隅神社 東淀川区大桐5-14-81
応神天皇は大隅島に大隅宮を置きました。 応神天皇が崩御した後、宮址に神祠を建て 奉祀したのが神社の
起源であると言われ ています。以来、この地の産土神として尊崇 されてきましたが、淀川が氾濫した際に
賀 茂明神のご神体が漂着したのを機に、これ を合祀して社名を賀茂神祠と改めるとともに、社殿を二つに分け て、一つは別雷大神を奉祀し、一つは応神 天皇を含む八柱の神を合祀しました。明治 4年(1871)、旧に復して応神天皇を主祭 神とし、社名を大隅神社と改めました。

                 社頭

              参道

                                               稲荷神社

                   天満宮

                    拝殿

                 本殿

                本殿

            五対の狛犬

絵馬

              撫で牛

大道寺跡・解説文

攝州西成郡北中嶋之内、乳牛牧の荘とも呼ばれたこの地域に大道村・辻堂村・三宝寺村があり、これら3村の氏神として賀茂大明神・稲荷神・山王神を三社相殿(本社)に、祇園・伊勢・春日・八幡・天神を五神相殿(末社)に祀り、賀茂大明神社の境内にあった真言宗無本寺の僧が祭祀を兼帯し、上記3村は南大道村・北大道村・西大道村とも呼ばれ、まとめて三大道と稱されました。慶長12年、無本寺は三大院と改め、真言・禅宗の社僧は法祐坊から全良和尚まで8代続きました。貞享3年、玄光和尚は大道寺と改め、三世雲門和尚は竹凉菴を起こし、修行僧は100人を超すときもあり、禅修行と神社の維持・祭祀を受け継いできました。(乳牛山大道寺年譜参照) 大道寺十三世のとき明治維新を迎え、大道寺・竹凉菴を廃し明治6年、賀茂大明神社は大隅神社と改められました。此碑より北50メートルの飛地に大道寺の墓地が現存します。— 禅宗曹洞派乳牛山大道寺跡碑文
-大隅神社境内-


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