じゅやん的日常

大自然に囲まれた田舎に暮らす
専業主婦のブログ。

初めての海

2011-03-31 17:07:54 | Weblog
昨年の5月30日
陸前高田に海を見に行きました。
娘にとって初めての海でした。

緑の松林を抜けると白い砂浜とコバルトブルーの海が広がっていました。
海の側までモコモコとした緑の山が迫っていて
三陸独特の景観がそれはそれは見事でした。

その日に撮影した写真を見てみると
波打ち際を手をつないで歩くカップル
散歩する老夫婦
父親に肩車をしてもらい松林の中を歩く父娘…
などなど平和そのものの光景が写っていました。
この松林が一本を残して全て津波に薙ぎ倒されたというのだから
凄まじい事です。

別の浜から撮った写真は
傾き始めた陽の光を受けて
テラテラと海面が光っていて
午前とはまた違った美しさがあるなぁと思いました。
でも実際は写真で見るものよりも
もっともっと神々しいくらいキレイなものでした。
ここから朝日を眺めたらさぞかし素晴らしいだろうなぁ…
と、思いました。

10年先か、20年先か
いつかまた行ってみようと思います。

ガソリンはどこだ

2011-03-29 15:40:16 | Weblog
満タンだった我が家のガソリンもあれから19日
目盛りが半分近くまで落ちてきました。

じきにガソリンも供給されるだろうと
タカをくくっていたのですが
相変わらず行列のガソリンスタンドや
店を閉じているガソリンスタンドを見ていると
やはりそのうち並んででも給油しなければならない時がくるのだろうか…
と、思います。

とは言っても人口の多い仙台に比べれば
競争率は低いものです。
娘を散歩に連れ出すとき
よく近くを通る高速道路を眺めているのですが
出光、エネオス、コスモ、JASS
それなりにタンクローリー走っています。

早く並ばないで給油できるようになると
良いのだけどな。

その後

2011-03-27 16:20:49 | Weblog
六日目の晩には水道も復旧し、漸くライフライン全てが整いました。

ただプロパンガスに関しては
次の補充の目途がたっていないので
今設置されているタンクの分を節約しながら大事に使っている状態です。
今現在、仙台でもガス水道が復旧していない地域があるので
それを思うと我が家のライフラインの復旧は決して遅くはなかったなぁ
と、思います。

普段当たり前のように使っていた
ガス水道電気がどれほど便利でありがたいものなのか
よーくわかりました。

昨日、漸く若林区荒浜で働いている友人の無事が確認出来ました。

本当に良かった。

5月頃に会いに行ければ良いなぁと思っています。

五日目

2011-03-25 15:47:56 | Weblog
この日もまた昼前から道の駅に行きました。

当初は購入に制限のあった食事提供も
余裕が出てきたようで
人数分購入できるようになりました。

この日は鶏の生姜焼き丼、南部一郎カボチャのスープ、
同じく南部一郎カボチャのおはぎが売られていました。
どれもせいぜい100円と格安で売られていて
しかも大変に美味しいものでした。

