*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之
「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」を複数回に分け紹介します。19回目の紹介
原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-
1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた
高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。
事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、
一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。
死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。
そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、
あまりにも生々しく記録されていた。
(P3「まえがき」から)
「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」
2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。
「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。
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**『原子力ムラの陰謀』著書 「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く」の紹介
ーノルマのある「やらせ投書」の指示もあった。
「それは、はっは(笑い)。行き過ぎじゃないかと思う。そんなことあったかな、本当に。してないと思う。どこの地方でも(メディアに反対意見を)投書するのはだいたいマニアで、そういう人達との論戦は必要。職員が一般人として投書することは何もおかしくないし、それなら、このときだけじゃなく、いろんなところでやっていますよ」
ーつまり、動燃の職員として、堂々と論戦しろという指示だった?
「いや、おかしな投書にたいしては事業者としてちゃんと答えることは必要だし、それ以前に、我々も一般住民だから、市民としてこういう考えだと投稿することは何もおかしいことじゃない」
ー文書を見る限りでは、職員に一般市民として投書させたと受け取れる。世論操作ではないか。
「それはない。それは全然違う」
ーKチームとは、結局何のために作ったのか。
「回収ウランのテーマをスムーズに、短期間にやりましょうというチームですよ」
ーしかし文書には「組織的な挑戦」とも書いてある。秘密チームを作って、反対派に対抗したとしか読めない。
「なんてことはないですよ。足で稼ぐというか、自治体等に『今回運ぶモノはこんなものですよ』と説明に回ることが多かったですね。『反対派のいうことは事実ではありませんよ』と、チームを組んで自治体をグルグル回るのが仕事ですよ」
ーそういった中で、接待等にお金が必要だった?
「接待なんてありえない。そんなことでできるなら苦労しないですよ」
◎X氏が震えたさらなる深い闇
本誌が改めてJAEA広報部に事実関係について質問すると、こう文書で回答した。
<原子力機構は、旧動燃が動燃改革を経て旧サイクル機構として生まれ変わり、その後に旧原研と統合した組織であり、基本方針に「社会からの信頼」、行動基準に「社会とのコミュニケーションを通じ、業務の透明性の向上に努めるとともに説明責任を果たす」と定め、徹底的な相互理解のうえでの業務推進を基本としている。なお、旧動燃時代については、現時点ではわからない。また、個別の人事についてはお答えできない>
実はこの回答、前章で掲載したものとほぼ同一の内容だ。
人形峠の回収ウラン転換実用化試験は、最終的に計画どおりに行われた。回収ウランが茨城県から岡山県へ輸送された時は、多くの住民が沿道で抗議活動に参加した。しかし、結局、この実用化試験は、動燃が核燃料サイクル開発機構と名を変えた後の2001年まで続いた。
※続き「第2章 動燃裏工作部隊「K機関」を暴く 」は、2/2(月)22:00に投稿予定です。