いつもと違うのは、母がいないことです。
母が作った、栗きんとんやきんぴら、八つ頭の煮物などのおせち料理や、何杯でもお代わりしたくなる、あのお雑煮をもう味わえないことです。
それを誰よりも実感、痛感するのは、一人暮らしの次男だろうと思います。
母は、次男が家を出てから20年以上?もしかすると30年近く、毎年、お正月におせちとお雑煮をパックに詰めて、次男のアパートと最寄り駅をバスを使わず、往復1時間かけて歩いて届けていました。
きっとお餅をその場で焼いてお雑煮に入れて、小さなお正月を次男にプレゼントしていたのだと思います。
次男にとって、それがいつものお正月だったはず。
お風呂の中でそんなことを考えていたとき、ふと、明後日の7日は次男の誕生日であることを思い出しました。
今まで、父母に誕生日のプレゼントを贈ったことはありますが、兄にはありませんでした。
でも、ふと、何もない誕生日、年末年始じゃあまりにさびしいじゃないか、と思い、急いでお風呂を出て、誕生日ギフトを贈ることに。
モノは好みが良く分からないし、時間もあまりないので、食べるものなら喜んでもらえるかと思い、選べるグルメギフトにしました。
配達指定も7日、ぎりぎりで指定が間に合いました。
仲がいいわけではありませんが、妹として、というより母の代わりとしてでしょうか、一人でいる次男に、せめて何かしなくては、そんな思いにかられたとともに、一年に一度でも、兄弟3人集まって、母を(父もですが)偲ぶことができたらと、あまり実現の可能性を期待できないと思いつつも願う自分がいます。
本当なら、母亡きあと、兄弟3人が少しでも距離を縮めて互いを思い、助け合うことが、母が一番喜ぶ&望んでいることだと私は思うのですが、長男は不器用で武骨、それでなくても次男と折り合いが悪いため、長男からそういう発想が出てくることはあまり期待できず。。
だから余計に、私が動いて何かしなければ、と思うのかもしれません。
母が空の上から、気をもんで見ているような気がしてなりません。
最新の画像もっと見る
最近の「わが母のこと」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事