ウ号作戦を知らん人は大多数である そりゃぁ戦後79年経ったんぢゃから・・・・・・・
ウ号作戦とは 大東亜戦争のビルマ戦線において 1944年(昭和19年)3月に大日本帝國陸軍により開始された
そしてこの年7月初旬まで継続された イギリス領インド帝國北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のこと
別名インパール作戦 作戦はビルマ防衛のために敵の拠点を攻略するといった攻撃防御や援蔣ルートの遮断という 戦略目的に加えて
イギリスの植民地インドに進攻することにより 独立運動を誘発しイギリスの植民地支配体制に打撃を与えるという政治的目的もあった
通俗的には 牟田口廉也中将の強硬な主張により決行された作戦として知られる 兵站に難があり撤退時に特に多くの犠牲を出した
ことから 現在では無謀な作戦の代名詞としてしばしば引用され 日本軍における史上最悪の作戦と言われる
大東亜戦争での日本の犯したミスは 戦線を広げすぎて兵站での不足状態があげられる 今ウクライナで行われている戦争も
ロシアの占領地拡大で兵站不足と軍人不足 そしてウクライナの巧みな戦術により今に至る
更にウ号作戦では マラリアにより多くの日本将兵がこの病に倒れた 栄養状態が悪く免疫力が落ちていたことも感染に拍車をかけた
元日本帝國陸軍の兵士は 「兵站病院に入っても高熱が下がらなかった 敵の空襲が来ても外に逃げられない だから柱の陰に
隠れるようにはいずって動き回り 機銃掃射を避けた」と語る
こうしてウ号作戦では約1万9000人の兵士が戦闘とマラリアで亡くなられた 作戦を立案する立場が無能なら 末端の兵士及び指揮官が
犠牲になる まさに今のロシアの様に・・・・ 国土を守るためでなく 嫌々徴集され十分な訓練も受けず まともな小火器や水食糧すら
配給されない侵略のための戦場に送り込まれるロシア国民 気の毒である
今後日本も何かの戦闘状況になるやも知れん 優秀な幹部及び指揮官で犠牲の少ない状況であってほしい
その前に憲法改正し 自衛隊を日本國軍と昇格し 専守防衛でなく積極防衛でいい 先に手を出しても防衛なら可を望む