✳️【スターリンによる粛清】
たしかに、初期の著名な革命家にユダヤ人の割合が、その人口比よりやや高めであるということは否めません。しかし、彼らの末路をたどれば、決して幸せになっていないことがわかります。
革命初期(1917~19)のボリシェヴィキ指導者における主なユダヤ人は次のとおりです。
モイセイ・ウリツキー(1873~1918):ペトログラード・チェーカー議長。暗殺。
ヤーコフ・スヴェドルフ(1885~1919):初代全ロシア中央執行委員会議長。病死。
グリゴリー・ジノヴィエフ(1883~1936):レーニンの第1の副官。革命後、ペトログラード・ソヴィエト議長、コミンテルン議長を歴任。スターリンにより粛清。
レフ・カーメネフ(1883~1936):ソヴィエト政権の成立を宣言した第2回全ロソヴィエト大会議長。全ロ中央執行委員会議長を歴任。スターリンにより粛清。
グリゴリー・ソコリニコフ(1888~1939):財務人民委員(蔵相)、駐英ソ連大使、外務人民委員部次官など歴任。スターリン時代に投獄され獄死。
レオン・トロツキー(1879~1940):軍事革命委員会委員長、外務人民委員(外相)を歴任するもスターリンと対立して国外追放。暗殺。
このように、ほとんどがスターリンによって粛清されているのです。 内藤陽介〈みんな大好き陰謀論〉より
✔️【真相〈スターリンはユダヤ人と戦った人だった〉】
旧ソ連時代、外交官をつとめていたアレキサンドル・イワノフという人物が伝えるエピソードにこのようなものがあります。
当時、スターリンは共産党書記長というポストについてはいたものの、政策を実質上取り仕切っていたのはユダヤ人の書記、ラーザリ・カガノヴィッチという男だったそうです。
そしてカガノヴィッチは1948年頃から、ロシア人の優秀な政治家や知識階級を殺すようになっていきます。
スターリンは当初カガノヴィッチに従っていたのですが、しだいにカガノヴィッチのやり方に反発するようになり、ユダヤ人と戦うことを決意。
スターリンは都会のユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンというユダヤ人自治州に送り込もうとしたのですが、ラヴェレンチ・べリアというグルジアの暗殺団に毒殺されてしまいました。
このように、スターリンは独裁でユダヤ人たちを粛清していたわけではなく、ロシア人を守るためにユダヤ人と戦っていたというのが歴史の真相なのです。
【まとめ】
●内藤陽介の主張は、スターリンをおとしめるために歪曲されたものである。
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