普段は店に並ばない
この時だけのスペシャルメニューだったと思われますが
本当に美味しかったので
いつかまた食べてみたいです。

食事を終えて家に戻ると電気が戻っていました。
翌日から真冬なみの寒さとなっていたので
電気の復旧は本当に助かりました。

夜、灯りがつくというのはとても
快適な事です。

電気が復旧して気持ちが少し落ち着いたのか
この日からとても深く眠ることが出来るようになりました。

四日目

2011-03-24 15:35:07 | Weblog
朝になって携帯電話の電源をいれたら
圏外表示が消えていました。

センターに問い合わせてメールを受信してみると
20件近く溜まっていました。

通話は未だに出来ませんでしたが
メールは送信できるようになったので
4日目にして漸く実家に無事を知らせることが出来ました。

この日もまた道の駅に行ってみると
ラーメンが売られていました。
ややミニサイズでしたが一杯100円と格安で
とても美味しかったです。

この日、お風呂が何よりも好きな旦那さんが
入浴施設が営業を始めるという情報を入手したので
さっそく行ってみることにしました。

我が家のあたりは相変わらずライフライン未復旧だったのですが
丘の上の入浴施設に行くと
電気が煌々とついていて
大震災などなかったのではないかと思えるほどでした。

久しぶり入浴し髪を二回洗いました。
館内でおむすびが売られていたので
1人一つずつ食べようと3つ購入しました。
旦那さんがお風呂から上がったら食べようと
思っていたのですが
娘がお腹をすかせていたので
一つ食べさせました。
すると、余程お腹がすいていたのか
美味しかったのか
パクパクと食べるのが止まらず
あっという間に3つのおむすびを平らげてしまいました。

優先的に食べさせているつもりだったのですが
足りていなかったようで
少し不憫に思えました。
小高い入浴施設から一関の街を眺めると
だいぶ灯りがついていたので
我が家も復旧したかなぁと期待しつつ家に戻ると
家の地区のあたりは相変わらず真っ暗で
がっくりしてしまいました。

暗い中晩御飯の用意をしたものの
急に疲れが出てしまい
あまり食べることが出来ませんでした。

久しぶりに電話で聞いた母の声に元気がなかった事、
荒浜で働いている友達と連絡が取れていないこと、
死者がどんどん増えていること
色々な事が頭の中でグルグル回って
この日は朝方まで眠ることが出来ませんでした。

三日目

2011-03-23 18:40:05 | Weblog
午前10時
今更遅いと思いつつも
給水ポリタンクとカセットコンロのガスを購入するために
ホーマックへ向かいました。

途中、手前のセブンイレブンが営業していたので
立ち寄ってみました。
この店もまた店頭販売のみでしたが
欲しかった生理用品が手に入り
良かったです。

肝心のホーマックに行ってみると
長い行列が出来上がっていて
とても待つ気になれなかったので
早々に諦めてそのまま厳美の道の駅に向かいました。

この日は店頭でスイトンやワンタンスープが
販売されていました。

暖かいワンタンスープはとても美味しかったです。
トイレで用を足したり、少し買い物をしたり
給水車からペットボトルに給水したりしました。
散歩がてら隣接する一関博物館を
歩いていると
建物の影にキレイな雪が溶けずに
残っているのが目に入りました。
たまたま車に発砲スチロールの
箱が入っていたので保冷用に持って帰りました。
晩御飯はまたまた誕生日に伯父さんから送ってもらっていた魚貝類で
石狩鍋を作りました。

この日はどういう訳だか携帯電話が圏外になってしまいました。
無料で使える公衆電話も全く使えず
実家や友人と連絡を取る手段がありませんでした。

ライフラインは復旧しなかったので
ご飯を食べて早々に布団に入りました。

二日目

2011-03-22 15:49:22 | Weblog
とりあえず買い出しに出かけるかということで
まずは近所のスーパーへ。

店内は天井が落ちたり商品が散乱したりで
とてもお客さんが入れる状態ではなかったようで
駐車場での販売のみとなっていました。

とりあえずノンカフェインのお茶、インスタントラーメン
インスタントラーメン(カップ)、バナナ、切り餅を購入。

続いてコンビニエンスストアへ。

この時点で停電のため信号機が動いていなかったため
安全のために
裏道裏道で行ける厳美のセブンイレブンに向かいました。

あまり期待はしていませんでしたが
お店は閉じられていました。

せっかく厳美まで来たので道の駅まで
足を延ばしてみる事にしました。

閑散とはしていましたが
意外にも薄暗い店内では営業が始められていて
お会計こそ電卓を使ってのものでしたが
普通に並ばすに
米やら野菜、果物、お菓子等を購入することができました。

