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東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

「マッチ」展(たばこと塩の博物館)

2019年06月03日 | 展覧会(その他)

マッチ
~魔法の着火具・モダンなラベル~ 
2019年5月25日~7月7日
たばこと塩の博物館
 
 
   一般料金100円で、カラー20頁のパンフレット付き。
 
 
1章   マッチ登場
 
   マッチの発明は1831年、フランスにて。1833年頃からヨーロッパ各地で製造され市場に出回るようになる。
   黄燐マッチである。どこで摩擦させても着火するので便利といえば確かに便利、しかし危険といえば極めて危険。しかも毒性もある。
   1855年、安全マッチがスウェーデンにて発明される。黄燐ではなく、赤燐のマッチ。発火点が260℃以上で毒性もない赤燐を使用し、意図的に摩擦させないと発火しない仕組みとする。
   マッチが日本にやってきた時期ははっきりとしないとのことだが、1860年頃の横浜絵には、マッチで火を起こしてたばこを吸う外国人の姿が描かれている。
 
 
2章   国産マッチのあゆみ
 
   1876年から国内でのマッチ製造が始まる。国内用のみならず、中国を主とするアジア諸国向けの輸出用として、1890〜1910年代には世界屈指の製造量を誇るようになる。当時、中小業者が製造の主体であるなか、肉体労働でも高度な熟練作業でもない工程が多いマッチ製造は、女性・子ども・身体の不自由な人の働き口となっていたという。
   黄燐マッチは、前述のとおり、簡単に発火する危険があり、また、職工に燐性骨疽という病気を引き起こす問題があった。世界の動きを踏まえ、日本でも一旦1885年に製造禁止。しかし、1890年に再度解禁。なんでも主輸出先である中国に安価なマッチの需要がある、中国人は発火の危険を気にしない、輸出が何より大事ということらしい。結局、黄燐マッチ製造を禁止したベルヌ条約(1906年)に調印し、再禁止したのは1922年、中国国内でのマッチ製造業が本格化し輸出が減少してからのこと、それまでの間、工場での病害は絶えなかったらしい。
 
 
3章   マッチラベルの世界
 
   写真撮影可の本展。さあ、マッチラベルを撮るぞと思うが、1)マッチラベル自体が小さい、2)ガラスの映り込みが激しい、ので私としては控えめな撮影となる。
 
【国内販売用マッチラベル】
 
 
 
【時局を映すマッチラベル】
 
 
 
 
 
【専売時代のたばこマッチ】
 
 
 
【ドイツの広告用マッチコレクション】
 
  
   切手収集の趣味は「郵趣」というように、マッチラベル収集の趣味は「燐趣」というらしい。

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