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恵比寿の街の灯がひとつ消えた 創業45年 のらーめん 北斗 恵比寿店が、4月29日に閉店

2011-05-19 | 政治経済

創業45年 のらーめん 北斗 恵比寿店が、4月29日に閉店した

3月11日の地震があった午後2時ごろ以降、どこの店も、閉まってしまい、電車も動かなくなったPhoto_10。 恵比寿駅も、シャッターが閉まり、閉鎖された。

多くの人が、駅のまわりに、帰れなくて、夜中、外にいた



そのときに、唯一、このお店は、開いていた。
スーパーも、コンビニも、地震で、閉店になり、どこも閉まってしまい、ここのお店にいっった。多くの人が来ていた。



いつも、日本人一人と、中国人一人がペアで、やっているのに、日本人従業員一人しかいなかった。

「どうしたのか?」 と聞くと、

「電車が止まって、中国人が、こられなくなってしまった。私、ひとりで、やっている、社長から、電話が、かかってきて、がんばって、といわれた。」

と、たったひとりで、その日は、約200人の顧客にラーメンをたべさせたのだそうだ。
顧客が、店の外まで並び、忙しそうであった。Photo_11



その後、4月17日ごろ、いってみると、
日本人従業員が2人になっていた、中国人従業員がいなかった。



「どうしたのか」 と聞くと、
中国人の従業員が、3人が、全員、中国へ帰国したので、日本人ばかり2人でやっているということだった。交代もできず、2人で、毎日、営業していて、大変そうであった。しかし、中国人が1人だけ、4月19日から、日本にもどってくることになった、と話していた。



顧客が私以外にいなかった。
節電のせいで、看板に電気もつけられなくて、通常は、夜中の1時まで営業していたのが、午後6時や7時にに終わらされたり、恵比寿の街全体、暗くて、顧客が減っていた。
この店も顧客が減っていた。 



それから4月26日、金曜日の夜、行ったら、顧客がいっぱいで、中国人も1人だけ、帰ったきていた。顧客がいっぱいで、私と話ができる状態ではなかった。

しかし、料理をつくりながら、日本人の従業員さんが、ひんぱんに、嬉しそうな、顔をして、私のほうを、なんでも、見て会釈した。



満員で、うれしいのかと、勝手に解釈していた。

2日後、日曜日、店が休みであった。いままで、休んだこともないのに、たまたま、その日だけ、休んでいると思った。

その翌日、店の前をとおった。やはり、休んでいる、、真っ暗だ。 不信に思い、近づいて、ドアの外の張り紙を見た



「4月29日で、閉店します」



というものだった。 驚いた。。



ここの恵比寿界隈は、飲食店は激戦区なので、頻繁に、店が変わるのだ
その中で、ここは、約45年、続いた らーめん北斗。 恵比寿の街の顔であった。



夜中の1時まで、営業していて、近くで働く人たち、夜中でもやっているから人気があった。斬新な、アイデアで、独自のラーメンメニュで人気があった。



いまは、店の前をとおると、真っ暗だ。。、
約45年も、続いていた名物ラーメン店が、リーマンショックの後、さらに、おいうちをかけて、地震で閉店になるなんて、暗い気持ちになった。 なんてことだ。。



らーめん北斗 http://r.gnavi.co.jp/g055602/





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