百済王神社
枚方市中宮西之町1丁目68
最寄駅:京阪電車交野線「宮之阪」下車、東へ約500m
朱印帳二千円 朱印代500円 なんでも値上がり
百済国王義慈王の王子禅広は、新羅・唐連合軍によって祖国が滅亡した際、日本に亡命し、その後朝廷に仕えることとなり、百済王氏(くだらのこにきし)という姓を賜り、難波の地に居住した。
当社の由来については1446年に著された『百済王霊祠廟由諸』によれば、737年¥ 百済王南典が病没し、聖武天皇は百済王一族の霊を安置するため、百済寺と百済王祠を建立した」とあり、 『続日本記』の(783年)の条に百済寺が見え、創建に関わったと思われる百済王敬福が750年(天平勝宝2年)に河内の守に任ぜられ、当地交野郡中宮郷に居住したと考えられる。この天平勝宝2年から(750~83年)の間に建立されたと思われる。 その後の来歴については不詳であり、『延宝九年寺社改帳(1681年)』に「百済王牛頭天王相殿社」と見えるのが最も古く、境内の石造物は江戸中期以降のものである。
浮嶋神社
旧本殿
絵馬
拝殿
本殿
相殿社
八幡神社
本殿
参集殿