法住寺 京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655 平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇もなくなると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたる。 井変わり不動尊 山門 本堂 水子地蔵 照千一隅 元禄期には大石内蔵助がこの法住寺に参拝したと伝えられ、その縁から四十七士木造も安置されている