店の入り口ではありがたい事に
ちょっとしたお惣菜も売られていて
私たちはありがたくこれを購入したのでありました。

どうういうわけか
この道の駅のトイレは水が通っているようで
普通に使用することができ
それもまたありがたい事でした。

お風呂が何よりも好きな旦那さんは
近隣の入浴施設の営業状況が気になって仕方がなかったようで
帰り道にかんぽの宿に寄ってみましたが
確認するまでもなく
営業はしていませんでした。

帰宅後、カセットコンロと圧力なべでご飯を5合炊き
おにぎりを作りました。

ボンベの残量が気になって仕方ありませんでした。

ラジオをつけると沿岸部の凄まじい被害状況ばかりが
耳に入ってきました。
特に衝撃的だったのが

○○町壊滅

という表現。

壊滅という表現を現在現実日本で聞くことになるとは…。

壊滅と言われた地域に親戚が住んでいたので
ゾッとするものがありました。

沿岸部にすむ親戚や友人がとても心配になりました。

晩御飯は海鮮鍋とホタテのお刺身におむすび。

まだ寒さの残る時期だったので冷蔵庫の温度保たれていて
とても助かりました。

ご飯を食べ終わったら特にすることもないので
顔をガーゼで拭って歯を磨いて
この日も9時に就寝。

携帯電話は1日中使えませんでした。

あの日

2011-03-21 12:24:04 | Weblog
午後の2時過ぎに
翌日の夏油でのスキー合宿に備えての給油と
ボードの手入れ用品を買う為に
家を出た。

スタンドで給油をして
さてスポーツ用品店に行くかと
思ったところ
娘が寝てしまったことに気づき
買い物は諦めて家へ戻る。

家の敷地の駐車場で
娘の眠りが深くなるのを待つために
少し時間を潰していたとき

2:46

小さな横揺れが始まった。

徐々に揺れが強くなり
明日のスキー合宿どうなるのだろう…
と、思っていたら
恐怖感を覚えるような
暴力的な揺れが始まった。

自分は運転席でハンドルに捕まり
後部座席の娘はチャイルドシートに固定されたまま
グラングラン揺れていた。

この時になって娘は漸くうっすらと
目を開けたが
またそのまま寝入ってしまった。

隣の車を見ると地面の上に
止まっている車とは思えないほどに
グラングランと揺れていた。

目の前の田んぼを見ると
不自然にグニャグニャと歪んでいた。

鳥の群れが飛んでいくのが二回見えた。

大変な事が起こっていると思った。

ラジオをつけるとアナウンサーの緊迫した声が
10メートルの大津波が来ることを
繰り返し告げていた。

10メートル???

揺れが収まってきたので家の様子を見に行くと
玄関の向こうから
水が溢れ出しているのが見えた。

慌てて家の中に入ると
風呂場の方から水が噴き出す音が聞こえた。
洗濯機のホースが蛇口から外れて
水が噴き出し
脱衣場、玄関ホール、寝室が水浸しになっていた。
急いで蛇口を締める。

水は少しの間出ていたけれど
間もなく止まり
電気ガスもストップ。

余震が続くので家の中に入れず
車の中で携帯でテレビを見ると
水没してしまった町の様子が映し出された。

旦那さんは3:30頃に確認の為に一度帰宅し
その後5:00頃に帰宅した。

先日の私の誕生日に伯父さんから
カニ、ホタテ等の魚貝類の冷凍詰め合わせが
送られてきていたので
晩御飯にカセットコンロで調理して
カニしゃぶ鍋を頂いた。
9:00就寝。

八日目

2011-03-18 10:36:20 | Weblog
昨日漸く気仙沼大島の親戚の
無事が確認できました。
宮古の親戚も 皆さん無事だったようで
沿岸部にこれだけの被害がでる中
幸運な事でした。

一関は内陸なのでライフラインは乱れたものの
被害は殆どありませんでした。

もちろん家族全員無事です。

早く暖かくなって桜が見られると
嬉しいです。