いつだって明日はいい日

頼りない喪主

告別式の日、ゆっくり寝ていても間に合うのに寝ていられないのは年取ったからだ。

まだ人が動き出さないうちに自宅の雨戸を開けに行ってくる。
喪服に着替えてからATMに行き、本日に必要な現金を用意する。

時間が近づきスケジュール通りに今日の予定が始まる。
担当さんが母を式場内へ移動する。

老人ホームからお花を頂いた。
入口には病院から頂いたお花が飾られている。
司会の女性に段取りを説明される、ちゃんと出来るかな?緊張して何かやらかさないかな?喪主と言っても何にもわからん。
まあ、こんなことに慣れてる人もいないと思うので許してください。



ひっそりと静かな告別式でした。

式場から斎場までは霊柩車の後を自車で付いていく。
霊柩車には姉が乗った。

斎場も静かだった。
他の組もいらしたが、コロナ禍ではどの家も参列者は少ない。

冷たい白い部屋、扉を開けた先の釜へ母の体は吸い込まれて行った。
良く晴れた秋の空へ母は昇っていく。
待合室の大きな窓からキラキラ光るススキとトンボが揺らいでいた。

昔ならばお清めで会食となるがコロナ禍でお弁当、もちろんノンアルコール。
昔はお清めの席が煩わしくて大嫌いだった。

アナウンスがあり、お骨上げに向かう。
係の人は無表情でとっつきにくい印象だったが意外と喋る。
こちらもアレコレと質問してしまう、お骨を見て少し気持ちが軽くなった。

自宅に戻り、担当さんが祭壇を飾り付けてくれる。
お母さん、やっと家に帰って来れたね。

姉が帰るとグッタリして暫く動けなかった。
ボーッとしているだけで眠ってもいない、何も考えていない、気がつくとすっかり暗くなっていた。
あぁ、何にもお供えしてないや。
どうしようもないバカ娘だ。
買い物に出る気力もなく、とりあえずお茶とコーヒーをお供えした。
こんなんでいいの?故人の好きなものだからいいのかな、コーヒーは毎日飲んでたものね。

翌日、仕事が休めるのはこの日まで。
親が死んだと言っても休んではいられないのだ。

早い時間に買い物に行き、お供えの果物やお菓子を買ってくる。
母は漬物が好きだったが高血圧の為に食べさせてもらえなかった。もう思いっきり食べれるよ。
梅干しとコーヒーを毎日お供えすることにした。


告別式までのこと、自分の記録として残そうと思って書き始めたが仕事が始まると日常に追われなかなか日記を書く時間が取れない。
休みの日も手続きや片付けでグッタリして何かをやろうという気力がない。
母の死からちょうど一ヶ月になる。
自分の中ではまだ受け入れられず、ふと思い出しては後悔の思いが込み上げる。
今まで母への反発がエネルギーとなり、介護に縛られたくないと趣味やいろんなことに打ち込んできた。
良くも悪くも両親の介護は自分の支えだった。
支えを亡くした自分はどんなふうに生きたら良いのか?
約30年、人生の半分近くが親の介護だった。
今さらチャラには出来ない。
悩む力も出ないこの頃である。







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